曾良旅日記 + 俳諧書留
    岩波文庫「 おくのほそ道」より  もどる

(曾良は、奥の細道の旅のために「 神名帳抄録」と「 歌枕覚書」を書き、さらに「 曾良旅日記」に続けていくつかの日記や「 俳諧書留」などを記している。「 俳諧書留」を「 曾良旅日記」の本文中の該当部分に、枠囲みに入れて表示した。
本文中の「 カナ」は「 かな」に変換してよみやすくした。返り点は「 レ」で表示した。)


巳三月廿日、同出、深川出船。巳の下尅、千住に揚る。

二七日夜、かすかべに泊る。 江戸より九里余。

二八日、まゝだに泊る。かすかべより九里。前夜より雨降る。辰上尅止に依て宿出。間もなく降る。午の下尅止。此日栗橋の関所通る。手形も断も不入 。

二九日、辰の上尅まゝだを出。
 一 小山へ一り半、小山のやしき、右の方に有。
 一 小田(山)より飯塚へ一り半。木沢と云所より左へ切る。
 一 此間姿川越る。飯塚より壬生へ一り半。飯塚の宿はづれより左へきれ、(小くら川)川原を通り、川を越、そうしやがしと云船つきの上へかゝり、室の八島へ行(乾の方五町ばかり)。すぐに壬生へ出る(毛武と云村あり)。此間三りといへども、弐里余。

   室八嶋

絲遊に結つきたる煙哉        翁
あなたふと木の下暗も日の光     翁
入かゝる日も絲遊の名残哉 (程々に春のくれ)
鐘つかぬ里は何をか春の暮
入逢の鐘もきこえず春の暮

 一 壬生より楡木へ二り。みぶより半道ばかり行て、吉次が塚、右の方二間ばかり畠中に有。
 一 にれ木より鹿沼へ一り半。 
昼過より曇。同晩、鹿沼(より火(文)ばさみへ弐り八丁)に泊る。(火ばさみより板橋へ二八丁、板橋より今市へ弐り、今市より鉢石へ弐り。 )

四月朔日 前夜より小雨降。辰上尅、宿を出。止ては折々小雨す。終日曇、午の尅、日光へ着。雨止。清水寺の書、養源院へ届。大樂院へ使僧を 被レ添。折節大樂院客有レ之、未の下尅迄待て御宮拝見。終て其夜日光上鉢石町五左衛門と云者の方に宿。壱五弐四 。

同二日 天気快晴。辰の中尅、宿を出 。うら見の滝(一り程西北)・がんまんが淵見巡、漸く及午。鉢石を立、奈(那)須・太田原へ趣。常には今市へ戻りて大渡りと云所へかゝると云ども、五左衛門、案内を教へ、日光より二丁程下り、左への方へ切れ、川を越、せの尾・川室と云村へかゝり、大渡りと云馬次に至る。三りに少し遠し。
  ○今市より大渡へ弐り余。
  ○大渡より船入へ壱り半と云ども壱里程有。絹川をかり橋有。大形は船渡し。
  ○船入より玉入へ弐り。未の上尅より雷雨甚強、漸く玉入へ着。
同晩 玉入泊。宿悪故、無理に名主の家入て宿かる 。

同三日 快晴 。辰上尅、玉入を立。鷹内へ二り八丁。鷹内よりやいたへ壱りに近し。やいたより沢村へ壱り。沢村より太田原へ二り八丁。太田原より黒羽根へ三りと云ども二り余也。翠桃宅、よぜと云所也とて、弐十丁程あとへもどる也。

四日 浄法寺図書へ被レ招。

五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共に天気吉。

  三佛開山佛光國師佛國ゝ佛應ゝ
 雲岩寺十景     五橋     三井
海岩閣 竹林    獨木橋     神龍池
十梅林 龍雲洞   瑞雲ゝ     都寺泉
玉几峯 鉢盂峯   瓜 ゝ     岩虎井
水分石 千丈岩   涅槃ゝ
飛雲亭 玲瓏岩   梅船ゝ

  四月五日、奈須雲岩寺ニ詣で
  仏頂和尚旧庵を尋
木啄も庵は破らず夏木立       翁
  翁に供せられて、雲岩寺遊ぶ。茂りたる山の入口より清冷たる川ニ遊びて、三町斗歩
て山門ニ至ル。鉢盂峯、龍雲洞、千丈、玲瓏ノ岩、五橋、三井、総而かんのうごかさざる所なし。
物いハで石にゐる間や夏の勤
  秋鴉主人の佳景に対す
山も庭にうごきいるゝや夏ざしき
 △浄坊寺図書何がしは、那須の郡黒羽のみたちをものし預り侍りて、其私の住ける方もつきづきしういやしからず。地は山の頂にさゝへて、亭は東南のむかひて立り。奇峯乱山かたちをあらそひ、一髪寸碧絵にかきたるやうになん。水の音鳥の声、松杉のみどりもこまやかに、美景たくみを尽す。造化の功のおほひなる事、またたのしからずや。
東山雲岩寺
満藏山 夢想國師開記
山深み昼くるだにもさびしきに
       よる人やある白糸のたき
八みぞ山(ひたち・下野・みちのくのさかい。
ことや あやをりが池 歌有。
無常野 知田川 いづな山 つくば山 
  しら川の關やいづことおもふにも、先、秋風の心にうごきて、苗みどりにむぎあからみて、粒々にからきめをする賤がしわざもめにちかく、すべて春秋のあはれ・月雪のながめより、この時はやゝ卯月のはじめになん侍れば、百景一ツをだに見ことあたはず。たゞ声をのみて、黙して筆を捨るのみなりけらし。
田や麦や中にも夏時鳥
     元禄二孟夏七日    芭蕉桃清
     黒羽光明寺行者堂
夏山や首途を拝む高あしだ    翁
   同
汗の香に衣ふるはん行者堂
  ばせをに絵がけるに
鳴(サン)や其声に芭蕉やれぬべし  翁
鮎(同)の子の何を行衛にのぼり船
         高久角左衛門ニ授ル
  みちのく一見の桑門、同行二人、なすの篠原を尋て、猶、殺生石みんと急侍るほどに、あめ降り出ければ、先、此処にとゞまり候。
落くるやたかくの宿の時鳥    翁
木の間をのぞく短夜の雨     曾良
      元禄二年孟夏

六日より九日迄、雨不レ止。

九日、光明寺へ被レ招。昼より夜五つ過迄にして帰る。

十日 雨止。日久して照。

十一日 小雨降る。余瀬翠桃へ帰る。晩方強雨す。

十二日 雨止。図書被二見廻一、篠原被二誘引一。

十三日 天気吉。津久井氏 被レ見廻而、八幡へ参詣被レ誘引。

十四日 雨降り、図書被二見廻一終日。重之内持参。

十五日 雨止。昼過、翁と鹿助右同道にて図書へ 被レ参。是は昨日約束之故也。予は少々持病気故不参 。

十六日 天気能。翁、館より余瀬へ被二立越一。則、同道にて余瀬を立。及レ昼、図書・弾蔵より馬人にて 被レ送る。馬は野間と云所より戻す。此間弐里余。高久に至る。 雨降り出に依、滞る。此間壱里半余。宿角左衛門、図書より状被レ添。

   奈須余瀬
     翠桃を尋て
     
秣(まぐさ)おふ人を枝折の夏野哉  芭蕉
青き覆盆子(を)こぼす椎の葉    翠桃
村雨に市のかりやを吹とりて    曾良
町中を行川音の月         はせを
箸鷹を手に居ながら夕涼      翠桃
秋草ゑがく帷子はたそ       ソラ
も(ウ)のいへば扇子に顔をかくされてはせを
寝みだす髪のつらき乗合      翅輪
尋ルに火を焼付る家もなし     曾良
盗人こはき廿六の里        翠桃
松の根に笈をならべて年とらん   はせを
雪かきわけて連歌始る       翠桃
名どころのおかしき小野ゝ炭俵
碪うたるゝ尼達の家        曾良
あの月も戀ゆへにこそ悲しけれ   翠桃
露とも消ぬ胸のいたきに      翁
錦繍に時めく花の憎かりし     曾良
をのが羽に乗蝶の小車       翠桃

