元禄元年1688年冬。芭蕉45歳。
この年の秋、芭蕉は越人と木曾・更科の旅にでて、越人はそのまま江戸深川芭蕉庵の食客となった。その後、越人は名古屋に帰るが、その時越人に与えた句文。
芭蕉は越人の人柄を愛した。街中で質素な暮らしを静かにおくり、 「二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日あそぶ」といった理想的な仕事と遊びぶりだったようだ。絵人は名古屋で染物屋を営んでいた。

越人におくる(「二人見し」句文)

尾張十蔵、越人と号す。越後の人なればなり。栗飯(くりはん)・柴薪(さいしん)のたよりに市中に隠れ、二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日あそぶ。性酒をこのみ、酔和する時は平家をうたふ。これ我友なり。
           芭蕉  二人見し雪は今年もふりけるか

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