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キー・コンピテンシーについてのノート
−自由な個人と成熟した社会のために−

2008.6 三浦@int


1.キー・コンピテン
シーとは何か


2.キー・コンピテン
シーの定義について


3.社会的に異質な集
団での交流

4.自立的に行動する
能力

5.社会・文化的、技
術的ツールを相互作
用的に活用する能力


6.キー・コンピテン
シーと学力


7.人生の成功

8.正常に機能する社


9.クオリティ・オブ
・ライフと正常に機
能する社会を両立さ
せるには






1.キー・コンピテンシーとは何か 


「キー・コンピテンシー 国際標準の学力を目指して」
OECD(経済協力開発機構)の『The Definition and Selection of KEY COMPETENCIES:Theoretical & Conceptual Foundation』=DeSeCo (コンピテンシーの定義と選択:その理論的・概念的基礎)明石書店 より

 PISAの学力調査などがきっかけになり、世界標準の「学力」についての関心が高まっている。日本の教育の中で「学力」の定義が曖昧、多義になっているからだろう。だが、今なぜ学力なのだろうか。近年、「学力低下」や「学力格差」がいわれ、子供たちの「学習からの逃走」といわれるような現象が指摘されている。学習することの意味が見失われているのか。だが、そもそも学力とは何なのか。これからの産業・情報社会や国際的な経済社会の中で、そこを生き抜いていかなければならない子供たちにどのような能力・学力が期待されているのか。学力低下や格差は、子供たちの問題であるよりも、大人たちの社会側の問題であるだろう。学習は、国家と社会が子供たちにその場を提供するものだが、学習そのものは子供たちの個人的な営為である。学ぶことや学力そのものを根底から捉えなおす作業が必要であろう。

 旧学力と新学力、教科的な領域的学力と観点別の学力、見えやすい学力と見えにくい学力、基礎基本的な学力と生きる力的学力がある。そんな中でもうひとつ、世界標準的な学力といわれるものが、PISAの学力調査から提示された。
 PISA調査は、学校のカリキュラムをどの程度習得しているかを評価するものではなく、「知識や経験をもとに、自らの将来の生活に関する課題を積極的に考え、知識や技能を活用する能力があるか」をみるもので、「学校の教科で扱われる知識の習得を超えた部分まで評価しようとする」ものである。
もともとPISA調査は、「国際的に見て自国の教育の現状がどのような水準にあるのか、その位置づけを示す指標への要望」からスタートしている。「国として教育政策の成果を評価する必要」からその手段として期待されたものである。
 PISA型学力は、「知識や技能を活用する能力があるか」ということであり、現在と将来にわたって効果のある「活用」能力ともいえる。知識や技能の習得からその活用へと発展させているところに、従来の学力評価を越え出ている部分もあるが、これだけでは「なぜ活用なのか」「何のための活用なのか」見えてこない。
 同じOECDのDeSeCo(デセコ)プロジェクトは、より大きな学力概念によりPISA調査などに根拠をあたえようとする試みとされ、1997年にスタートし2003年には最終報告を出した。
 その成果が「キー・コンピテンシー」としてまとめられている。それが筆者がここで扱っているメインの資料である。DeSeCoプロジェクトでは「人生の成功と正常に機能する社会の実現を高いレベルで達成する個人の特性」を「キー・コンピテンシー」としてまとめた(暫定的な定義としつつも)としている。
学校教育に限定されがちな学力を、より大きく深い人間的能力観の枠組みで考え直しており、個人と社会の双方に利益をもたらすものという前提にたって、「価値ある個人的・社会的成果をもたらす能力」であるとしている。

 「学力」が目指すものを「価値ある個人的・社会的成果をもたらす能力」であるとしているが、これについては後の章でみていくことにする。このような基本的な課題に対してDeSeCoプロジェクトは真正面から取り組み、キー・コンピテンシーを、暫定的なものとしつつも個人の「人生における成功」や「正常に機能する社会」を目指すものとしてまとめきっている。
 では、「人生における成功」とは何か、「正常に機能する社会」とは何か。それらについても多角的な検討を経て、ひとつのまとまりのある方向性を提示している。筆者にはその妥当性について評価する力はないが、その率直で前向きな誠意には敬服せざるを得ない。

