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鴨長明方丈記」より       

一 序

 行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
 玉敷(たましき)の都のうちに、棟(むね)を並べ、甍をあらそへる、貴(たか)きいやしき人の住居(すまひ)は、世々(よよ)を経て尽きせぬものなれど、是をまことかと尋ぬれば、昔しありし家はまれなり。或は去年(こぞ)焼けて今年作れり。或は大家(おほいえ)滅びて小家となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、古(いにしへ)見し人は二三十人が中に、わづかに 一人・二人なり。朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生(うま)るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
 不知、生れ死ぬる人、 何方(いづかた)より来りて、
何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常をあらそふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。
・・・
・・・ 中間 略

九 方丈の庵室

 ここに、六十(むそじ)の露消えがたに及びて、更に末葉の宿りを結べることあり。いはば、旅人の一夜の宿りをつくり、老いたる蚕(かいこ)の繭(まゆ)を営むがごとし。これを中ごろの住処に並ぶれば、また百分が一に及ばず。とかくいふほどに、齡(よはひ)は歳歳(としどしに)高く、住処は折々にせばし。その家のありさま、世の常にも似ず。広さは僅に方丈、高さは七尺がうちなり。ところを思ひ定めざるが故に、地をしめて造らず。土居(つちい)を組み、うちおほひを葺(ふ)きて、継目(つぎめ)ごとに掛金(かけがね)をかけたり。もし、心にかなはぬことあらば、やすく他に移さむがためなり。その改め造る時、いくばくの煩(わづら)ひかある。積むところ、わづかに二両。車の力をむくふほかには、更に他の用途いらず。

 いま、日野山の奧に、跡をかくして後、東に三尺余りの庇(ひさし)をさして、芝を折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に、閼伽棚(あかだな)を作つくり、北によせて、障子をへだてて、阿彌陀の絵像を安置し、そばに普賢を描き、前に法花経をおけり。

 東のきはに、蕨(わらび)のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に、竹の吊(つ)り棚をかまへて、黒き革籠(かわご)三合をおけり。すなはち和歌・管絃・往生要集ごときの抄物を入れたり。傍(かたわら)に、琴・琵琶、おのおの一張を立つ。いはゆる折琴・つぎ琵琶これなり。仮の庵の有様、かくのごとし。

 そのところのさまをいはば、南に懸樋(かけい)あり。岩をたてて、水をためたり。林、軒近ければ、つま木を拾ふに乏(とも)しからず。名を音羽山といふ。正木のかづら、跡うづめり。谷しげけれど、西は晴れたり。觀念のたより、なきにしもあらず。


十 いほりの四季

 春は、藤波を見る。紫雲(しうん)の如くにして、西方に匂ふ。夏は、郭公(ほととぎす)を聞く。語らふごとに、死出の山路を契(ちぎ)る。秋は、ひぐらしの声、耳に満てり。空蝉(うつせみ)の世を悲しむかと聞ゆ。冬は、雪をあはれぶ。つもり消ゆるさま、罪障(ざいしょう)にたとへつべし。

 もし、念佛ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。妨ぐる人もなく、また恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、ひとり居れば、口業を修めつべし。かならず禁戒をまもるとしもなくとも、境界なければ、何につけてか破らん。
  もし、跡の白波に、この身をよする朝(あした)には、岡の屋に、行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、もし桂の風、葉をならす夕(ゆうべ)には、潯陽(じんやう)の江をおもひやりて、源都督の行いをならふ。
  もし、余興あれば、しばしば、松のひゞきに秋風樂(しゅうふうらく)をたぐへ、水の音に、流泉の曲をあやつる。芸は、これ拙(つた)なけれども、人の耳を悦ばしめんとにはあらず。ひとり調べ、ひとり詠(えい)じて、みづから情(こころ)を養ふばかりなり。

十一 山居の生活

 また、麓に一つの柴の庵あり。すなはち、この山守(やまもり)が居る所なり。彼處(かしこ)に小童あり。時々来りて、あひ訪(とぶら)ふ。もし、つれづれなる時は、これを友として遊行(ゆぎょう)す。かれは十歳、これは六十、その齡(よはひ)ことの外なれど、心を慰むること、これ同じ。
  或(ある)は茅花(つばな)を拔き、岩梨(いわなし)を採り、ぬかごをもり、芹(せり)を摘む。あるは裾わの田井にいたりて、落穗を拾ひて、穂組み(ほぐみ)をつくる。
 もし、うらゝかなれば、峯によぢのぼりて、遙かに故郷の空を望み、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師(はつかし)を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。
  歩み煩ひなく、こゝろ遠くいたる時は、これより峰つゞき、炭山(すみやま)を越え、笠取(かさとり)を過ぎて、あるいは岩間に詣で、あるは石山を拜む。もしはまた、粟津の原を分けつつ、蝉うたの翁が跡を弔ひ、田上川を渡りて、猿丸太夫が墓をたづぬ。帰るさには、折につけつつ、桜を狩り、紅葉(もみじ)をもとめ、蕨を折り、木の実を拾ひて、かつは佛に奉り、かつは家土産(いえづと)にす。

