元禄元年10月、1688年、芭蕉45歳、笠作りに興ずる。

芭蕉の笠作りは、旅にくれた西行や蘇東坡や杜甫の先人に繋がる方法である。スキーヤーやサーファーが板の手入れをしたり、バイク乗りがバイクの手入れをしたりするように、芭蕉の旅の必須アイテムであったらしい笠を自分で作っている。その姿は楽しそうだ。宮城野の露や呉天の雪を想い、急にあられや時雨がきても、この笠さえあれば大丈夫。旅をすることと生きることを同じことに見ようとする芭蕉には、笠作りは生きることそのものになる。
笠の裏に書き付けた。
よにふるも更に宗祇のやどり哉
風雅の伝統につながり、人生は旅であるという想いが表現される。 風狂の精神。

笠はり 2

草の扉(とばそ)に独りわびて、秋風のさびしきおりおり、妙観が刀を借、竹取の巧(たくみ)を得て、竹をさき竹を枉(ま)げて、自笠作りの翁と名乗る。巧ミ拙(つたな)ければ、日を尽くして不成(ならず)。心安からざれば、日をふるに懶(ものう)し。朝(あした)に帋(かみ)をもて張、夕にほしてまたはる。渋と云物にて色を染、いささかうるしをほどこして堅(かた)からん事をようす。廿日(はつか)過る程にこそややいできにけれ。笠の端の、斜に裏に巻入、外に吹返して、ひとへに荷葉(かえふ)の半開(なかばひらく)るに似たり。規矩(きく)の正しきより、中なかにおかしき姿也。彼(かの)西行の侘笠(わびがさ)か、坡翁雲天(はおううんてん)の笠か。いでや宮城野の露見にゆかん、呉天の雪に杖をひかん。霰(あられ)に急ぎ、時雨を待て、そぞろめでて、殊に興ず。興中(きょうちゅう)俄(にはか)に感ることあり。ふたたび宗祇の時雨にぬれて、自ラ筆をとりて、笠のうちに書付侍りけらし。

 よにふるも更に宗祇のやどり哉   桃青書
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