 コンピテンシーcompetency( 業績の高い人の行動特性)という言葉は、日本ではまだなじみが薄いがウキュペディアでは次のように説明している。
 「この手法は、特に企業などの人事考課に活用され、職種別に高い業績を上げている従業員の行動特性を分析し、その行動特性を評価基準とし従業員を評価することで、従業員全体の質の向上を図ることを目的としている。
 従来の日本型の人材評価は、「協調性」・「積極性」・「規律性」・「責任性」などから構成され、従業員の潜在的・顕在的能力を中心に評価していたが、能力が高いことが成果と繋がるわけではないので評価と会社への貢献度がリンクしないことがあった。」
 「ある職務や状況において、期待される業績を安定的・継続的に達成している人材に、一貫して見られる行動・態度・思考・判断・選択などにおける傾向や特性のこと。
 インタビューや観察などで確認できる能力であり、その職務において優秀な成績を挙げる要因となる特性を列挙したものである。通常は、その職務で必要となる知識や技能は除外して考える。」(Wikipediaより)

 DeSeCoの本書では、「企業においては、仕事ができる人とできない人の差異を調べて、実力のある人の特性をコンピテンシーの高い人」と呼びはじめているとして、その行動特性として次のような事柄をあげている。
1)異文化間の対人関係に対する感受性が優れていて、外国文化をもつ人々の発言や真意を聞き取り、その人たちの行動を考えることができる。
2)他の人たちに前向きの期待を抱いて対応することができ、他の人たちにも基本的な尊厳と価値を認め、人間性を尊重することができる。
3)人とのつながりを作るのがうまく、人と人との影響関係をよく知り、行動することができる。

 本書(「キー・コンピテンシー 国際標準の学力を目指して」)では、「学習の力を考えるとき、これまでの知識や技能の習得に絞った能力観には限界があり、むしろ学習への意欲や関心から行動にいたるまでの広く深い能力観コンピテンシーに基礎付けられた学習の力への大きな視点が必要になってきている」としている。ここではコンピテンシーを、「個人の人生にわたる根源的な学習の能力」としている。

 キー・コンピテンシーは、次の3つに集約される。

 @自律的に行動する能力
 A社会的な異質の集団における交流能力
 B社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力

 これは、OECD(経済協力開発機構)の『The Definition and Selection of KEY COMPETENCIES:Theoretical & Conceptual Foundation』=DeSeCo (コンピテンシーの定義と選択:その理論的・概念的基礎)プロジェクトにおけるキー・コンピテンシーの概念化の作業よりまとめられた成果である。
 民主主義社会で市場志向社会にいる個人すべてに関係するようなカテゴリーを考え、それが上記の3つのカテゴリー、キー・コンピテンシーである。これは、能力開発と生涯学習に関連する充実した国際評価・指標システムと、さらに効果的な政府施策のための長期的視野へ展開する潜在可能性をあたえるとされる。

 テキストが直訳風で、日本語としてはいかがなものかと思われる表現が多い。それだけ日本語としてこなれていない概念操作が多いといえる。そのまま引用しているのであしからず。

 

2.キー・コンピテンシーの定義について

 キー・コンピテンシーを定義づけ、選定することは容易ではない。単なる学術的な問題ではない。世界と個人に関わる規範的な検討(世界人権宣言、万人のための世界教育宣言など)や地球規模での共通課題、現代社会の複雑な要求を踏まえ、重要で望ましく、価値ある結果と考えられるものを導き出す必要がある。

DeSeCoプロジェクトで定義されたキー能力の概念は3つの一般的な基準に基づいている。

1)「全体的な人生の成功と正常に機能する社会」という点から、個人及び社会のレベルで高い価値をもつ結果に貢献するものであること
2)幅広い文脈において、「重要で複雑な要求や課題」に答えるために有用であること
3)「すべての個人にとって」重要であること

 一部のエリートの利益ではなく、社会的な平等や公平に貢献するような能力を高めることにこだわる、としている。また、個人の能力開発に十分な投資を行うことが、社会経済の持続可能な発展と世界的な生活水準の向上にとって唯一の戦略である、としている。

 次に、さまざまな人生の状況において、成人が直面する精神的な課題に対応するために必要な能力のレベルを捉えるため、4つの概念を提示している。

1)社会空間を乗り切ること

   親子関係、文化、宗教、健康、消費、教育と訓練、仕事、メディアと情報、コミュニティなどの社会領域で、責任ある生産的な成功した人生を送ることがもとめられる。
 たいていのOECD諸国では、柔軟性、企業家精神、個人的責任に重要な価値をおく。個人は社会への適応ばかりを期待されるのではなく、革新的で、創造的、自己決定的で自発的であることも期待されている。

2)差異や矛盾に対処すること:「あれかこれか」を越えて

 

