鹿島紀行
    1687年44歳        もどる

 洛(らく)の貞室、須磨の浦の月見にゆきて、「 松かげや月は三五や中納言」と云けむ、狂夫のむかしもなつかしきまゝに、此
秋、かしまの山の月見んと思ひ立つ事あり。伴ふ人ふたり、浪客(ろうかく)の士ひとり、一人は水雲の僧。僧はからすのごとくなる墨の衣に、三衣の袋をえりにうちかけ、出山の尊像をづしにあがめ入てうしろに背負、柱杖ひきならして、無門の関もさはるものなく、あめつちに独歩していでぬ。今ひとりは僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠(ちょうそ)の間に名をかうぶりの、鳥なき島にもわたりぬべく、門より舟にのりて、行徳といふ処にいたる。
舟をあがれば、馬にものらず、ほそはぎのちからをためさんと、かちよりぞゆく。甲斐の国より或人の得させたる、檜もてつくれる笠を、おのおのいたゞきよそひて、やはたと云里を過れば、かまかいの原といふ所、ひろき野あり。秦甸(しんでん)の一千里とかや、目もはるかに見わたさるゝ。筑波山むかふに高く、二峰並び立り。かの唐土に双剣のみねありときこえしは廬山(ろざん)の一隅也。
 ゆきは申さずまづむらさきのつくば哉
と詠(ながめ)しは、我門人嵐雪が句也。すべてこの山は日本武尊(やまとたけるのみこと)の言葉をつたへて、連歌する人のはじめにも名付たり。和歌なくばあべからず、句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。
  萩は錦を地にしけらんやうにて、ためなかが長櫃(ながびつ)に折入て、都のつとに持せけるも、風流にくからず。きちかう・女郎花(おみなえし)・かるかや・尾花みだれあひて、さを鹿のつまこひわたる、いとあはれ也。野の駒、ところえがほにむれありく、又あはれなり。
 日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此川にて、鮭の網代と云ものをたくみて、武江の市にひさぐもの有り。よひのほど、其の漁家に入てやすらふ。よるのやど、なまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟さし下して、鹿島にいたる。
 ひるより雨しきりに降て、月見るべくもあらず。麓に、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此所におはしけると云を聞て、尋ね入てふしぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけむ、しばらく清浄の心をうるに似たり。
 暁の空、いさゝかはれけるを、和尚おこし驚し侍れば、人々起出ぬ。月の光、雨の音、ただあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。はるばると月見に来たるかひなきこそ、ほいなきわざなれ。かの何がしの女すら、ほととぎすの歌得よまで帰りわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならんかし。
                和尚
 おりおりにかはらぬ空の月かげも
      ちゞのながめは雲のまにまに
 月はやし梢は雨を持ながら   桃青
 寺に寝てまこと顔なる月見哉  同
 雨に寝て竹おきかへるつきみかな ソラ
 月さびし堂の軒端の雨しづく  宗波
   神前
 此松の実ばへせし代や神の秋  桃青
 ぬぐはゞや石のおましの苔の露 宗波
 膝折るやかしこまりなく鹿の声 ソラ
   田家
 かりかけし田面の鶴や里の秋  桃青
 夜田かりに我やとはれん里の月 宗波
 賤の子や稲すりかけて月をみる 桃青
 芋(いも)の葉や月待里の焼ばたけ 桃青
   野
 もゝひきや一花ずりの萩ごろも ソラ
 はなの秋草に喰あく野馬かな  ゝ
 萩原や一夜はやどせ山の犬   桃青
   帰路自準に宿す
 塒(ねぐら)せよわらほす宿の友すゞめ 主人
  秋をこめたるくねの指杉   客
 月見んと汐引のぼる船とめて ソラ
 
  貞享丁卯秋末五日