日(名)がささす子ども誘て春の庭  翅輪
ころもを捨てかろき世の中     桃里
酒呑ば谷の朽木も佛也       翁
狩人かへる杣の松明        曾良
落武者の明日の道問草枕      翠桃
森の透間に千木の方そぎ      翅輪
日中の鐘つく比に成にけり     桃里
一釜の茶もかすり終ぬ       曾良
乞食ともしらで憂世の物語     翅輪
洞の地蔵にこもる有明       翠桃
蔦の葉は猿の泪や染つらん     翁
流人柴刈秋風の音         桃里
今日も又朝日を拝む石の上     蕉
米とぎ散す瀧の白浪        二寸
籏の手の雲かと見えて翻り     曾良
奥の風雅をものに書つく      翅輪
珍しき行脚を花に留置て      秋鴉
彌生暮ける春の晦日        桃里

十七日 角左衛門方に猶宿。雨降。野間は太田原より三里之鍋かけより五、六丁西。

十八日 卯尅、地震す。辰の上尅、雨止。午の尅、高久角左衛門宿を立。 暫有て快晴す。馬壱疋、松子村迄送る。此間壱り。松子より湯元へ三り。未の下尅、湯元五左衛門方へ着。

十九日 快晴 。予、鉢に出る。朝飯後、図書家来角左衛門を黒羽へ戻す。午の上尅、湯泉へ参詣。神主越中出合、宝物を拝。与一扇の的躬(射)残のかぶら壱本・征矢十本・蟇目のかぶら壱本・檜扇子壱本、金の絵也。正一位の宣旨・縁起等拝む。夫より殺生石を見る。 宿五左衛門案内。以上湯数六ヶ所。上は出る事不レ定、次は冷、その次は温冷兼、御橋の下也。その次は不レ出。その次温湯あつし。その次、温也の由、所の云也。
  温泉大明神の相殿に八幡宮を移し奉て、両神一方に拝れせ玉ふを、
   湯をむすぶ誓も同じ石清水     翁
     殺生石
   石の香や夏草赤く露あつし
  正一位の神位被レ加の事、貞亨四年黒羽の館主信濃守増栄被二寄進一之由。祭礼九月二十九日。

二日 朝霧降る。辰中尅、晴。下尅、湯本を立。うるし塚迄三 り余。 半途に小や村有。うるし塚より芦野へ二り余。湯本より総て山道にて能不レ知して難レ通。
  一 芦野より白坂へ三り八丁。芦野町はづれ、木戸の外、茶や松本市兵衛前より左の方へ切れ (十町程過て左の方に鏡山有)、八幡の大門通り之内、左の方に遊行柳有。其西の四五丁之内に愛岩(宕)有。其社の東の方、畑岸に玄仍の松とて有。玄仍の庵跡なるの由。其辺に三つ葉芦沼有。見渡す内也。八幡は所之うぶすな也 (市兵衛案内也。すぐに奥州の方、町はづれ橋のきはへ出る。)
  一 芦野より一里半余過て、より居村有。是よりはた村へ行ば、町はづれより右へ切る也。
  一 関明神、関東の方に一社、奥州の方に一社、間二間計有。両方の門前に茶や有。 小坂也。これより白坂へ十町程有。古関を尋て白坂の町の入口より右へ切れて旗宿へ行。二日之晩泊る。暮前より小雨降る(旗の宿のはづれに庄司もどしと云て、畑の中桜木有。判官を送りて、是よりもどりし酒盛の跡也。土中古土器有。寄妙に拝。)

二一日 霧雨降る、辰上尅止。宿を出る。町より西の方に住吉・玉 嶋を一所に祝奉宮有。古の関の明神故に二所の関の名有の由、宿の主申に依て参詣。それより戻りて関山へ参詣。行基菩薩の開基。聖武天皇の御願寺、正観音の由 。成就山満願寺と云。旗の宿より峯迄一里半、麓より峯迄十八丁。山門有。本堂有。奥に弘法大師・行基菩薩堂有。山門と本堂の間、別当の寺有。 真言宗也。本堂参詣の比、少雨降る。暫時止。これより白河へ壱里半余。中町左五左衛門を尋。大野半治へ案内して通る。黒羽へ之小袖・羽織・状、左五左衛門方に預置。 置。矢吹へ申の上尅に着、宿かる。白河より四里。 今日昼過より快晴。宿次道程の帳有り。
  ○白河の古関の跡、旗の宿の下里程下野の方、追分と云所に関の明神有由。相楽乍憚の伝也。是より丸の分同じ。  
  ○忘ず山は今は新地山と云。但馬村と云所より半道程東の方へ行。阿武隈河のはた。
  ○二方の山、今は二子塚村と云。右の所よりあぶくま河を渡りて行。二所共に関山より白河の方、昔道也。二方の山、古 哥有由。
    みちのくの阿武隈川のわたり江に人(妹とも)忘れずの山は有けり
  ○うたゝねの森、白河の近所、鹿島の社の近所。今は木一、二本有。
    かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどりも通はざりけり(八雲に有由)
  ○宗祇もどし橋、白河の町(石山より入口)より右、かしまへ行道、ゑた町有。其きわに成程かすか成橋也。むかし、結城殿数代、白河を知玉ふ時、一家衆寄合、かしま にて連歌有時、難句有レ之。いづれも三日付る事不レ成。宗祇、旅行の宿にて被レ聞之て、其所へ被レ趣時、四十計の女出向、宗祇に「 いか成事にて、いづ方へ」と問。右の由尓々。女「 それは先に付侍りし」と答てうせぬ。
    月日の下に独りこそすめ
    付句
    かきおくる文のをくには名をとめて
 と申ければ、宗祇かんじられてもどられけりと云伝 。

しら河
誰人とやらん、衣冠をだだしてこの関をこえ玉フと云事、清輔が袋草紙に見えたり。上古の風雅、誠にありがたく覚え侍りて

卯花をかざしに関のはれぎ哉

 

二二日 須か川、乍単斎宿、俳有。

蚕する姿に残る古代哉      曾良
      奥州岩瀬郡之内須か川
        相楽伊左衛門ニテ
風(下)流の初やおくの田植歌  翁
覆盆子を折て我まうけ草     等躬
水せきて昼寝の石やなをすらん  曾良
ビクにカジカの声生かす也    翁
一葉して月に益なき川柳     等
雇にやねふく村ぞ秋なる     曾良
賤の女が上総念佛に茶を汲て   翁
世をたのしやとすゞむ敷もの   等
有時は蝉にも夢の入ぬらん    曾
樟の小枝に恋をへだてゝ     翁
恨ては嫁が畑の名もにくし    等
霜降山や白髪おもかげ      曾
酒盛は軍を送る關に来て     翁
秋をしる身とものよみし僧    等
更ル夜の壁突破る鹿の角     曾
嶋の御伽の泣ふせる月      翁
色々の祈を花にこもりゐて    等
かなしき骨をつなぐ絲遊     曾
山鳥の尾にをくとしやむかふらん 翁
芹堀ばかり清水つめたき     等
薪引雪車一筋の跡有て      曾
をのをの武士の冬籠る宿     翁
筆とらぬ物ゆへ恋の世にあはず  等
宮にめされしうき名はづかし   曾
手枕にほそき肱をさし入て    翁
何やら事のたらぬ七夕      等
住かへる宿の柱の月を見よ    曾
薄あからむ六條が髪       翁
切樒枝うるさゝに撰殘し     等
太山つぐみの聲ぞ時雨るゝ    曾
さびしさや湯守も寒くなるまゝに 翁
殺生石の下はしる水       等
花遠き馬に遊行を導て      曾
酒のまよひのさむる春風     翁
六十の後こそ人の正月なれ    等
蠶飼する屋に小袖かさなる    曾

二三日 同所滞留。晩方へ可伸に遊、帰に寺々八幡を拝。

元禄二年卯月廿三日(天)

みちのくの名所名所、こゝろにおもひこめて、先、せき屋の跡なつかしきまゝに、ふる道にかゝり、いまの白河もこえぬ。
早苗にも我色Kき日數哉     翁

岩瀬の郡、すか川の驛に至れば、乍單齋等躬子を尋て、かの陽關を出て故人に逢なるべし。
(上)發句前ニ有。
同所
桑門可伸のぬしは栗の木の下に庵をむすべり。傳聞、行棊菩薩の古、西に縁ある木成と、杖にも柱にも用させ給ふとかや。隱栖も心有さまに覺て、弥陀の誓もいとたのもし。
隱家やめにたゝぬ花を軒の栗   翁
稀に螢のとまる露艸栗齋
切くづす山の井の井は有ふれて  等躬
畔づたひする石の棚はし     曾良
歌仙終略ス。連衆(等雲・須竿・素蘭以上七人)といゝて止ければ
さみだれは瀧降りうづむみかさ哉 翁
案内せんといはれし等雲と云人のかたへかきてやられし。藥師也。