 複雑な問題に対する自然な反応の1つは、より複雑ではないものに単純化すること。しかし、このようなやり方は、世界を全体的に理解することや、世界とうまく相互作用することをさまたげ、実用的でないことが多い。
 多様な世界を「あれかこれか」という形でひとつの解決策を急いで求めるべきではない。明らかに矛盾したり、相容れない目標を、同じ現実の諸側面として統合することにより、緊張関係の中で扱うことを要求している。
 一般的には、現代社会の生活が投げかける複雑で、ダイナミックな多面的な諸問題に対して、統合的で全体的なアプローチが最善の応答である可能性が高い。個人と社会の弁証法的でダイナミックな関係を前提に、思慮深く対応すること、解決策や解決方法はひとつではないことを認識すること。「あれかこれか」で単純化したり、途中で投げ出したり、相対主義に逃げないこと。

3)責任をとること 

   

ただ有能であればよいということではなく、OECD諸国を特徴づける自由民主主義や資本主義経済体制の中で有能に機能する個人であることが求められる。個人は単に適合的なのではなくて、革新的で、創造的で、自己主導的で、内発的な動機付けをもち、さまざまな社会領域において自らの決定や行動に責任がもてることが期待される。
 キー・コンピテンシーに必要なのは、認知的で実践的な技能、創造的な能力に加え、態度や動機付け、価値観といった他の心理社会的な資源の動員である。
 キー・コンピテンシーの中心にあるものは、道徳的で知的な成長の現われとして自己を考え、自らの学習や行為に責任をとる個人の能力である。

4)反省性:キー・コンピテンシーの精神的前提
 

 公私にわたり知識や人生経験の総和に関係する、批判的な思考や思慮深い実践の全体的な発達が必要である。
 このアプローチは、認知的・知的な要素とともに、適切な動機、倫理、社会的・行動的な要素を含む複雑な行動システムに関係している。
 反省性は、キー能力の内的構造に関わっており、要求と行動に立脚したキー・コンピテンシーの概念化に関連する重要な横断的特徴である。
 この枠組みの基本的な部分は、思慮深い思考と行為である。思慮深く考えることは、やや複雑な精神的過程を必要とし、考えている主体が相手の立場に立つことを要求する。
例えば、特有の精神的技術の習得の過程をみると、思慮深さは、個人にその技術について考え、それを理解し、自分の経験の他の面にそれを関連づけ、その技術を変え、適合させるようにする。
 こうして、思慮深さが含むのは、メタ認知的な技能、批判的なスタンスを取ることや創造的な能力の活用である。

○二者択一の考え方を越えて:思慮深さの具体例
 現代の多様で複雑な世界が要求しているのは、私たちが必ずしも単純な回答や二者択一的な解決法で即決するのではなく、むしろ、いろいろな対立関係を調整できることなのである。つまり、相違や矛盾を扱う能力である。
 たとえば、自律性と連帯性、多様性と普遍性、そして革新性と継承性。同じ現実の両面にある一見矛盾し相容れない目標をまとめる必要がある。矛盾しているように見える立場や考え方が時には単に表面的にだけそうかもしれないから、その多面性を持つ相互的つながりや相互関係を配慮して、いっそう総合的な方法で考えふるまうことを個人は学ぶ必要がある。

キー・コンピテンシーの3つのカテゴリー

 DeSeCoプロジェクトで定義されたキー能力の概念は3つのカテゴリーに具体化される。
 「社会的に異質な集団で交流すること」、「自立的に活動すること」、「道具を相互作用的に用いること」である。最も基本的なレベルにおいて、生きるということは自ら行動すること、道具を用いること、他者と交流することを伴う。現代生活が要求しているのは、行動するだけでは十分ではなく、精神的複雑さ(反省性)の中で思慮深く責任を持って、自立的に行動できるのでなければならない。

 次に、この3つのカテゴリーについて本書の記述に従ってまとめてみる。

 

 

3.社会的に異質な集団での交流(1つ目)

 多元的で多文化的な社会において、また異なった文化、利害、価値観、信念をもつ世界において、個人が多様な背景をもった人々で構成される集団や社会秩序にくわわり、その中でうまく機能し、差異や矛盾に対処する必要がある。

 このカテゴリーには、次の@他者とうまく関わること、A協力すること、B紛争を処理し解決することの3つの下位カテゴリーが含まれる。

@他者とうまく関わる能力
 個人が、たとえば家族、友人、あるいは隣人との人間関係を開始したり、維持したり、取り扱ったりすることを可能にする能力。その人の価値観、信念、文化、歴史を尊重し、大切にすることが前提となる。
 「他の文化と開放的にかかわる能力」「他の宗教や信仰への尊敬と知識」を特徴とする。
 他人とうまく関わることは、社会のまとまりに必要なだけでなく、経済的な成功のためにもますます必要とされている。
 「共感」は他者の役割にとってかわったり、その人の視点にたって状況を想像したり、その人が感じていることを感じたりすることであり、おそらく最も重要なものだろう。また、自らの感情や内面の気分に効果的にコントロールすることも、もうひとつの重要な側面である。

