嵯峨日記
48歳 もどる
元祿四辛未(しんび)卯月十八日、嵯峨にあそびて去來ガ落柿舍(らくししゃ)に到。凡兆(ぼんちょう)共ニ來りて、暮に及て京ニ歸る。予は猶暫(なほしばらく)とゝむべき由にて、障子つづくり、葎引(むぐらひき)かなぐり、舍中の片隅一間(ひとま)なる處伏處(ふしど)ト定ム。机一、硯、文庫、白氏集・本朝一人一首・世繼(よつぎ)物語・源氏物語・土佐日記・松葉集を置、并(ならびに)唐の蒔繪(まきえ)書たる五重の器にさまざまの菓子ヲ盛、名酒一壺(いっこ)盃を添たり。夜るの衾(ふすま)、調菜(ちょうさい)の物共、京より持來りて乏しからず。我貧賤をわすれてC閑ニ樂。
十九日 午半(うまなかば)、臨川寺ニ詣(けいす)。大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里につづけり。虚空藏(こきうぞう)に詣(もうづ)ル人往(ゆき)かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷(こがうやしき)と云有。都(すべ)て上下(かみしも)の嵯峨ニ三所有、いづれか慥(たしか)ならむ。彼(かの)仲国ガ駒をとめたる處とて、駒留の橋と去、此あたりに侍れは暫(しばらく)是によるべきにや。墓ハ三間屋の隣、藪の内にあり。しるしニ櫻を植たり。かしこくも錦繍綾羅(きんしょうりょうら)の上に起臥(おきふし)して、終(つひに)藪中(そうちゅう)の塵あくたとなれり。昭君村の柳、普女廟(ふじょびょう)の花の昔もおもひやらる。
うきふしや竹の子となる人の果
嵐山藪の茂りや風の筋
斜日に及て落舍ニ歸ル。凡兆京より來。去來京ニ歸る。宵より伏。
甘日 北嵯峨の祭見むと、羽紅尼來ル。
去來京より來ル。途中の吟とて語る。
つかみあふ子共の長(たけ)や麦畠
落柿舍は昔のあるじの作れるまゝにして、處々頽破ス。中/\に作みがかれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とどまれ。彫(ほりもの)せし梁(うつばり)、畫(えがけ)ル壁も風に破れ、雨にぬれて、竒石怪松も葎(むぐら)の下にかくれたるニ、竹高フ前に袖(ゆず)の木一(ひと)もと花芳(かんば)しけれは、
袖(ゆず)の花や昔しのばん料理の間
ほとゝきす大竹藪をもる月夜
尼羽紅
又やこん覆盆子(いちご)あからめさかの山
去來兄の室より、菓子・調菜の物なと送らる。
今宵は羽紅夫婦をとどめて、蚊屋(かや)一はりに上下(かみしも)五人舉(こぞ)リ伏たれば、夜もいねがたうて、夜半過よりをの/\起出て、昼の菓子・盃なと取出て、曉ちかきまてはなし明ス。去年(こぞ)の夏、凡兆が宅に伏したるに、二疊の蚊屋に四國の人伏たり。「おもふ事よつにして夢もまた四種(くさ)」と書捨たる事共など、云出してわらひぬ。明れは羽紅・凡兆京に歸る。去來猶とどまる。
廿一日 昨夜いねさりければ、心むつかしく、空のけしきもきのふに似ズ。朝より打曇り、雨折/\音信(おとづる)れば、終日(ひねもす)ねぶり伏たり。暮ニ及て去來京ニ歸る。今宵は人もなく、昼伏たれば、夜も寢られぬまゝに、幻住庵にて書捨たる反古(ほご)を尋出して清書。
廿二日 朝の間雨降。けふは人もなく、さひしきまゝにむだ書してあそぶ。其ことば、
「喪(も)に居る者は悲をあるじとし、酒を飮ものは樂(たのしみ)あるじとす。」「さびしさなくばうからまし」と西上人のよみ侍るは、さびしさをあるじなるべし。又よめる
山里にこは又誰をよふこ鳥
獨住むほどおもしろきはなし。長嘯隱士(ちょうしゅういんし)の曰、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又
うき我をさひしからせよかんこどり
とは、ある寺に獨居て云し句なり。
