元禄二年1689年八月二日。芭蕉46歳。
芭蕉は金沢の門弟の北支とともに山中から小松に向かおうとしたとき、体調を崩して一足先に伊勢に向かった曾良と別れた。芭蕉も深川から同行した頼れる曾良との別れに、さすがに「心ぼそかった」ようだ。
「跡あらむたふれ臥とも花野原」という曾良の句を載せているがこれは初案。
「いずくにかたふれ伏す共萩の原」 が再案。
「おくのほそ道」では「行行てたふれ伏すとも萩の原」となっている。
この句のベースは、西行の「いづくにかねぶりねぶりてたふれ臥さんと思う悲しき道芝の露」 であることはいうまでもない。

「さびしげに」の詞書

同行なりける曾良、みちより心地煩しなりて、我より先にいせのくにへ行とて、「跡あらむたふれ臥とも花野原」といふ事を書置侍るをみて、いと心ぼそかりければ、
 さびしげに書付消さんかさの露
           ばせを

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