貞享5年8月15日、1688年、芭蕉45歳。「 更科紀行」の旅の折りの作。捨山は、長野県更埴市の冠着山(かむりきやま)の別名、観月の名所。
「大和物語」にのる話しに拠る。昔、更科に住む一人の男が親代わりの姨を養っていたが、嫁がいやがるので、是非もなく、中秋の名月の夜、その姨を山深いところに捨ててくる。しかし、深夜、後悔して「 我が心慰めかねつさらしなや姥捨山に照る月をみて」といって、再び姨をわが家に連れ戻したという。
芭蕉も「 なぐさめかねつ」を引いている。
篠ノ井線・姥捨の駅からの眺望は日本の駅の中で第二位だそうだ。なるほど眺めはすばらしいが、ただそれだけではつまらない。スイッチバック式の駅という仕掛けもある。もうひとつ、 姥捨の駅を有名にしているものがある。姥捨て伝説と駅のホームからの棚田の眺め。姥捨て伝説と千枚田に写る「田毎(たごと)の月」。


「おもかげや」句文

おばすて山は善光寺にむかひあひて、東西に横をれたり。さすがにすさまじう高くもあらず、かど/\しき岩などもみえず、ただ哀れふかき山のすがたなり。「 なぐさめかねし」といひけん昔のこと、まづおもひいづ。
                               ばせを
 おもかげやうばひとり泣月の友

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