「乞食(こつじき)の翁(おきな)」句文

 窓含西嶺千秋雪
 門泊東海万里船
我其句を識(しり)て、其心を見ず。その侘びをはかりて、其の楽(たのしび)をしらず。唯、老杜(ろうと)にまされるものは独り多病のみ。閑素茅舎(ぼうしゃ)の芭蕉にかくれて、自ら乞食の翁とよぶ。

 櫓声(ろせい)波を打ってはらわた氷る夜や涙
 暮くれてもちを木玉の侘寝哉

天和元年冬12月、1681年、芭蕉38歳。

深川に越してきた芭蕉は、くらい。くらいがしっかり自分を見ている。
窓には含む西嶺千秋雪
門には泊す東海万里船

貧寒な草庵のなかで杜甫の侘びを慕い、杜甫にまさるのは多病のみとおどけ、自分のことを「 乞食の翁」と呼ぶ。なにしろ弟子や門人の「喜捨」により生活しているのだから。
なぜ芭蕉は「乞食」の生活を選んだのか。俳諧の道を究めようとすること、仏門を極めようとすることは同じことなのか。なぜ「 乞食」なのか。
それはさておくとして、寒夜の草庵で独り櫓の音に耳を澄ますと、腸が凍るような悲寥の感につつまれ、不覚にも涙を落としてしまった。
侘びと貧寒の生活のなかから、俳諧の新しい道を模索する芭蕉。だが、自らを「乞食」にして新しい道は開けてくるのか。

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