暮方去來より消息ス。
乙州ガ武江より歸り侍るとて、旧友・門人の消息共あまた届。其内曲水状ニ、予ガ住捨し芭蕉庵の旧き跡尋て、宗波に逢由(あうよし)。
昔誰小鍋洗(あらひ)しすみれ艸(ぐさ)
又いふ、
「我か住(すむ)所、弓杖(ゆんづえ)二長(ふたけた)計(ばかり)にして楓(かえで)一本(ひともと)より外はき色を見ず」
と書て、
若楓茶色になるも一盛(ひとさかり)
嵐雪か文ニ
狗脊(ぜんまい)の塵にえらるゝ蕨(わらび)哉
出替りや稚(おさな)ごゝろに物哀(ものあはれ)
其外の文共、哀なる事、なつかしき事のみ多し。
廿三日
手をうては木魂に明る夏の月
竹(の子)や稚(おさなき)時の繪のすさみ
一日/\麥あからみて啼雲雀
能なしの寢たし我をきやう/\し
題落柿舍 凡兆
豆植る畑も木部屋も名所哉
暮に及て去來京より來ル。
膳所(ぜぜ)昌房ヨリ消息。
大津尚白ヨリ消息有。
兆京來ル。堅田本福寺訪テ其(夜)泊。
兆京に歸ル。
廿五日
千那大津ニ歸。
史邦・丈草被訪。
題落柿舍 丈艸
深對峨峯伴鳥魚
就荒喜似野人居
枝頭今欠赤きゅう卵
葉分頭堪學書
尋小督墳 同
強攪怨情出深宮
一輪秋月野村風
昔年僅得求琴韻
何處孤墳竹樹中
芽出しより二葉に茂るの實(さね) 史邦
途中吟
杜宇(ほととぎす)啼や榎(えのき)も梅瓔 丈艸
黄山谷之感句
杜門句陳無已 對客揮毫奏少游
乙州來りて武江の咄(はなし)。并(ならびに)燭五分俳諧一卷、其内ニ、
半俗の膏藥入は懷に
臼井の峠馬そかしこき 其角
腰の簣(あじか)に狂はする月
野分より流人に渡ス小屋一 同
宇津の山女に夜着を借て寢る
僞(いつはり)せめてゆるす精進
申ノ時計(ばかり)ヨリ風雨雷霆(てい)、雹(ひょう)降ル。雹ノ大イサ三分匆有。
龍(たつ)空を過る時雹(ひょう)降。
大ナル、カラモヽノゴトク少キハ柴栗ノゴトシ。
廿六日
芽出しより二葉に茂るの實 史邦
畠の塵にかゝる卯の花 蕉
蝸牛頼母しけなき角振て 去
人の汲間を釣瓶待也 丈
有明に三度飛脚の行哉らん 乙
廿七日
人不來、終日得閑。
廿八日
夢に杜國か事をいひ出して、涕泣して覺ム。
心神相交時は夢をなす。陰盡(いんつき)テ火を夢見、陽衰(ようおとろへ)テ水を夢ミル。飛鳥髮をふくむ時は飛るを夢見、帶を敷寢(しとね)にする時は蛇(へび)を夢見るといへり。睡枕記・槐安國・莊周夢蝶、皆其理有テ妙をつくさず。我夢は聖人君子の夢にあらず。終日忘想散乱の氣、夜陰夢又しかり。誠に此のものを夢見ること、謂所念夢也。我に志深く伊陽旧里(ふるさと)迄したひ來りて、夜は床を同しう起臥(おきふし)、行脚の勞をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時は悲しび、その志我心裏に染みて、忘るる事なければなるべし。覺(さめ)て又袂をしぼる。
廿九日 一人一首奧州高舘ノ詩ヲ見ル。
晦日 高舘聳天星似胄、衣川通海月如弓。其地風景聊以不叶。古人とイへ共、不至其地時は不叶其景。
朔
江州平田明昌寺李田被問。
尚白・千那消息有。
竹ノ子や喰殘されし後の露 李由
頃日の肌着身に付卯月哉 尚白
遣 岐
またれつる五月もちかし聟粽 同
二日
曾良來リテよし野ゝ花を尋て、熊野に詣侍るよし。
武江旧友・門人のはなし、彼是取ませて談ズ。
くまの路や分つゝ入ば夏の海 曾良
大峯やよしの(の)奧を花の果
夕日にかゝりて。大井川に舟をうかべて、嵐山にそふて戸難瀬をのぼる。雨降り出て、暮ニ及て歸る。
一 三日
昨夜の雨降つゝきて、終日夜やます。猶其武江の事とも問語。既に夜明。
一 四日
宵に寢ざりける草臥(くたびれ)に終日臥。昼より雨降止ム。
明日は落柿舍を出んと名殘をしかりければ、奧・口の一間/\を見廻りて、
五月雨や色帋(しきし)へぎたる壁の跡