この日(地)や田植の日也と、めなれぬことぶきなど有て、まうけせられけるに、
旅衣早苗に包食乞ん。    ソラ

しら河

誰人とやらん、衣冠をたゞしてこの關をこえ玉フと云事、清輔が袋草紙に見えたり。
上古の風雅、誠にありがたく覺へ侍て、
卯花をかざしに關のはれぎ哉   曾良

須か川の連衆
矢内彌一衞門、素蘭。吉田祐碩、等雲。
内藤安衞門、須竿。釋可伸、栗齋。
(外)太田庄三郎
旅衣早苗に包食乞ん
わたかの鞁あやめ折すな     翁
夏引の手引の青草くりかけて   等躬

茨やうを又習けりかつみ草    等躬
市の子どもの着たる細布     ソラ
日面に笠をならぶる涼して    翁

芭蕉翁、みちのくに下らんとして、我蓬戸を音信て、猶白河のあなたすか川といふ所にとゞまり侍ると聞て申つかはしける。
雨晴て栗の花咲跡見哉      桃雪
いづれの草に啼おつる蝉     等躬
夕食喰賤が外面に月出て     翁
秋來にけりと布たぐる也     ソラ

西か東か先早苗にも風の音    翁
我色Kきと句をかく被直候。
白河、何云へ。
關守の宿をくいなにとをふもの  翁

泉や甚兵へニ遣スの發句・前書。
(册尺一枚、前ノ句。)
中將實方の塚の薄も、道より一里ばかり左りの方にといへど、雨ふり、日も暮に及侍れば、わりなく見過しけるに、笠嶋といふ所にといづるも、五月雨の折にふれければ、
笠嶋やいづこ五月のぬかり道   翁

(册尺二枚、前ノ句。)
しのぶの郡、しのぶ摺の石は、茅の下に埋れ果て、いまは其わざもなかりければ、風流のむかしにおとろふる事ほいなくて、(加衞門加之ニ遣ス。)
五月乙女にしかた望んしのぶ摺  翁

二四日 主の田植。昼過より可伸庵に 而会有。会席、そば切、祐碩賞之。雷雨、暮方止。

二五日 主物忌、別火。

二六日 小雨す。

二七日 曇。三つ物ども。芹沢の滝へ行。

二八日 発足の筈定る。矢内彦三郎来 而延引す。昼過より彼宅へ行而及暮。十念寺・諏訪明神 へ参詣。朝之内、曇。

二九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝見に行(此間、さゝ川と云宿よりあさか郡)。須か川より辰巳の方壱里半計有。滝より十余丁下を渡り、上へ登る。 歩にて行ば滝の上渡れば余程近由。阿武隈川也。川はゞ百二、三十間も有レ之。滝は筋かへに百五六十間も可有。高さ二丈、壱丈五六尺、所に より壱丈計の所も有レ之。それより川を左になし、壱里計下りて 、向小作田村と云馬次有。それより弐里下り、守山宿と云馬次有。御代官諸星庄兵へ殿支配也。問屋善兵へ方(手代湯原半太夫)へ幽碩より状 被レ添故、殊之外取持 。又、本実坊・善法寺へ矢内弥市右衛門状遣す。則、善兵へ、矢内にて、先大元明王へ参詣。裏門より本実坊へ寄、善法寺へ案内して本実坊同道にて行。 村レ雪(雪村 )哥仙絵・讃宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恒、五ふく、智證大し并金岡がかける不動拝す。探幽が大元明王を拝む。守山迄は乍単より馬にて 被レ送。昼飯調て被レ添。守山 より善兵へ馬にて郡山(二本松領)迄送る。かなやと云村へかゝり、あぶくま川を舟にて越、本通日出山へ出る。守山より郡山へ弐里余。日の入前、郡山に到て宿す。宿むさかりし。
 
五月朔日 天気快晴。日出の比、宿を出。壱里半来てひはだの宿、馬次也。町はづれ五六丁程過て、あさか山有。壱り塚のきは也。右の方に有小山也。あさかの沼、左の方谷也。皆田に成、沼も少残る。惣 而その辺山より水出る故、いずれの谷にも田有。 いにしへ皆沼ならんと思也。山の井はこれより(道より左)西の方(大山の根)三り程間有て、帷子と云村(高倉と云宿より安達郡之内)に山の井清水と云有。古のにや、ふしん也。二本松の町、奥方のはづれに亀がひと云町有。それ より右之方へ切れ、右は田、左は山ぎわを通りて壱り程行て、供中の渡と云て、あぶくまを越舟渡し有り。その向に黒塚有。小き塚に杉植て有。又、近所に観音堂有。大岩石たゝみ上げたる所後に有。古の黒塚はこれならん。右の杉植し所は鬼をうづめし所成らん、と別当申す。天台宗也。それ より又、右の渡を跡へ越、舟着の岸より細道をつたひ、村之内へかゝり、福岡村と云所より二本松の方へ本道へ出る。二本松より八町のめへは二り余。黒塚へかゝりては三里余有べし。八町のめ よりしのぶ郡にて福嶋領也。福嶋町より五六丁前、郷の目村にて神尾氏を尋。三月二九日、江戸へ被レ参由にて、御内・御袋へ逢。すぐに福 嶋へ到て宿す。日未少し残る。 宿きれい也。

二日 快晴。福 嶋を出る。町はづれ十町程過て、いがらべ(五十辺)村はづれに川有。川を不越、右の方へ七八丁行て、あぶくま川を舟にて越す。岡部の渡りと云。それより十七八丁、山の方へ行て、谷あひにもじずり(文字摺)石あり。柵ふりて有。草の観音堂有。杉檜六七本有。虎が清水と云小く浅き水有。福 嶋より東の方也。其辺を山口村と云。それより瀬のうゑへ出るには、月の輪の渡りと云て、岡部渡より下也。それを渡れば十四五丁にて瀬のうゑ也。山口村より瀬の上へ弐里程也。
 一 瀬の上より佐場野へ行。佐藤庄司の寺有。寺の門へ不レ入。西の方へ行。堂有。堂の後の方に庄司夫婦の石塔有。 堂の北のわきに兄弟の石塔有。そのわきに兄弟のはたざほをさしたれば、はた出しと云竹有。毎年、弐本づゝ同じ様に生ず。寺には判官殿笈・弁慶書し経など有由。系図も有由。福島より弐里。こほり(桑折)よりも弐里。瀬のうゑより壱り半也。川を越、十町程東に飯坂と云所有。湯有。 村の上に庄司館跡有。下りには福嶋より佐波野・飯坂・桑折と可レ行。上りには桑折・飯坂・佐場野・福 嶋と出たる由。昼より曇、夕方より雨降、夜に入、強。飯坂に宿、湯に入。

三日 雨降る。巳の上尅止。飯坂を立。桑折(だて郡之内)へ二り。 折々小雨降る。
 一 桑折とかいた(貝田)の間に伊達の大木戸 (国見峠と云山有)の場所有。こすごう(越河)とかいたとの間に 福嶋領(今は桑折より北は御代官所也)と仙台領(是より刈田郡之内)との堺有。左の方、石を重而有。大仏石と云由。さい川より十町程前に、万ぎ沼・万ぎ山有。その下の道、あぶみこ ぶ(わ)しと云岩有。二町程下りて右の方に次信・忠信が妻の御影堂有。同晩、白石に宿す。一二三五。
 
四日 雨少止。辰の尅、白石を立。折々日の光見る。 岩沼入口の左の方に竹駒明神と云有。その別当の寺の後に武隈の松有。竹がきをして有。その辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。
  ○笠島(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左の方一里計有、三の輪・笠島と村並て有由、行過て不レ見 。
  ○名取川、中田出口に有。大橋・小橋二つ有。左より右へ流也。
  ○若林川、長町の出口也。此川一つ隔て仙台町入口也。夕方仙台に着。其夜、宿国分町大崎庄左衛門 。

名取川ニ而つぎうた
吾ひとり今日のいくさに名取川頼朝
吾もろともにかちわたりせん梶原
みちのくのせいはみかたにつくも橋わたしてかけんやすひらがくび

五日 橋本善衛門殿へ之状、翁持参。山口与次衛門丈に 而宿へ断有。須か川吾妻五良七より之状、私持参、大町弐丁目、泉屋彦兵へ内、甚兵衛方へ届 。甚兵衛留主。其後、此方へ見廻、逢也。三千風尋るに不レ知。其後、北野や加衛門(国分町より立町へ入、左の角の家の内)に逢、委知る。

