貞享元年秋、1684年、芭蕉41歳、「 野ざらし紀行」の旅中の佐夜の中山での一文。
「馬上落ちんとして残夢残月茶の煙」、これが最初の案だったようだ。中国の故事からとった表現のようだが、馬上でのうたた寝なのか、眠たい早朝なのか「馬上落ちんとして残夢残月」の方がが飛んでいる風狂で面白い。
碑のあるあたり一面は茶畑になっているが、「 茶の煙」とは何のことだろう。 馬から落ちんとして、見上げれば彼方のおぼろ月。霞んだ様子を茶の煙と詠んだのだろうか。 なにしおう「 小夜の中山」を芭蕉は馬で越えたようだ。
武田信玄の出城だったといわれている諏訪原城跡を過ぎ、結構きついが気持ちの良い上り下りの山道が続いていく。馬上で気持ちよさそうにうとうとしている芭蕉のイメージが実感としてわかる。
小夜の中山公園に西行の歌碑がある。
「東の方へ相識りたりける人の許へまかりけるに、小夜の中山見しことの昔になりける思ひ出でられて
年たけてまたこゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山 」

「馬に寝て」の詞書

はつかあまりの月かすかにみえて、やまの根ぎはいとくらく、こまの蹄(ひづめ)もたどたどしければ、落ちぬべき事あまたたびなりけるに、彼(かの)「数里いまだ鶏鳴ならず」と云けむ杜牧(とぼく)が早行の残夢、さよの中山にてたちまち驚く。           ばせを

 馬に寝て残夢月とをしちやのけぶり

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