A協力する能力
 共通の目的に向かって他者と協力し、一緒に仕事をする能力で、集団の個々の成員が必要とする能力である。
 この能力の重要な要素は、
(1)まず自らの考えを提示し、他者の考えに耳を傾けること、枠組みを切り替えて異なる視点から問題に接近すること、
(2)他者の役割や責任および全体の目標との関係で、自らの具体的な役割や責任を理解すること、
(3)そして自らの自由を制限してより大きな集団に調和することである。

B対立を処理し解決する能力
 対立を処理し、解決し、対立する利害を調整し、または許容しうる解決策をみつけだす能力。
 対立は社会的現実の一部であり、人間関係に内在するものであり、自由と多元主義の見返りとして存在している。対立に前向きに接近する鍵は、それを対処すべきプロセスとみなし、したがって全面的に避けようとか排除したりしようとせず、賢明で、公正で、効率的なやり方で対応することである。

 個人が争いを処理し解決する積極的な役割を担うために、以下の能力が必要になる。
(1)異なる立場があることを知り、現状の課題と危機にさらされている利害について、争いの原因と理由を分析する。
(2)合意できる領域とできない領域を確認する。
(3)問題を再構成する。
(4)進んで妥協できる部分とその条件を決めながら、要求と目標の優先順位をつける。

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 日本的にいえば「コミュニケーション能力」ということか。他人と共感をもってうまく関係をもち、協力することは日本人的な特性ともいえるが、「対立を処理し解決する能力」はどうだろうか。集団の中でうまく交流する能力の中核は、対立する利害を調整し、解決策を見出す能力にある。「和して同せず」をさらに推し進めて、対立する利害を解決すべき課題として、前向きに対応する姿勢、能力が求められるということだろう。
 「利害の対立を処理し解決する能力」は、集団のリーダーに求められる能力のようにもおもわれるが、集団の成員に対立を処理し解決しようとする能力や意欲がないと、リーダーといえどもそれを成し遂げることはできない。能力に程度の差はあれ、集団を構成しようとする成員には全員に「利害の対立を処理し解決する能力」が必要ということになる。
 「コミュニケーション能力」には、「共感」や「協力」という観点の他に、「対立に前向きに接近し、それを対処すべきプロセスとみなし、全面的に避けようとか排除したりしようとせず、賢明で、公正で、効率的なやり方で対応」し、「対立を処理し、解決し、対立する利害を調整し、または許容しうる解決策をみつけだす能力」という観点を追加する必要があるだろう。この調整・解決能力は高度な能力だが、その能力の必要性を認識し理解することは必要である。
 ここでいう「社会的に異質な集団」には、子供たちの生活する世界ではあまり接する機会がない。学校やクラスや部活などのグループは異質というよりは同質に近い。ほとんど同質な集団の中においてさえ、わずかな差異ががまんならない差異に感じられることもある。「社会的に異質な集団」への参加や交流は、その多くは社会人のものだが、総合学習やボランティや地域社会との交流の中で、子供たちにも「社会的に異質な集団」との交流が体験できることが望ましい。異なる民族・宗教・文化・社会制度の中での異質な集団は、お互いの異質さを認識し相互に尊重し合うことによってしか、共存していくことはできないだろう。

 

 

4.自立的に行動する能力(2つ目)

 自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識することであり、責任と思慮深さをもって行動することである。
自立的に行動することは、社会の発展に効果的に参加するためだけではなく、職場や家庭や社会生活など人生の様々な側面をうまくこなしていくうえでも必要である。

 自立的に活動することには2つの相互に関連した重要な考えが含まれている。
(1)自らを定義づけ、個人的アイデンティティ(価値観を含む)を発展させること、
(2)与えられた文脈において、決定したり、選択したり、能動的で思慮深く、責任ある役割を果たしたりするという意味で相対的な自立性を行使することである。

@「大きな展望」の中で活動する能力
 行動や決定のより大きな規範的、社会経済的、歴史的文脈、またその文脈がいかに機能するのか、その中における自らの立場は何か、問題となっている事柄、自らの行動が導く長期的で間接的な影響、さらにこれらの要因を行動する際に考慮すること、等々を理解したり、検討したりする能力。
この考え方は「グローバルに考え、ローカルに行動する」というスローガンにある程度表現されている。