六日 天気能 。亀が岡八幡へ詣。城の追手より入。俄に雨降る。茶室へ入、止て帰る。

七日 快晴 。加衛門(北野加之)同道に 而権現宮を拝。玉田・横野を見、つゝじが岡の天神へ詣、木の下へ行。薬師堂、古へ国分尼寺之跡也。帰り曇。夜に入、加衛門・甚兵へ入来 。冊尺并横物一幅づゝ翁書給。ほし飯一袋、わらぢ二足、加衛門持参。翌朝、のり壱包持参。夜に降。

八日 朝之内小雨す。巳の尅 より晴る。仙台を立 。十符菅・壷碑を見る。未の尅、塩竈に着、湯漬など喰。末の松山・興井・野田玉川・おも はくの橋・浮嶋等を見廻り帰 。出初に塩竃のかまを見る。宿、治兵へ。法蓮寺門前、加衛門状添。銭湯有に入。

九日 快晴。辰の尅、塩竈明神を拝。帰 而出船 。千賀の浦・籬嶋・都嶋等所々見て、午の尅松島に着船。茶など呑て瑞岩寺詣、不残見物 。開山、法身和尚(真壁兵四良)。中興、雲居。法身の最明寺殿被レ宿岩屈(窟)有。無相禅屈(窟)と額有。それより雄 嶋(所には御嶋と書)所々を見る(とみ山も見ゆる) 。御嶋、雲居の坐禅堂有。その南に寧一山の碑之文有。北に庵有。道心者住す。帰而後、八幡社・五太堂を見。慈覚の作。松島に宿す。久之助と云。加衛門状添。

十日 快晴。松島立(馬次に 而なし。間二丁計)。馬次、高城村、小野(是より桃生郡。弐里半)、石巻(四里余)、仙台より十三里余。小野と石の巻(牡鹿郡)の間、矢本新田と云町に 而咽乾、家毎に湯乞共不レ与。刀さしたる道行人、年五十七、八、此躰を憐て、知人の方へ壱町程立帰、同道して湯を可レ与由を頼。又、石の巻にて新田町四兵へと尋、宿可レ借之由云て去る。名を問、 ねこ村(小野の近く)、こんの源太左衛門殿。如レ教、四兵へ尋て宿す。着の後、小雨す。 頓而止む。日和山と云へ上る。石の巻中不レ残見ゆる。奥の海(今わたのはと云う)・遠 嶋・尾駮の牧山眼前也。真野萱原も少見ゆる。帰に住吉の社参詣。袖の渡り、鳥居の前也。

十一日 天気能。石の巻を立。宿四兵へ、今一人、気仙へ行とて矢内津迄同道。後、町はづれにて離る。石の巻二り 、鹿の股。飯野川(一り余渡有。三りに遠し。 此間、山のあい、長き沼有)。矢内津(一り半、此間に渡し二つ有)。曇。戸いま(伊達大蔵・検断庄左衛門)、儀左衛門宿不借、仍検断告て宿す。

十二日 曇。戸今を立。三り、雨降出る。上沼新田町(長根町とも)三り、 安久津(松嶋より此処迄両人共に歩行。雨強降る。馬に乗)。一り、加沢。三り、一の関(皆山坂也)。黄昏に着。合羽もとをる也。宿す。

十三日 天気明。巳の尅より平泉へ趣。一り、山の目。壱り半、平泉 (伊沢八幡壱り余り奥也)へ以上弐里半と云ども弐りに近し。高館・衣川・衣の関・中尊寺・ 光堂(金色寺、別当案内)・泉城・さくら川・さくら山・秀平(衡)やしき等を見る。泉城より西霧山見ゆると云ども見へず。たつこくが岩 やへ不レ行。三十町有由。月山・白山を見る。経堂は別当留守にて不開。金 ?山見る。しみん(新御)堂、无量劫院跡見。申の上尅帰る。主、水風呂敷をして待 。宿す。

十四日 天気吉。一の関(岩井郡之内)を立。 四り、岩崎(栗原郡也。一のはざま)、藻庭大隈。三り、真坂(栗原郡也。三のはざま、此間に二のはざま有)。岩崎より金成へ行中程につくも橋有。岩崎 より壱り半程、金成よりは半道程也。岩崎より行ば道より右の方也。
[ 真坂 ] 四り半、岩手山(伊達将監)。やしきも町も平地。上の山は正宗の初の居城也。杉茂り、東の方、大川也。玉造川と云。岩山也。入口半道程前 より右へ切れ、一つ栗と云村に至る。小黒埼可レ見との 義也。二り余、遠き所也故、川に添廻て、及レ暮岩手山に宿す。真坂にて雷雨す。乃晴、頓 而又曇て折々小雨する也。
 中新田町 小野田(仙台より最上への道に出合) 原の町 門沢(関所有) 渫沢  軽井沢 上の畑 野辺沢 尾羽根沢 大石田船乗 岩手山より門沢迄、すぐ道も有也。

十五日 小雨す。右の道遠く、難所有レ之由故、道を かへて、二り、宮。○壱り半、かぢは沢。此辺は真坂より小蔵と云かヽりて、此宿へ出たる、各(格)別近し。
 ○此間、小黒埼・水の小島有。名生貞と云村を黒崎と、所の者云也。其の南の山を黒崎山と云。名生貞の前、川中に岩 嶋に松三本、其外小木生て有。水の小嶋也。今は川原、向付たる也。古へは川中也。宮・一つ栗の間、古へは入江して、玉造江成と云。今、田畑成也。
壱り半尿前。しとまへ ゝ取付左の方、川向に鳴子の湯有。沢子の御湯成と云。仙台の説也。関所有。断六け敷也。出手形の用意可レ有レ之也。壱り半 、中山。
 ○堺田(村山郡小田嶋庄小国之内)。出羽新庄領也。中山 より入口五六丁先に堺杭有。

○十六日 堺田に滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也) 。

○十七日 快晴。堺田を立。一り半、笹森関所有。新庄領。関守は百姓に貢を肴し置也。さヽ森 、三り、市野ゝ。小国と云へかゝれば廻り成故、一ばねと云山路へかヽり、此所に出。堺田より案内者に荷持せ越也。市野 ゝ五六丁行て関有。最上御代官所也。百姓番也。関なにとやら云村也。正厳・尾花沢の間、村有。是、野辺沢へ分る也。正ごんの前に大夕立に逢。昼過、清風へ着、一宿す。

○十八日 昼、寺にて風呂有。小雨す。それより養泉寺移り居。

○十九日 朝晴る。素英、なら茶賞す。夕方小雨す。

二日 小雨。

二一日 朝、小三良へ 被レ招。同晩、沼沢所左衛門へ被レ招。此の夜、清風に宿。

二二日 晩、素英へ 被レ招。

二三日の夜、秋調へ 被レ招。日待也。その夜清風に宿す。

二四日之晩、一橋、寺にて持賞す。十七日 より終日晴明の日なし。
 ○秋調 仁左衛門。○素英 村川伊左衛門。 ○一中 町岡素雲。
 ○一橋 田中藤十良。遊川 沼沢所左衛門。東陽 歌川平蔵。
 ○大石田、一栄 高野平右衛門。○同、川水 高桑加助。○上京、鈴木宋専、俳名似林、息小三良。新庄、渋谷甚兵へ風流。

大石田、高野平右衞門亭ニテ
五月雨を集て凉し最上川     翁
岸にほたるつなぐ舟杭       一榮
爪畠いざよふ空に影待て      ソラ
里をむかひに桑の細道       川水
うしの子に心慰む夕間暮     一榮
水雲重しふところの吟       翁
佗笠を枕にたてゝ山颪       川水
松むすびをく國の境め       ソラ
永樂の舊き寺領を戴て       翁
夢とあはする大鷹の紙       一榮
たき物の名を曉とかこちたる   ソラ
爪紅うつる双六の石        川水
卷揚る簾にちごの這入て     一榮
煩ふ人に告る秋風         翁
水かはる井手の月こそ哀なれ   川水
碪打とて撰み出さる        ソラ
花の後花を織する花莚      一榮
ねはんいとなむ山陰の塔     川水
穢多村はうき世の外の春富て   翁
刀狩する甲斐の一亂        ソラ
八重葎(むぐら垣)人も通らぬ關所 川水
もの書度に削る松の風(木か)   一榮
星祭ル髪は白毛のかるゝ迄     ソラ
集に遊女の名をとむる月      翁
鹿苗にもらふもおかしぬり足駄  一榮
柴賣に出て家路忘るゝ       川水
ねむた咲木陰を晝のかげろいに  翁
たえだえならす万日のかね     ソラ
古里の友かと跡をふりかへし    川水
ことば論する船の乘合       一榮
雪みぞれ師走の市の名殘とて    ソラ
煤掃の日を草庵の客        翁
無人をふるき懐紙にかぞへられ  一榮
やまめがらすもまよふ入逢     川水
平包明日も越べき峯の花      翁
山田の種を祝ふ村雨        ソラ