 もし、夜靜かなれば、窓の月に古人をしのび、猿の声に袖をうるほす。叢(くさむら)の螢は、遠く眞木(まき)の篝火(かがりび)にまふがひ、曉の雨は、自ら、木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峯の鹿(かせぎ)の、近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。あるはまた、埋火(うづみび)をかきおこして、老の寢覺(ねざめ)の友とす。恐ろしき山ならねば、梟(ふくろ)の声をあはれむにつけても、山中の景色、折につけて尽くることなし。いはんや、深く思ひ、深く知らん人のためには、これにしも限るべからず。


十二 閑居の気味

 おほかた、此の所に住み始めし時は、あからさまとおもひしかども、今すでに、五歳を経たり。仮の庵も、やゝふるさととなりて、軒に朽葉(くちば)ふかく、土居(つちい)に苔むせり。おのづから、事の便りに、都を聞けば、この山にこもり居て後、やんごとなき人の、かくれ給へるも、あまた聞ゆ。まして、その數ならぬたぐひ、尽してこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。
  たゞ假の庵のみ、のどけくして恐れなし。程(ほど)狹しといへども、夜臥(ふ)す床(ゆか)あり、昼居る座あり。一身をやどすに不足なし。寄居は、小さき貝をこのむ。これ身知るによりてなり。みさごは、荒磯に居る。すなはち、人を恐るゝが故なり。我またかくの如し。身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。たゞ靜かなるを望みとし、愁へなきを樂しみとす。

 すべて世の人の、住家(すみか)をつくるならひ、必ずしも、身の為にせず。或は、妻子眷屬のためにつくり、或は、親昵(しんじつ)・朋友のためにつくる。あるは、主君・師匠、および財宝・馬牛のためにさへ、是をつくる。われ今、身のためにむすべり。人のためにつくらず。ゆえ如何(いかん)となれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。たとひ、広くつくれりとも、誰をやどし、誰をか据えん。

 それ、人の友とあるものは、富めるを貴み、ねんごろなるを先とす。かならずしも情(なさけ)あると、素直なるとをば愛せず。ただ、糸竹・花月を友とせんには、如かじ。人の奴たるものは、賞罰甚しく、恩顧厚きを先とす。更に育(はぐく)み哀れむと、やすく静(しず)かなるとをば、願はず。たゞ、わが身を奴ひとするには、如かず。いかが奴婢(ぬひ)とするとならば、もし、なすべきことあれば、すなはち、おのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。もし、歩くべきことあれば、自ら歩む。苦しといへども、馬・鞍、牛・車と心を惱ますには、しかず。
  今、一身を分ちて、二つの用をなす。手の奴(やつこ)、足の乘物、よくわが心にかなへり。心身のくるしみを知れれば、苦しむ時は休めつ。まめなれば、使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず、ものうしとても心を動かす事なし。いかにいはんや、常に歩りき、常に働くは、養生なるべし。何ぞ徒(いたず)らに、やすみ居らん。人を惱ます、罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。

 衣食の類(たぐい)また同じ。藤の衣・麻のふすま、得るにしたがひて、肌(はだえ)をかくし、野辺の茅花(おはぎ)、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人に交はらざれば、姿を恥づる悔いもなし。糧(かて)乏しければ、おろそかなる報(むくひ)を、あまくす。
 すべてかやうの樂しみ、富める人に対して言ふにはあらず。たゞわが身一つにとりて、昔と今とを、なぞらふるばかりなり。

 それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、象馬七珍(ぞうめしっちん)も由(よし)なく、宮殿・樓閣も望みなし。今さびしきすまひ、一間の庵(いおり)、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞がいとなれることを恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵(ぞくじん)にはする事を、あはれむ。もし人、このいへることを疑はば、魚と鳥との有様(ありさま)を見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居(かんきょ)の氣味もまた同じ。住まずして、誰か悟(さと)らん。


十三 むすび

 そもそも、一期(いちご)の月影かたぶきて、餘算の山(よざんのやま)の端(は)に近し。たちまちに三途(さんず)の闇にむかはんとす。何のわざをか嘆(かこ)たんとする。佛の教へ給ふおもむきは、ことに触れて、執心なかれとなり。いま、草の庵を愛するも、閑寂(かんせき)に着するも、障(さは)りなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。
 静かなる曉、この理(ことわり)を思ひつづけて、みづから心に問ひて曰く、「世をのがれて、山林に交わるは、心を修めて、道を行はんとなり。しかるを、汝、姿は聖人に似て、心は濁りに染(し)めり。住家(すみか)は、則ち、淨名居士(じょうみょうこじ)の跡を汚せりといへども、たもつところは、わづかに周梨槃特(しゅりはんどく)が行にだに及ばず。もし、これ貧賤(ひんせん)の報(むくひ)の、みづからなやますか、はたまた、妄心(もうしん)のいたりて狂せるか。」そのとき、心さらに答ふることなし。ただ、かたはらに舌根(ぜっこん)をやとひて、不請(ぶせい)の阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三遍申してやみぬ。
 時に、建暦(けんりゃく)の二歳(ふたとし)、彌生の晦(つごもり)ころ、桑門(そうもん)の蓮胤(れんいん)、外山(とやま)の庵にして、これを記