天和元年秋、1681年、芭蕉38歳。

 杜甫や蘇東坡の詩境をしのびつつ、芭蕉の葉に雨音を聴きながら独り寝する。
 野分の風が激しく庭の芭蕉の葉を吹き荒らしている夜、草庵の内に独り座して盥(たらい)に漏れ落ちる雨音に耳を傾けていると、杜甫や蘇東坡の侘びの生活への想いも偲ばれる。

 芭蕉は、俳諧の新しみの表現に漢詩文を取り入れようとしていた時期がある。深川隠棲の頃である。俳諧との相性は、もともと詩的表現であるから、悪くはない。だが、芭蕉同様、私もいまひとつしっくりこない。和歌を漢詩文的には歌わないのと同様、俳諧の日本的風雅には漢詩文は合わないようだ。


「芭蕉野分して」の詞書

老杜(ろうと)、茅舎(ぼうしゃ)、波風の歌あり。波翁(はおう)ふたたび此の句を侘びて、屋漏(おくろう)の句作る。
其世の雨をばせをの葉にききて、独寝(ひとりね)の草の戸。

 芭蕉野分(のわき)して盥(たらひ)に雨をきく夜哉

 

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