○二五日 折々小雨す。大石田 より川水入来、連衆故障有て俳なし。夜に入、秋調にて庚申待にて被レ招。

二六日 昼より於レ遊川 に東陽持賞す。此日も小雨す。

二七日 天気能。辰の中尅、尾花沢を立て 、立石寺へ趣。清風より馬にて館岡迄 被レ送る。尾花沢。二り、元飯田。一り、館岡。一り、六田。 馬次間に内蔵に逢。二りよ、天童(山形へ三り半)。一り半に近し、山寺。未の下尅に着。宿預り坊。其日、山上・山下巡礼終る。是より山形へ三り。
山形へ趣かんして止む。是より仙台へ趣路有。関東道、九十里余。

立石の道ニテ
まゆはきを俤にして紅ノ花    翁
立石寺
山寺や石にしみつく蝉の聲    翁

二八日 馬借て天道に趣。六田にて、又内蔵に逢。立寄ば持賞す。 未の中尅、大石田一英(栄)宅に着。両日共に危して雨不降。上(本)飯田 より壱り半。川水出合。其夜、労に依て無俳。休す。

二九日 夜に入小雨す。発一巡終て、翁両人誘て黒滝へ被レ参詣。予所労故、止。未尅被レ帰。道々俳有。夕飯、川水に持賞。夜に入、帰。
○晦日  朝曇、辰刻晴。歌仙終。翁其辺へ被レ遊、帰、物ども被レ書。
○六月朔 大石田を立。辰刻、一栄・川水、弥陀堂迄送る。馬弐疋、舟形迄送る。二り。一り半、舟形。大石田より出手形を取、なき沢に納通る。 新庄より出る時は新庄にて取りて、舟形にて納通。両所共に入には不レ構。二り八丁新庄、風流に宿す。

二日 昼過より九郎兵衛へ被レ招。彼是、歌仙一巻有。盛信。息、塘夕、渋谷仁兵衛、柳風共。孤松、加藤四良兵衛。如流、今藤彦兵衛。木端、小村善衛門。風流、渋谷甚兵へ 。

新庄

御尋に我宿せばし破れ蚊や    風流
はじめてかほる風の桾ィ     芭蕉
菊作り鍬に薄を折添て      孤松
霧立かくす虹のもとすゑ     ソラ
そゞろ成月に二里隔けり     柳風
馬市くれて駒むかへせん     筆
すゝけたる父が弓矢をとり    傳翁
筆こゝろみて判を定る      流
梅かざす三寸もやさしき唐瓶子  良
簾を揚てとをすつばくら     如柳
三夜さ見る夢に古郷のおもはれし 木端
浪の音聞嶋の墓はら風
雪ふらぬ松はをのれとふとりけり 柳
萩踏しける猪のつま       翁
行盡し月を燈の小社にて     松
疵洗はんと露そゝくなり     端
散花の今は衣を着せ給へ     翁
陽炎消る庭前の石        良
樂しみと茶をひかせたる春    水流
果なき戀に長きさかやき     端
袖香爐煙は絲に立添て      風
牡丹の雫風ほのか也       柳
老僧のいで小盃初んと      翁
武士亂レ入東西の門       良
自鹿も鳴なる奧の原       端
羽織に包む茸狩の月       流
秋更て捨子にかさん菅の笠    柳
うたひすませるみのゝ谷ぐみ   翁
乘放牛を尋る夕間夕       風
出城の裙に見ゆるかゞり火    端
奉る供御の肴も疎にて      翁
よごれて寒き彌宜の白張     流
ほりほりし石のかろとの崩けり  風
知らざる山に雨のつれづれ    柳
咲かゝる花を左に袖敷て     端
鶯かたり胡蝶まふ宿       良

風流亭

水の奥氷室尋る柳哉       翁
ひるがほかゝる橋のふせ芝風流
風渡る的の變矢に鳩鳴て     ソラ

盛信亭

風の香も南に近し最上川     翁
小家の軒を洗ふ夕立(息)柳   風
物もなく麓は霧に埋て木     端

○三日 天気吉。新庄を立、一り半、元合海。次良兵へ方へ甚兵へ方 より状添る。大石田平右衛門方よりも状遣す。船、才覚してのする(合海より禅僧二人同船、清川にて別る。毒海ちなみ有)。一り半古口へ舟つくる。是又、平七方へ新庄甚兵へ より状添。関所、出手形、新庄より持参。平七子、呼四良、番所へ持行。舟つぎて、三り半、清川に至る。酒井左衛門殿領也。此間に仙人堂・白糸のたき、右の方に有。平七 より状添方の名忘たり。 状不レ添して番所有て、船よりあげず。一り半、雁川。三り半、羽黒手向荒町。申の刻、近藤左吉の宅に着。本坊より帰りて会す。本坊若王寺別当執行代和交院へ、大石田平右衛門 より状レ添。露丸子へ渡。本坊へ持参、再帰て、南谷へ同道。祓川の辺 よりくらく成。本坊の院居所也。
 
○四日 天気吉。昼時、本坊へ蕎麦切にて被レ招、会覚に謁す。并南部殿御代参の僧浄教院・江州円入に会す。俳、表計にて帰る。三日の夜、稀有観修坊釣雪逢、互に泣第す。


雲の峯幾つ萠レて月の山
掠風やほの三ヶ月の羽黒山
語れぬ湯殿にぬらす袂哉
月山や鍛冶が跡とふ雪清水    曾良
銭踏て世を忘れけりゆどの道
三ヶ月や雪にしらけし雲峯
羽黒山本坊ニおゐて興行。(元禄二、六月四日。)
有難や雪をかほらす風の音    翁
住程人のむすぶ夏草露丸
川船のつなに螢を引立て曾良
鵜の飛跡に見ゆる三ヶ月釣雪
澄水に天の浮べる秋の風珠妙
北も南も碪打けり梨水
眠りて昼のかげりに笠脱て    雪
百里の旅を木曾の牛追      翁
山つくす心に城の記をかゝん   丸
斧持すくむ神木の森       良
歌よみのあと慕行宿なくて    雪
豆うたぬ夜は何となく鬼     丸
古御所を寺になしたる檜皮葺   翁
絲に立枝にさまざまの萩     水
月見よと引起されて恥しき    良
髪あふがするうすものゝ露    翁
まつはるゝ犬のかざしに花折て  丸
的場のすゑに咲る山吹      雪
春を経し七ツの年の力石     翁
汲でいたゞく醒ヶ井の水     丸
足引のこしかた迄も捻蓑     圓入
敵の門に二夜寝にけり      良
かき消る夢は野中の地蔵にて   丸
妻戀するか山犬の聲       蕉
薄雪は橡の枯葉の上寒く     水
湯の香に曇るあさ日淋しき    丸
むささびの音を狩宿に矢を矧て  雪
篠かけしぼる夜終の法入
月山の嵐の風ぞ骨にしむ     良
鍛冶が火残す稲づまのかげ    水
散かいの桐に見付し心太     丸
鳴子をどろく片藪の窓      雪
盗人に連添妹が身を泣て     翁
いのりもつきぬ關々の神     良
盃のさかなに流す花の浪     曾覺
幕うち揚るつばくらの舞     水
芭蕉七梨水五
露丸八圓入二(江州、飯道寺)
ソラ六曾覺一(本坊)
釣雪六(花洛)
珠妙一(南部、法輪院)

○五日 朝の間、小雨す。昼より晴る。昼迄断食して註連かく。夕飯過て、先、羽黒の神前に詣。帰、俳、一折にみちぬ。

○六日 天気吉。登山。三り、強清水。二り、平清水。二り、高清。是迄馬足叶道(人家、小やがけ也)。弥陀原、こや有。中食す。(是よりふだら、にごり沢・御浜などヽ云へかける也。)難所成。御田有。行者戻り、こや有。申の上尅、月山に至。 先、御室を拝して、角兵衛小やに至る。雲晴て来光なし。夕には東に、旦には西に有由也。
 
○七日 湯殿へ趣。鍛冶やしき、こや有。本道寺へも岩根沢へも行也。 牛首こや有。不浄汚離、こヽにて水あびる。少し行て、はらじぬぎかゑ、手繦かけなどして御前に下る(御前よりすぐにしめかけ・大日坊へかヽりて鶴け岡へ出る道有)。是 より奥へ持たる金銀銭持て不レ帰。惣 而取落もの取上る事不レ成。浄衣・法冠・しめ計にて行。昼時分、月山に帰る。昼食して下向す。強清水迄光明坊 より弁当持せ、さか迎せらる。及暮、南谷に帰。甚労る。
 △はらぢぬぎかへ場よりしづと云所へ出て、もがみへ行也。
 △堂者坊に一宿。三人、壱歩。月山、一夜宿。こや賃二文。方々役銭弐百文之内。散銭弐百文之内。彼是、壱歩銭不レ余。
 
