貞亨5年4月、1688年、芭蕉45歳。「 笈の小文」で須磨を訪れた時の作。

須磨は昔から秋があわれ深いとされる。それを芭蕉は夏に訪れた。やはり「心にもののたらぬけしき」ではある。
夏はあっても、やはり何かがたりない、須磨の月。
「笈の小文」では「 月はあれど留守のよう也須磨の夏」と、「夏」と「月」の位置が入れ替わっている。「笈の小文」の表現のほうがしっくりくるように思う。

「夏はあれど」の詞書(須磨の夏)

卯月(うづき)の中比、須磨の浦一見す。うしろの山は青ばにうるはしく、月はいまだおぼろにて、はるの名残もあはれながら、ただ此浦のまことは秋をむねとするにや、心にもののたらぬけしきあれば、
                ばせを
 夏はあれど留守のよう也須磨の月

 

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