A人生計画と個人的なプロジェクトを設計し、実行する能力
 個人が自らの基本的な理念をつくり、それぞれのプロジェクトを公式に見直してより大きな人生計画との一貫性を確保しなければならない、という意味ではない。むしろ人々が選択する場面に直面したとき、その決定が人生の目標や義務に導かれたものであることが理想的だということである。
 人生設計や個人的なプロジェクトを作る能力には、未来志向であること、つまり、楽観主義と潜在的な実現可能性が前提となる。アクセスできる資源や必要な資源(時間、お金、人、物、その他の資源)を見つけ出し評価すること、そしてプロジェクトを実現するための適切な手段を選択すること。目標に優先順位をつけ、効率的・効果的な手段を選択し、過去の行動や経験に学ぶことが必要である。

B自らの権利、利益、限界、ニーズを守り、主張する能力
 個人の権利、利益、ニーズがたえず他者のそれらと対立し、個人が多くの重要な決定や機能に関してますます多くの責任に直面している。またこれらの対立、決定、機能を支配するルールがますます複雑になっており、自らの権利、ニーズ、利益を明らかにしそれを主張したり擁護することは、自律した活動の根本に位置づくことである。
 この能力の発達により、個人は個人的な権利及び集団の権利を主張し、尊厳のある存在を保障され、自らの人生に対してより大きなコントロールができるようエンパワーされる。

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 「自立的に行動する力」が指示するものは、文部科学省の「生きる力」が志向しているものに近い。「生きる力」は、「基礎・基本を徹底し、自ら学び自ら考える力」とされ、学習指導要領の基本的なねらいとなっている。
 「生きる力」とは、「変化の激しいこれからの社会を生きる子どもたちに身に付けさせたい[確かな学力]、[豊かな人間性]、「健康と体力」の3つの要素からなる力」であり、「確かな学力」は「知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの」とされる。
 「生きる力」はやや抽象的でわかったようでよくわからないが、DeSeCoの「自立的に行動する力」は、人生の成功と社会の異質な集団のなかでよりよく行動するための個人の資質とされるものでより実践的な内容になっている。「生きる力」や「確かな学力」は、抽象的な一般論で誰もが肯く内容だが、 DeSeCoの「自立的に行動する力」は、生きる意味や学力の目指すものが明確で、より価値志向的になっているといえそうだ。自立的に行動する力」は、「生きる力」と相補的な関係とみることもできるが、「大きな展望」「大きな文脈」のもとで、「自らの権利、利益、限界、ニーズを守り、主張」しながら、計画的にプロジェクトを遂行する能力という定義は、強烈な印象を残す。特に、自立した活動の根本に、「自らの権利、ニーズ、利益を明らかにしそれを主張したり擁護すること」をおいていることは、「より大きな規範的、社会経済的、歴史的文脈」を踏まえた上でのことで、大きな社会性の意識が前提となる。
 自立的に行動するためには、その目指すものや価値とするものが明確に認識されているのでなくてはならない、ということが前提となっている。ここで目指されるものは、もちろんキー・コンピテンシーが目指す、個人の「人生の成功」であり「民主的で正常に機能する社会」である。
 日本のような比較的調和のとれた安定的な社会のなかでは「生きる力」でもよいのかもしれないが、国際社会の政治的・経済的な利害関係のなかでよりよく生き抜いていく個人の資質・能力は、ややあからさまではあるがやはりこうでなくてはならないだろう。「生きる力」は、「人生の成功」と「民主的で正常に機能する社会」を目指すべき価値として明確に意識させることで、はじめてよく見えてくるのではないか。「自立的に行動する能力」は、日本人の不得手とするところだが、だからこそ要求される能力だともいえそうだ。



5.社会・文化的、技術的ツールを

相互作用的に活用する能力 (3つ目)

 「道具」という言葉を最も広い意味で使っている。モノとしての道具も社会・文化的なツールとしての道具も含まれる。
 グローバル経済と現代社会の社会的、専門的な要求は、機械やコンピュータなどのモノとしてのツールだけでなく、言語・情報・知識のような社会文化的な道具を活用することに熟練することが必要としている。
 「道具」は単なる受動的な媒介物ではなく、「個人と環境との能動的な対話」に欠かせない部分であり、文字通り人間の心身を拡張したものである。

@言葉、シンボル、テクストを相互作用的に活用する力

 いわゆる「コミュニケーション能力」「リテラシー」とよぶことができ、PISAで定義された読解力リテラシーの枠組みである。「読解力とは、自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力である。」
言語スキルや計算その他の数学的スキルをさまざまな状況において効果的に活用することに焦点がおかれる。
 数学的リテラシーはPISAによると次ぎのように定義される。
 「数学的リテラシーとは、数学が世界で果たす役割を見つけ、理解し、現在及び将来の個人の生活、職業生活、友人や家族や親族の社会生活、建設的で関心をもった思慮深い市民としての生活において確実な数学的根拠にもとづき判断を行い、数学に携わる能力である。」