○八日 朝の間小雨す。昼時より晴。和交院御入、申の刻に至る。
 
○九日 天気吉、折々曇。断食。及昼てしめあぐる。そうめんを進む。亦、和交院の御入て、飯・名酒等持参。申刻に至る。花の句を進て、俳、終。そら発句、四句迄出来る 。
 
○十日 曇。飯道寺正行坊入来、会す。昼前、本坊に至て、蕎切・茶・酒など出。未の上刻に及ぶ。道迄、円入 被レ迎。又、大杉根迄被レ送。祓川にして手水して下る 。左吉の宅より翁計馬にて、光堂迄釣雪送る。左吉同道。々小雨す。ぬるヽに不レ及。申の刻、鶴け岡長山五良右衛門宅に至る。粥を望、終て眠休して、夜に入て発句出て一巡終る。

元禄二年六月十日
七日羽黒に参籠して、
めづらしや山をいで羽の初茄子  翁
蝉に車の音添る井戸       重行
絹機の暮閙しう梭打て      曾良

閏彌生もすゑの三ヶ月      露丸
吾顔に散かゝりたる梨の花    行
銘を胡蝶と付しさかづき     翁

山端のきえかへり行帆かけ舟   丸
繁無里は心とまらず       良
粟ひへを日ごとの斎に喰飽て   翁
弓のちからをいのる石の戸    行
赤樫を母の記念に植をかれ    良
雀にのこす小田の刈初      丸
此秋も門の板橋萠れけり     行
赦免にもれて獨り見る月     翁
衣々は夜なべ(濁モト)も同じ寺の鐘 丸
宿クの女の妬きものかげ     良
婿入の花見る馬に打群て     行
舊の廓は畑に焼ける       丸

金銭の春も壹歩に改り      翁
奈良の都に豆腐始        行
此雪に先あたれとや釜場て    良
寝まきながらのけはひ美し    翁
遙けさは目を泣腫す筑紫船    丸
所々に友をうたせて       良
千日の庵を結小松原       行
蝸牛のからを踏つぶす音     丸
身は蟻のあなうと夢や覺すらん  翁
こけて露けきをみなへし花    行
明はつる月を行脚の空に見て   良
温泉かぞふる陸奥の秋風     蕉

初厂の比よりおもふ氷様     丸
山殺(ソギ)作る宮の葺かへ   良
尼衣男にまさる心にて      行
行かよふべき歌のつぎ橋     丸
花のとき啼とやらいふ呼子鳥   翁

艶に曇りし春の山びこ      良

○十一日 折々村雨す。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶す。
 
○十二日 朝の間村雨す。昼晴。俳、歌仙終る。
 ○羽黒山南谷方(近藤左吉・観修坊、南谷方也)・且所院・南陽院・山伏源長坊・光明坊・息平井貞右衛門。○本坊芳賀兵左衛門・大河八十良・梨水・新宰相。
 △花蔵院△正隠院、両先達也。円入(近江飯道寺不動院にて可レ尋)、(七の戸)南部城下、法輪陀寺内淨教院珠妙。
 △鶴け岡、山本小兵へ殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
 
十三日 川船にて坂田に趣。船の上七里也。陸五里成と。出船の砌、羽黒 より飛脚、旅行の帳面 被レ調、被レ遣。又、ゆかた二つ 被レ贈。亦、発句共も被レ為見。船中少し雨降て止。申の刻 より曇。暮に及て、坂田に着。玄順亭へ音信、留主にて、明朝逢。
 
○十四日 寺島彦助亭へ 被レ招。俳有。夜に入帰る。暑甚し。
 
○十五日 象潟へ趣。朝より小雨。吹浦に到る前よ より甚雨。昼時、吹浦に宿す。此間六り、砂浜、渡し二つ有。左吉状届。晩方、番所裏判済。

六月十五日、寺嶋彦助亭ニ而
凉しさや海に入たる最上川    翁
月をゆりなす浪のうき見る(寺嶋)詮道
黒かもの飛行庵の窓明て不    玉
麓は雨にならん雲きれ(長崎一左衞門)定連
かはとぢの折敷作りて市を待   ソラ
影に任する霄の油火(かゞや藤衞門)任曉
不機嫌の心に重き戀衣(八幡源衞門)扇風
末略ス
出羽酒田、伊東玄順亭ニ而
温海山や吹浦かけて夕凉     翁
みるかる磯にたゝむ帆莚不    玉
月出は關やをからん酒持て    曾良
土もの竈の煙る秋風       翁
しるしして堀にやりたる色柏   玉
あられの玉を振ふ蓑の毛     □
鳥屋籠る鵜飼の宿に冬の来て   翁
火を焼かげに白髪たれつゝ    玉
海道は道もなきまで切狹め    良
松かさ送る武隈の土産      翁
草枕おかしき戀もしならひて   玉
ちまたの神に申かねごと
御供して當なき吾もしのぶらん  翁
此世のすゑをみよしのに入    玉
あさ勤妻帯寺のかねの聲
けふも命と嶋の乞食       翁
憔たる花しちるなと茱萸折て   玉
おぼろの鳩の寝所の月
物いへば木魄にひゞく春の風   玉
姿は瀧に消る山姫        翁
剛力がけつまづきたる笹づたひ
棺を納るつかのあら芝      玉
初霜はよしなき岩を粧らん    翁
ゑびすの衣を縫々ぞ泣
明日しめん厂を俵に生置て    玉
月さへすごき陣中の市      翁
御輿は眞葛の奥に隠しいれ
小袖袴を送る戒の師       玉
吾顔の母に似たるもゆかしくて  翁
貧にはめらぬ家はうれども
奈良の京持傳へたる古今集    玉
花に符を切坊の酒蔵       翁
鶯の巣を立初る羽づかひ
蠶種うごきて箒手に取      玉
錦木を作りて古き戀を見ん    翁
ことなる色をこのむ宮達     良

○十六日 吹浦を立。番所を過ると雨降出る。一り、女鹿。是 より難所。馬足不通。 番所手形納。大師崎共、三崎共云。一り半有。小砂川、御領也。庄内預り番所也。入には不レ入手形。塩越迄三り。半途に関と云村有(是 より六郷庄之助殿領)。うやむやの関成と云。此間、雨強く甚濡。船小や入て休。
○昼に及て塩越に着。佐々木孫左衛門尋て休。衣類借りて濡衣干す。うどん喰。所の祭に付 而女客有に因て、向屋を借りて宿す。先、象潟橋迄行而、雨暮気色をみる。今野加兵へ、折々来て被レ訪。

象潟六月十七日朝雨降(十六日着、十八日ニ立。)
象潟の雨や西施がねむの花    翁

夕ニ雨止て、船ニて潟を廻ル
夕晴や櫻に凉む浪の花      翁

腰長汐
腰たけや脛ぬれて海凉し    翁
象潟や笘やの土座も明やすし   曾良
象潟や蜑の戸を敷磯凉(みノ岐阜彌三郎)低耳
象潟や汐焼跡は蚊のけぶり不   玉

十七日 朝、小雨。昼より止て日照。朝飯後、皇宮山蚶弥(満)寺へ行。道々眺望す。帰て所の祭渡る。過て、熊野権現の社へ行、躍等を見る。夕飯過て、潟へ船にて出る。加兵衛、茶・酒・菓子等持参す。帰て夜に入、今野又左衛門入来。象潟縁起等の絶たるを歎く。翁諾す。弥三郎低耳、十六日に跡より追来て、所々へ随身す 。

羽Kより被贈
忘るなよ虹に蝉鳴山の雪     曾覺
杉の茂りをかへり三ヶ月     芭蕉
磯傳ひ手束の弓を提て不     玉
汐に絶たる馬の足跡       曾良

○十八日 快晴。早朝、橋迄行、鳥海山の晴嵐を見る。飯終て立。あい風吹て山海快。暮に及て、酒田に着。
 
○十九日 快晴。三吟始。明二日、寺嶋彦助江戸へ被レ趣に因て状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被レ遣。予、杉風・深川長政へ遣す。

