野ざらし紀行 1684年
41歳 もどる
千里に旅立ちて、路粮(みつかて)をつゝまず、三更月下(さんこうげっか)無何(むか)に入ると云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享(ていきょう)甲子(きのえね)秋八月江上の破屋を出づる程、風の声そゞろ寒げ也。
野ざらしを心に風のしむ身哉
秋十とせ却(かえっ)て江戸を指古郷
関越ゆる日は、雨降りて、山皆雲にかくれけり。
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き
何某千里(ちり)と云けるは、此たび路のたすけとなりて、萬いたはり心を尽し侍る。常に莫逆(ばくげき)の交(まじはり)ふかく、朋友信有哉此人。
深川や芭蕉を富士に預け行く 千里
富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の、哀げに泣く有り。此の川の早瀬にかけて浮世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命まつ間と、捨て置きけむ、小萩がもとの秋の風、こよひや散るらん、あすやしほれんと、袂(たもと)より喰物なげて通るに、
猿を聞く人捨子に秋の風いかに
いかにぞや、汝父に悪(にく)まれたるか、母に疎(うと)まれたるか。父は汝を悪むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。唯これ天にして、汝が性(さが)の拙なきを泣け。
大井川越ゆる日は、終日雨降りければ、
秋の日の雨江戸に指おらん大井川 千里
馬上吟
道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
二十日余りの月のかすかに見えて、山の根ぎはいと闇きに、馬上に鞭(むち)を垂れて、数里いまだ鶏鳴(けいめい)ならず。杜牧(とぼく)が早行の残夢、小夜の中山に到りて忽(たちまち)驚く。
馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり
松葉屋風瀑(ふうばく)が伊勢に有りけるを尋ね音信(おとず)れて、十日ばかり足を留む。
腰間に寸鉄をおびず、襟(えり)に一嚢(いちのう)を懸けて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵(ちり)あり。俗に似て髪なし。我僧にあらずといへども、浮屠(ふと)の属にたぐへて、神前に入る事をゆるさず。
暮れて外宮に詣で侍りけるに、一の鳥居の陰ほのぐらく、御燈(みあかし)処々に見えて、また上もなき峰の松風、身にしむばかり、深き心を起して、
みそか月なし千とせの杉を抱くあらし
西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに、
芋洗ふ女西行ならば歌よまむ
其の日のかへさ、ある茶店に立寄りけるに、てふといひける女、あが名に発句せよと云ひて、白き絹出しけるに書付け侍る。
蘭(らん)の香やてふの翅(つばさ)にたき物す
閑人の茅舍(ぼうしゃ)をとひて
蔦植(つたうえ)て竹四五本のあらし哉
長月の初め、故郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯れ果てて、今は跡だになし。何事も昔にかはりて、はらからの鬢(びん)白く、眉(まゆ)皺よりて、たゞ命有りてとのみ揖日云ひて言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、母の白髮(しらが)をがめよ、浦島の子が玉手箱、汝が眉もやゝ老いたりと、しばらく泣きて、
手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜
大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云ふ所にいたる。彼の千里が旧里(ふるさと)なれば、日ごろとゞまりて足を休む。
わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく
二上山当麻寺に詣でて、庭上の松を見るに、凡(およ)そ千歳もへたるならん。大いさ牛をかくす共いふべけん。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤(ふきん)の罪を免がれたるぞ、幸にしてたつとし。
僧朝顔幾死にかへる法(のり)の松
独り吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く白雲峯に重なり、煙雨谷を埋(うづ)んで、山賤(やまがつ)の家所々にちひさく、西に木を伐る音東に響き、院々の鐘の声心の底にこたふ。昔より此の山に入りて世を忘れたる人の、多くは詩にのがれ、歌にかくる。いでや唐土(もろこし)の廬山といはんもまたむべならずや。
ある坊に一夜をかりて
砧打つて我に聞せよや坊が妻
西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町ばかり分け入るほど、柴人(しばびと)の通ふ道のみわづかに有りて、さがしき谷を隔てたる、いとたふとし。かのとく/\の清水は昔にかはらずとみえて、今もとく/\と雫落ちける。
露とく/\心みに浮世すゝがばや
若しこれ扶桑に伯夷(はくい)あらば、必ず口をすすがん。もしこれ許由に告げば、耳を洗はん。
山を登り坂を下るに、秋の日既に斜になれば、名ある所々見残して、まづ後醍醐帝の御廟を拝む。
御廟年を経て忍は何をしのぶ草
大和より山城を経て、近江路に入て美濃に至る。今須・山中を過ぎて、いにしへ常盤の塚有り。伊勢の守武がいひける、義朝殿に似たる秋風とは、いづれの処か似たりけん。我も又、
義朝の心に似たりあきの風
不破
秋風や藪も畠も不破の関
大垣にとまりける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出でし時、野ざらしを心に思ひて旅立ちければ、
死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮
桑名本当寺にて
冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす
草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたへ出でて、
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
熱田に詣づ
社頭大いに破れ、築地は倒れて草むらにかくる。かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、ここに石を据えて其の神と名のる。よもぎ・しのぶ、こころのまゝに生えたるぞ、なか/\にめでたきよりも心とまりける。
しのぶさへ枯れて餅かふやどり哉
名護屋に入る道のほど諷吟す。
狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
草枕犬も時雨るゝかよるのこえ
雪見にありきて
市人(いちびと)よこの笠うらう雪の傘
旅人を見る
馬をさへながむる雪の朝哉
海辺に日暮して
海くれて鴨のこえほのかに白し
爰(ここ)に草鞋(わらじ)をとき、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮ければ、
年暮ぬ笠きて草鞋はきながら
といひ/\も山家に年を越して、
誰が聟(むこ)ぞ歯朶(しだ)に餅おふうしの年
奈良に出づる道のほど
春なれや名もなき山の朝霞
二月堂に籠りて
水とりや氷の僧の沓(くつ)の音
京にのぼりて、三井秋風が鳴滝の山家をとふ。
梅林
梅白し昨日や鶴(つる)を盗まれし
樫の木の花にかまはぬすがたかな
伏見西岸寺任口上人に逢うて
我がきぬにふしみの桃の雫せよ
大津に出づる道、山路を越えて
山路来て何やらゆかしすみれ草
湖水の眺望
辛崎の松は花より朧(おぼろ)にて
水口にて二十年を経て、古人に逢ふ
命二つの中に生きたる桜哉
伊豆の国蛭(ひる)が小島の桑門、これも去年(こぞ)の秋より行脚しけるに我が名を聞きて草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡をしたひ来たりければ、
いざともに穂麦喰らはん草枕
此の僧我に告げていはく、円覚寺大顛和尚今年睦月の初め、遷化(せんげ)し給ふよし。まことや夢の心地せらるゝに、まづ道より其角が許へ申し遣しける。
梅こひて卯花拝むなみだ哉
杜国におくる
白げしに羽もぐ蝶の形見哉
二たび桐葉子(とうようし)がもとに有りて、今や東に下らんとするに、
牡丹蘂(しべ)ふかく分け出る蜂の名残哉
甲斐の山中に立ちよりて、
行く駒の麦に慰むやどり哉
卯月の末、庵に帰りて旅のつかれをはらすほどに、
夏衣いまだ虱(しらみ)をとりつくさず