貞享3年冬、1686年、芭蕉43歳。

深川の芭蕉庵での閑居。「箴」(しん)は鍼(はり)で病を治すように過ちを風刺して戒める文体のこと。
物をもいはず、ひとり酒のみて、心にとひ、心にかたる。」独り酒を飲んで物思いにふけりたいが、 「月の夜、雪の朝」は友が尋ねてくるのは致し方ないことだ。雪を眺めながら、酒を飲み、筆をとって何かを書こうするが、何も浮かんでこない。
酒を飲んでも寝られそうもない、そんな雪の夜もある。芭蕉にしては、なんとストレートな句であることか。月や雪は、人の心のうちまで浄化してくれるものなのだろうか。俳諧の大御所にしてから、ひとり酒を飲みたい気分の時もあるのだ。
同じ頃の作に「月雪とのさばりけらしとしの昏」がある。他にも、雪だるまを作ったり、雪見に遊ぶ芭蕉の句がある。「きみ火をたけよき物見せむ雪まるげ」 (1686年) 「いざ出む雪みにころぶ処まで」(1687年)


閑居の箴(しん)

あら物ぐさの翁や。日比(ひごろ)は人のとひ来るもうるさく、人にもまみえじ、人をもまねかじと、あまたたび心にちかふなれど、月の夜、雪のあしたのみ、友のしたはるるもわりなしや。物をもいはず、ひとり酒のみて、心にとひ、心にかたる。庵の戸をおしあけて、雪をながめ、又盃(さかづき)をとりて、筆をそめ、筆をすつ。あら物ぐるおしの翁や。

 酒のめばいとど寝られぬ夜の雪
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