○二日 快晴。三吟。

○二一日 快晴。夕方曇。夜に入、村雨して止。三吟終。

○二二日 曇。夕方晴。

○二三日 晴。近江 や三良兵へへ 被レ招。夜に入、即興の発句有。

海川や藍風わか(ママ)る袖の浦 曾良

二四日 朝晴。夕より夜半迄雨降る 。

二五日 吉。酒田立。船橋迄被レ送。袖の浦 、向也。不玉父子・徳左・四良右・不白・近江や三郎兵・かゞや藤右・宮部弥三郎等也。未の尅、大山に着。状添而丸や義左衛門方に宿。夜雨降。
 
○二六日 晴。大山を立。酒田より浜中へ五り近し。浜中より大山へ三り近し。大山より三瀬へ三里十六丁、難所也。三瀬より温海へ三り半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢の辺に鬼かけ橋・立岩、色々の岩組景地有。未の尅、温海に着。鈴木所左衛門宅に宿。弥三良添レ状有。少手前 より小雨す。及レ暮、大雨。夜中、不レ止。
 
○二七日 雨止。温海立。翁は馬にて直に鼠け関 被レ趣。予は湯本へ立寄、見物して行。半道計の山の奥也。今日も折々小雨す。及レ暮、中村に宿す。
 
○二十八日 朝晴。中村を立、到蒲 (名に立程の無レ難所)。甚雨降る。追付、止。申の上刻に村上に着、宿借て城中へ案内。喜兵・友兵来て逢。彦左衛門を同道す。
 
○二九日 天気吉。昼時、喜兵・友兵来て(帯刀公より百疋給)、光栄寺へ同道。 一燈公の御墓拝。道にて鈴木治部右衛門に逢。帰、冷麦持賞。未の下尅、宿久左衛門同道にて瀬波へ行。帰、喜兵御隠居より被レ下物、山野等より之奇物持参。又御隠居より重之内被レ下。友右より瓜、喜兵内 より干菓子等贈。
 
七月朔日 折々小雨降る。喜兵・太左衛門・彦左衛門・友右等尋。 喜兵・太左衛門は被レ見立。朝之内、泰叟院へ参詣。巳の尅、村上を立。午の下尅、乙村に至る。次作を尋、甚持賞す。乙宝寺へ同道、帰てつゐ地村、息次市良方へ状添遣す。乙宝寺参詣前大雨す。即刻止。申の上尅、雨降出。及レ暮、つゐ地村次市良へ着、宿。夜、甚強雨す。朝、止、曇。
 
二日 辰の刻、立。 喜兵方より大庄や七良兵へ方へ之状は愚状に入、返す。昼時分より晴、あい風出。新潟へ申の上刻、着。一宿と云、追込宿之外は不レ借。大工源七母、有レ情、借。 甚持賞す。
 
○三日 快晴。新潟を立。馬高く、無用之由、源七指図に 而歩行す。 申の下刻、弥彦に着す。宿取て、明神へ参詣。
 
○四日 快晴。風、三日同風也。辰の上刻、弥彦を立。 弘智法印像為レ拝。峠より右へ半道計行。谷の内、森有、堂有、像有。二三町行て、最正寺と云所をのづみと云浜へ出て、十四、五丁、寺泊の方へ来りて左の谷間を通りて、国上へ行道有。荒井と云、塩浜より壱り計有。寺泊の方よりは 、わたべと云所へ出て行也。寺泊りの後也。壱り有。同晩、申の上刻、出雲崎に着、宿す。夜中、雨強降。
 
○五日 朝迄雨降る。辰の上刻止。出雲崎を立。間もなく雨降る。至柏崎に、天や弥惣兵衛へ弥三良状届、宿など云付るといへども、不快して出づ。道迄両度人走て止、不止して出。小雨折々降る。申の下尅、至鉢崎。宿たわらや六郎兵衛。
 
○六日 雨晴。鉢崎を昼時、黒井よりすぐに浜を通て、今町へ渡す。聴信寺へ弥三状届。忌中の由にて強て不止レ出。石井善次良聞て人を走す。不レ帰。 及再三、折節雨降出る故、幸と帰る。宿、古川市左衛門方を云付る。夜に至て、各来る。発句有。
 
○七日 雨不レ止故、見合中に、聴信寺へ被レ招。再三辞す。強招くに及レ暮。 昼、少之内、雨止。其夜、佐藤元仙へ招て俳有て、宿。夜中、風雨甚。
 
○八日 雨止。欲レ立。強て止て喜衛門饗す。饗畢、立。未の下刻、至高田。細川春庵より人遣して迎、連て来る。春庵へ不レ寄して、先、池田六左衛門を尋。客有。寺をかり、休む。又、春庵より状来る。頓 而尋。発句有。俳初る。宿六左衛門、子甚左衛門を遣す。謁す。
 
○九日 折々小雨す。 俳、歌仙終。
 
○十日 折々小雨。中桐甚四良へ 被レ招、歌仙一折有。夜に入て帰。夕方より晴。

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○十一日 快晴。暑甚し。巳の下尅、高田を立。五智・居多を拝。名立は状不レ届。直に能生へ通、暮て着。玉や五良兵衛方に宿。月晴。
 
○十二日 天気快晴。能生を立。早川にて翁つまづかれて衣類濡、川原暫干す。午の尅、糸魚川に着、荒や町、左五左衛門に休む。大聖寺そせつ師言伝有。母義、無事に下着、此地平安の由。申の中尅、市振に着、宿。
 
○十三日 市振立。虹立。玉木村、市振より十四五丁有。中・後の 堺、川有。渡て越中の方、堺村と云。加賀の番所有。出手形入の由。泊に到て越中の名所少々覚者有。入善に至て馬なし。人雇て荷を持せ、黒部川を越。雨つヾく時は山の方へ廻べし。橋有。壱り半の廻り坂有。昼過、雨為降晴。申の下尅、滑 河に着。暑気甚し。

西濱
小鯛さす柳凉しや海士がつま   同

かゞ入
早稻の香やわけ入右は有磯海   同

盆(同所)
熊坂が其名やいつの玉祭     同

○十四日 快晴。暑甚し。富山かヽらずして(滑川一り程来、渡てとやまへ別)、三り、東石瀬野(渡し有。大川)。四り半、はう生子(渡有。甚大川也。半里計)。 氷見へ欲レ行、不レ往。高岡へ出る。二り也。なご・二上山・いはせの等を見る。高岡に申の上刻着て宿。翁、気色不レ勝。 暑極て甚。不快同然。
 
十五日 快晴。高岡を立 。埴生八幡を拝す。源氏山、卯の花山也。くりからを見て、未の中刻、金沢に着。
京や吉兵衛に宿かり、竹雀・一笑へ通ず、艮(即)刻、竹雀・牧童同道にて来て談。一笑、去十二月六日死去の由。

一笑追善
塚もうごけ我泣聲は秋の風    同
玉よそふ暮のかざしや竹露    曾良

十六日 快晴。 巳の刻、かごを遣して竹雀より迎、川原町宮竹や喜左衛門方へ移る。段々各来る。謁す。
 
十七日 快晴。翁、源意庵へ遊。予、病気故、不レ随。今夜、丑の比より雨強降て、暁止。
 
十八日 快晴。
 
十九日 快晴。 各来。
 
二日 快晴。庵にて一泉饗。俳、一折有て、夕方、野畑に遊。帰て、夜食出て散ず。子の刻に成。
 
二一日 快晴。高徹に逢、薬を乞。翁は北枝・一水同道にて寺に遊。十徳二つ。十六四。
 
二二日 快晴。高徹見廻。亦、薬請。此日、一笑追善会、於□□寺興行。各朝飯後より集。予、病気故、未の刻より行。暮過、各に先達 而帰。 亭主丿松。
 
二三日 快晴。翁は雲口主にて宮の越に遊。予、病気故、不レ行。江戸への状認。鯉市・田平・川源等へ也。徹より薬請。以上六貼也。今宵、牧童・紅爾等願滞留。
 
二四日 快晴。金沢を立。小春・牧童・乙州、町はづれ迄送る。雲口・一泉・徳子等、野々 市迄送る。餅・酒等持参。申の上尅、小松に着。竹意同道故、近江やと云に宿す。北枝随レ之。夜中、雨降る。
 
二五日 快晴。欲に小松立一、所衆聞而以に北枝一留。立松寺へ移る。多田八幡へ詣でヽ、真(実)盛が甲冑・木曾願書を拝。終て山王神主藤井(村)伊豆宅へ行。有レ会。 終而此に宿。申の刻より雨降り、夕方止。夜中、折々降る。

(七月廿五日)小松山      王曾
しほらしき名や小枩吹荻薄    翁

二六日 朝止て巳の刻より風雨甚し。今日は歓生 へ方へ 被レ招。申の刻より晴。夜に入て、俳、五十句。終 而帰る。庚申也。

(廿六日)同歡水亭曾(雨中也。)