A知識や情報を相互作用的に活用する力
 知識や情報の能力はキー能力である。単に情報を得るだけでなく、情報の質、適切さ、価値を批判的に評価する能力も含まれる。それらを効果的に思慮深く、責任を持って活用する必要がある。
 このキー能力の具体例は、科学的リテラシーである。PISAでは次のように定義される。
 科学的リテラシーとは、「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を利用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」である。

B技術を相互作用的に活用する力
 技術によって可能となる新しい形の行動や相互作用への認識が得られ、日常生活においてその可能性を活用する能力があること。
 技術に習熟する以上に重要なのは、異なった技術の目的や機能を全般的に理解することであり、その可能性を構想する能力である。

 上記の3つのカテゴリーは、能力開発と生涯学習に関連する国際的な評価・指標システムと効果的な政府施策のための長期的視野へ展開する潜在的な可能性を提供するものとなるだろう、とまとめている。

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 「社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」という表現はわかりにくい。「機械やコンピュータなどのモノとしてのツールだけでなく、言語・情報・知識のような社会文化的な道具」を活用する能力として、数学的リテラシー・科学的リテラシー・読解力などの教科に関わる学力も、ツール活用能力に含まれる。「知識・理解」的な学力から、「判断・思考」「表現・技能」などの観点的学力も、広い意味でこのツール活用能力に含まれる。
 ここでようやく学校教育で言われる「学力」が「キー・コンピテンシー」の中に位置づけられることになる。「社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」として。
 しかし、キー・コンピテンシーは、単純な日本的「学力」ではない。科学・数学・読解力についての「リテラシー」と表現される学力である。リテラシーは教科的・カリキュラム的な学力ではない。例えば読解力は、「自らの知識と可能性を発達させ、自らの目標を達成し、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」(「キー・コンピテンシー」より)として定義されている。だが、この表現ではわかりにくい。「理解し、利用し、熟考する能力」なのだが、その能力を、自らの目標を達成し、正常に機能する社会に参加し担っていくことを目指すものとして捉えている。
 「相互作用的に活用する」とは、単に「活用する」ことではなく、社会・文化的なツールを使って働きかける現実の対象世界とのコミュニケーション的・相互交流的な活用ということだろう。現実に対する有効で効果的なツールの活用ということである。


6.キー・コンピテンシーと学力


 「キー・コンピテンシー」は「人生の成功」と「正常に機能する社会」を目指す大きな能力概念であり、「社会的な異質な集団との交流」「自立的な活動」「道具の相互作用的な活用」の3つの能力カテゴリーから構成される。では、学校で学習した知識・技能、大学で学んだ専門知識や技能は一体何なのか。いわゆる学力はどう位置づけられるのか。キー・コンピテンシーとどのような関連があるのか。

 いわゆる「学力」はキー・コンピテンシーの1つのカテゴリーである「社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」に大きく関わるとされる。
 DeSeCoのによれば、 PISA学力調査の「読解力リテラシー」「数学的リテラシー」は、社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」カテゴリーのうち、「@言葉、シンボル、テクストを相互作用的に活用する力」に関わり、「科学的リテラシー」は「A知識や情報を相互作用的に活用する力」に関わる。教科の学習に関連した知識や情報や技能は、このキー能力といえる。

 また、「自立的に活動する能力」に対応するものとして文部科学省の推進する「生きる力」がある。「生きる力」は、「基礎・基本を徹底し、自ら学び自ら考える力」とされ、学習指導要領の基本的なねらいとなっている。
 「生きる力」とは、 「変化の激しいこれからの社会を生きる子どもたちに身に付けさせたい[確かな学力]、[豊かな人間性]、「健康と体力」の3つの要素からなる力」であり、「確かな学力」は「知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの」とされる。 DeSeCoの「自立的に活動する能力」とはやや観点を異にするが目指す能力はほぼ同じとみてよいだろう。

キーコンピテンシーの成果(目指すもの)
 

 「学力」は、キー・コンピテンシーとして要求される能力を目指す。学校教育の中の教育評価・教科評価とキー・コンピテンシーの評価をどう区別しどう統合して扱えばよいのか。特に、「自立的に活動する能力」や「社会的に異質な集団で交流する能力」に関する学習・指導法と評価方法の研究・開発が待たれる。だが、総合学習の時間などを通しての「生きる力」の育成プログラムも十分に整備されているとはいえない状況の中で、キー・コンピテンシーを目指す能力の育成はさらに遠い課題であるように思われる。
 教科の学習に関連した知識や情報や技能は、「社会・文化的、道具的ツールを相互作用的に用いる能力」に大きくかかわり、PISA学力調査などの成績により測定することができるが、では「自立的に活動する能力」や「社会的に異質な集団で交流する能力」はどのように測定道具により測ることができるのか。やはり「関心・意欲・態度」の評価と同様、観察や面接を中心に調査用紙・アンケートなどに拠ることになりそうだ。インターネットなどを利用したインタラクティブな評価なども考えられる。

