落柿舎記

洛の何某(なにがし)去来が別墅(べつしよ)は、下嵯峨の藪のなかにして、嵐山のふもと、大井川の流に近し。此地閑寂の便りありて、心すむべき処なり。彼去来物ぐさきおのこにて、窓前の艸高く、数珠(すしゆ)の柿の木枝さしおほひ、五月雨漏尽して、畳・障子かびくさく打臥処もいと不自由なり。日かげこそかへりてあるじのもてなしとぞなれりけれ。

 五月雨や色帋へぎたる壁の跡
         芭蕉庵桃青


元禄四年1691年5月。芭蕉48歳。
幻住庵に暮らした後、京都の凡兆宅から、去来の別宅、落柿舎(らくししゃ)へ。そこで16日間ほど滞在し、「嵯峨日記」を記した。去来は、あの「去来抄」 を残した向井去来。
去来は芭蕉の門下で、芭蕉を落柿舎に迎えた。「物ぐさ」な風流人だったようで、別宅もあまり手が入っていなかったようで、草は伸び放題、雨は漏るし、畳も障子もかび臭く、寝床にも不住するような別墅だった。日陰の場所があるのが主のもてなしというものか。
外は五月雨、湿っぽい壁に貼ってあった色紙がはげかかっている。これもまあ風流か。
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