元禄2年、1689年、芭蕉46歳、「 おくのほそ道」の旅に出るさい、深川の草庵を人に譲るときの俳文。
侘しい草庵も、娘やまごのある華やいだ家族に譲り渡すことになった。
「おくのほそ道」では、 「草の戸も住みかわる世や雛(ひな)の家」が、「 草の戸も住替る代ぞ雛(ひな)の家」に変わる。
芭蕉はなぜ、住んでいた草庵を売り払ったのだろうか。旅資の足しにするつもりなのか、旅に生きることへの覚悟、定住への決別か。
奥の細道の旅から帰った芭蕉は、大津の幻住庵や嵯峨の落柿舎や門人の家などを渡り歩き、大阪で逝くことになる。芭蕉は江戸には戻っていないが、内縁の妻である寿貞は深川の芭蕉庵でなくなっている。「おくのほそ道」への旅立ちに際して、芭蕉庵は売り払ったのではなく、人に貸していたということなのか。

「草の戸も」の詞書(雛の家)

はるけき旅の空おもひやるにも、いささかもこころにさはらん、ものむつかしければ、日比(ひごろ)住みける庵を相しれる人にゆづりていでぬ。このひとなむ、つまをぐし、むすめ・まごなどもてるひとなりければ、

 草の戸も住みかわる世や雛(ひな)の家

もどる