ぬれて行や人もおかしき雨の萩  翁
心せよ下駄のひゞきも萩露    ソラ
かまきりや引こぼしたる萩露   北枝

二七日 快晴。所の諏訪宮祭の由聞て詣。巳の上刻、立。斧卜・志挌等来て留といへども、立。伊豆尽甚持賞す。八幡への奉納の句有。真(実)盛が句也。予・北枝随レ之。
同晩 山中に申の下尅、着。泉屋久米之助方に宿す。山の方、南の方より北へ夕立通る。
 
二八日 快晴。夕方、薬師堂其外町辺を見る。夜に入、雨降る。
 
二九日 快晴。道明淵、予、不レ往。

元禄二年七月廿九日書之
再來ノ時ノ句。曾有。
爪紅粉は末つむ花のゆかり哉
貞室(若クシテ)彦左衞門ノ時、未廿餘トカヤ、加州山中ノ湯ヘ入テ、泉や又兵衞ニ被進俳諧ス。甚恥悔、京ニ歸テ始習テ名人トナル(一兩年過テ、來テ俳モヨホスニ、所ノ者布而習之。)。以後、山中ノ俳點領ナシニ致遣ス。(又兵ヘハ)今ノ久米之助祖父也。

晦日 快晴。道明が淵。
 
八月朔日 快晴。黒谷橋へ行。
 
二日 快晴。
 
○三日 雨折々降。及レ暮、晴。山中故、月不レ得に見一。夜中、降る。

山中ノ湯
山中や菊は手折らじ湯の薫    翁
秋の哀入かはる湯や世の氣色   ソラ
雲霧は峯の梢をつたへ來て
やがて時雨るゝ秋の山里
捨し身もいでゆの山にめぐり
來てよはひをのぶるかずにこそ入れ
しるしらぬ往來ひまなきゆの山に
うき世のさまを見する成けり


抱あげらるゝ藤の花ぶさ
○(第三)行春を扇に酒を扨あひて
皮たびの裏新敷踏すめり
○手を引ずりて上座定る
名殘とて取置ひなの顔を見て
○又泣入し癆咳のせき
もえかねる水風呂の下燒付て
○ひらき戸あをつろじ(濁モト)の細あいの□
右左り膳をすえてもさびしくて
○何ニもかニもうきはかね房
庵寺の縁にうすべり打しきて
○斗て渡す藥代の大豆
古寺や花より明るきんの聲
縁のざうりのしめる春雨
石ぶしに(細き)小鮎のちりをより分て

(花も奧有とかやよし野に深く吟じ入て、)
○大峯やよし野ゝ奧の花果

○春の夜は誰か初瀬の堂籠り
○むつかしき拍子も見えず里神樂
○海風に巴を崩す村千鳥
○(前書)いづくにかたふれ伏共萩の原

四日 朝、雨止。巳の刻、又降 而止。夜に入、降る。

五日 朝曇。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣。明日、於に小松に一、生駒万子為出会也。 従順して帰て、艮(即)刻、立。大正侍に趣。全昌寺へ申刻着、宿。夜中、雨降る。
 
六日 雨降。滞留。未の刻、止。菅生石(敷地と云)天神拝。将監湛照、了山。
 

○(同)なつかしやならの隣の時雨哉
○(全昌寺ニテ)終夜秋風聞や裏の山

○(サガ)破垣やわざと鹿子の通路
○(ゲン住庵)凉しさや此庵さへ住捨し
○松崎○向ノヨキ)
千那本福寺ニ宿シテ
足音もはるけき廊の下凉
六月十一日、石山ニ宿。
あやにくにすがれて勢田の螢哉

七日 快晴。辰の中刻、全昌寺を立。立花十町程過て茶や有。はづれ より右へ吉崎へ半道計。一村分て、加賀・越前領有。かヾの方よりは舟不レ出。越前領にて舟かり、向へ渡る。水、五六丁向、越前也。 (海部二り計に三国見ゆる)。下りには手形なくては吉崎へ不レ越。これより塩越、半道計。又、此村はづれ迄帰て、北潟と云所へ出。壱り計也。北潟 より渡し越て壱り余、金津に至る。三国へ二り余。申の下刻、森岡に着。六良兵衛と云者に宿す。
 
八日 快晴。森岡を日の出に立て、舟橋を渡て、右の方二丁計に道明寺村有。少南に三国海道有。それを福井の方へ十丁程往て、新田塚、左の方に有。これより黒丸見わたして、十三四丁西也。新田塚より福井、二丁計有。巳の刻前に福井へ出づ。 苻(府)中に至るとき、未の上刻、小雨す。艮(即)、止。申の下刻、今庄に着、宿。
 
九日 快晴。日の出過に立。今庄の宿はづれ、板橋のつめより右へ切て、木のめ峠に趣、谷間に入也。右は火 うちが城、十丁程行て、左り、かへる山有。下の村、かへると云。未の刻、つるがに着。先、気比へ参詣して宿かる。唐人が橋大和や久兵へ。食過て金け崎へ至る。山上迄二四五丁。夕に帰。かうのへの船かりて、色浜へ趣。海上四り。 戌刻、出船。夜半に色へ着。くがはなん所。塩焼男導て本隆寺へ行て宿。
 
朝、浜出、詠む。日連(蓮)の御影堂を見る。 十日 快晴 巳刻、便船有て、上宮趣、二り。これよりつるがへも二り。なん所。帰に西福寺へ寄、見る。申の中刻、つるがへ帰る。夜前、出船前、出雲や弥市良へ尋。隣也。金子壱両、翁へ可レ渡之旨申頼預置也。夕方より小雨す。頓 而止。
 
十一日 快晴。天や五郎右衛門尋て、翁へ手紙認、預置。五郎右衛門には不レ逢。巳の上尅、つるが立。午の刻より曇、涼し。申の中刻、木の本へ着。
 
十二日 少曇。木の下(本)を立。午の尅、長浜に至る。便船して、彦根に至る。城下を過て平田に行。禅桃留主故、鳥本に趣て宿す。宿かしかねし。夜に入、雨降。
 
十三日 雨降る。多賀へ参詣。鳥本より弐里戻る。帰て、摺針を越、関け原に至て宿。夕方、雨止。
 
十四日 快晴。関け原を立。野上の宿過て、右の方へ切て、南宮に至て拝す。不破修理を尋て別 龍霊社へ詣。修理、汚穢有て別居の由にて不レ逢。弟、斎藤右京同道。それよりすぐ道を経て、大垣に至る。弐里半程。如行を尋、留主。息、止て宿す。夜に入、月見してありく。 竹戸出逢。清明。
 
十五日 曇。辰の中尅、出船。とう山・此筋・千川・暗香への状残。翁へも残す。如行へ発句す。竹戸、脇す。未の尅、雨降出す。申の下尅、大智院に着。院主、西川の神事に 而留主。夜に入て、小寺氏へ行、道にて逢て、其夜、宿。

○十六日 快晴。森氏、折節入来。病躰談。七つ過、平右へ寄。夜に入、小芝母義理・彦助入来。道 より帰て逢て、玄忠へ行、及戌刻。其夜より薬用。
○十七日 快晴。
○十八日 雨降。
○十九日 天気吉。
●二日 同。
○二一日 同。
○二二日・二三日 快晴。
二四日 晴。
○二五日 巳下刻より降る。
○二六日 晴。
二七・八・九 晴。
九月朔日 晴。
二日 晴。大垣為レ行。今、申の尅より長禅寺へ行 而宿。海蔵寺に出会す。
●三日 辰の尅、立。乍レ行春老へ寄、及レ夕、大垣に着。天気吉。此夜、木因に会、息弥兵へを呼に遣せども不レ行。予に先達 而越人着故、これは行。
四日 天気吉。源兵へ、会に 而行。
五日 同。
六日 同。 辰尅出船。木因、馳走。越人、船場迄送る。如行、今一人、三り送る。餞別有。申の上尅、杉江へ着。予、長禅寺へ上て、陸をすぐに大智院へ到。舟は弱半時程遅し。七左・玄忠由軒来て翁に遇す
七日 七左・八良左・正?等入来。帰て七左残り、俳有。新内も入来。
 ○今宵、翁、八良左へ被レ行。今昼、川澄氏へ逢。請事有。寺へ帰て金三歩被レ越。木因来る。
八日 雨降る故、発足延引。俳有ども病気発して平臥す。
九日 快晴。出船。辰の刻、桑名へ上る。壱り余、暗く津に着。