貞亨5年4月、1688年、芭蕉45歳。「 笈の小文」で須磨を訪れた時の作。「夏はあれど」の詞書(須磨の夏)と同じタイミングでつくられたものか。
芭蕉は明石には泊まらず、須磨だったらしいが、「あかしに泊まる」というのも俳諧的真実か。
この句がとてもいい。蛸壺は素焼きの壺で、縄で繋ぎ合わせ、昼のうちに海底に沈め、翌朝引き上げる。蛸は岩穴かと想い蛸壺に入り眠っているところを捕まってしまう。
「平家物語」の舞台でもあった明石に、蛸の運命のはかなさをみつけ、「蛸壺のユーモラスなイメージにペーソスを配した」、いかにも俳諧的な句ということになる。
「はかなき夢」も「 夏の月」も「 はかなさ」のイメージだが、「蛸壺」の蛸と結びつける意表。「はかなき夢」は滅亡した平氏の夢だけなのだろうか。芭蕉も同様、生きてあるものすべてのもののそれであろう。「はかなき夢」は「
蛸壺」のようなものか。