 DeSeCoが規定している「自立的に活動する能力」や「社会的に異質な集団で交流する能力」は、かなり高度な能力であり、学校教育等に期待されるには荷が重いというもの。目指すべき能力カテゴリーではあるが、それを理解し習得していくのに要求される能力はかなり高く、一種のエリート教育となるだろう。むしろ成人・社会人教育において達成が期待される主要能力といえるのではないか。

 キー・コンピテンシーのカテゴリー分けとそれに対応するとされる学力の対応を表にしてみた。

カテゴリー
下位カテゴリー
教育・教科的学力
社会的に異質な集団での交流 @他者とうまく関わる能力:共感 コミュニケーション能力としての「生きる力」
A協力する能力
B対立を処理し解決する能力
自立的に行動する能力 @「大きな展望」の中で活動する能力

「生きる力」
([確かな学力]
[豊かな人間性]
「健康と体力」
)

A人生計画と個人的なプロジェクトを設計し、実行する能力
B自らの権利、利益、限界、ニーズを守り、主張する能力
ツールを相互作用的に用いる能力 @言葉、シンボル、テクストを相互作用的に活用する力 読解力リテラシー
数学的リテラシー
A知識や情報を相互作用的に活用する力 科学的リテラシー
B技術を相互作用的に活用する力 実技教科
コンピュータの活用

 「生きる力」の育成は、現在の学習指導要領の柱となるものだが、教育内容の削減・授業時間の減少とセットになった「ゆとり教育」の問題を抱えており、観点別絶対評価や総合学習の時間も有効に作用しているとはいいがたい状況にある。キー・コンピテンシーは広い意味での学力であるが「生きる力」的な能力に多く関わり、その具体的な育成方法となると課題が多い。さらに「学びからの逃走」や「学力低下」「学力格差」の現象も顕在化しており、教育改革の道はいっそう険しさを増してきている。
 DeSeCoが提示している「何のための学力」「何のための能力」「なぜ学ぶのか」を取り込み、学力の客観的な現状認識を踏まえて、教育の根本に立ち返った大胆な施策が必要だろう。だが、「何のための学力か」といった問いは、「何のための労働か」や「何のために生きるか」といった価値観に直結してくる大きな課題でもあるだろう。

 それにしても、学校教育の目的は何なのだろう。学力の向上なのか、人格の完成なのか、国家・社会の成員の育成なのか、そのすべてなのか。目的と手段、目的と目標の階層化と学校教育、特に学力の構造化された全体的な把握が必要だろう。がとりあえずここでは、学力といえども、キー・コンピテンシー、つまり人生に成功し、民主的で正常に機能する社会の構成員になるための能力・行動特性の一部を構成するものであるということを確認して、次に進もう。


7.人生の成功


 「何のための教育なのか」「何のための学力なのか」そして「何のための能力なのか」。キー・コンピテンシーは、「価値ある個人的・社会的な成果をもたらす能力」と定義される。そして、キー・コンピテンシーは、個人と社会の双方に利益をもたらすものであり、それは端的に「人生の成功」と「正常に機能する社会」のための能力ということである。

 日本人には、学力の目指すものや学習の目的を、ここまでストレートには表現しないかもしれない。「人生における成功」に価値を置く判断にも、人間形成を重視する伝統的な教育観や「わび・さび」文化や無常観の傾向が強い日本人の性格にはやや抵抗がある。だが、何のための学力、何のための学習かを問えば、人格完成や自分の将来の可能性や自己実現や社会のためといった抽象的な説明より、具体的で説得力がある。世界標準としての学力や能力を考える場合、その目的を「人生の成功」と明快に定義する必要があるのだろう。「人生の成功」は「人生の幸せ」や「よい人生」といいかえられそうだが、日本人には「成功」より「幸せ」のほうが、しっくりくる。意見がいろいろ出そうだが、DeSeCoプロジェクトが提示したキー・コンピテンシーの探求が目指そうとするものは十分に傾聴するに値するだろう。

何のためのキー・コンピテンシーなのか。
 これはDeSeCoでは、「何のための能力なのか」と読み替えられてきた。キー・コンピテンシーは、個人と社会の双方に利益をもたらすものという前提にたって、「価値ある個人的・社会的成果をもたらす能力」であるとする。
 個人の自己決定や個人的成果を重視する個人主義的な考え方や、社会やコミュニティの存続と維持を前提としてそれを重視する考えには組しない。個人の人生における成功と正常に機能する社会を実現するというよりダイナミックな考え方にたつ。

クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)
 「人生における成功と正常に機能する社会」に対する総合的なアプローチは、社会的側面と個人レベルの幸福を統合する試みでなければならないだろう。社会福祉という総合的な概念が、他の特定の状況を扱う概念よりも有効であるだろう、とする。
 快楽主義的な匂いのある「豊かな生活」という表現よりも「人生の成功」という考え方は、より幅広い解釈を可能にする。だが、「人生の成功」には、狭く解釈すると経済的地位や社会的地位の獲得といった経済的に豊かな生活を意味すると解釈される。しかし、DeSeCoでは、「豊かな生活」というニュアンスの表現ではなく、高く評価された個人の成果を表現する広い意味から「人生の成功」という言葉を用いることにする、としている。
 また、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を、初期の物質的豊かさを意味する考え方から、「新しい社会福祉という総合的な概念」として捉えなおして扱おうとしている。

「人生の成功」の定義は何か?
 キー・コンピテンシーにおける「人生の成功」という暫定的な定義は、「客観的な生活条件」と「主観的幸福感」を「良い」とする幸福の望ましい状況である、とする。
 成功の客観的・主観的評価は、客観的生活条件と主観的幸福感の相互作用を図解することで概念的な全体像をえることができる。

幸福の状況についての類型 出典:Zapf(1984)

客観的生活条件
主観的幸福感
良い
悪い
良い
 
幸福
 望ましい状況

不調和
不満足のジレンマ
抗議と変革に対する潜在力

悪い
 
適応
矛盾した満足感 
無力感とひきこもり
窮乏
従来からの社会政策の対象者

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 だが、何をもって幸福とするのか、幸福とは何なのか、問題は残る。地球上の様々な地域やその地域の歴史や民族や政治・経済体制や、さらに階級や階層、享受している社会的サービスや文化等々、の条件を考慮する必要がある。

 お金を稼いで、よい家に住み、ブランド品を身に付けて高級車に乗り、おいしいものを食べる。それで人は幸せになれるのか。会社人間が生息する社会では、個人としての生活はますます貧しいものになる。自分探しの青年はいっそう貧しい自分を見出し、不毛な自己実現の夢を追い求める。
 贅沢な消費が美徳のようになってしまった消費大国日本ではもはや、かってあったはずの質素・倹約な生活の中で高い精神性をもって生きる生き方は、幸せではないのか。生活は質素でも、家族と関わり、他人と関わり、社会と関わり、幸福を共有しようとする価値のある働き方や生き方のほうが、夢があっていい。
 学歴や能力や収入により格差社会といわれる状況が生まれつつある。産業社会が行き着いた情報社会のなかで、共同体的なものは解体し個人はモナドとしてますます孤立化していく。そういう社会での個人の幸福はどのようにすれば可能なのだろうか。
 経済的生活の充実と経済的な裕福さに裏づけられた個人的で主観的な幸福感は、いちがいに否定すべきものではないにしても、自由競争や能力主義の新自由主義的な社会制度の中で、格差社会はいっそう進み、個人の階層化と孤立化も行き着くところまでいってしまうだろう。そのような社会は果たして住みよい社会なのだろうか。「人生における成功」を重視すれば、新自由主義的な環境のほうが能力を発揮しやすいのだろうが、人生の成功者と失敗者・落伍者や逃走者を生み出すことになり、社会はいっそう不安定になり住み難くなる。
 個人の幸福感については、個人主義や自己中心的なアプローチではなく、より社会的で全体的なアプローチこそが必要になるだろう。DeSeCoのいう「人生の成功」は、言葉としては経済中心的ないやらしさがつきまとうが、統合的で全体的なアプローチのなかで、個人の幸福を考えようとするなかから提起されている。
 だが、コンピテンシーの目的が、個人的な成功・幸福と正常に機能する社会の実現の2つに分裂してしまうのは、やはり時代の制約か。

 「何のために学習するのか」は、「何のために働くのか」や「何のために生きるのか」の問いに繋がっていく。働くことや生きることの意味が、個人的な「人生の成功・幸福」では哀しい。社会とのかかわり合いの中で「よりよい社会の実現」、「正常に機能する社会」の実現に関わる中で個人の「人生の成功・幸福」も考え直していく必要があるのだろう。個人の「人生の成功・幸福」は「正常に機能する社会」が実現されていく中でしか、見えてこないものなのではないか。社会への関わり、社会への積極的な関与・参加なくして、個人の幸福を実現するすべはない。

 人生の成功の要因を設定する有益な出発点として、
OECDが発表した8つの社会的利害のリスト(1982年)
 公衆衛生
 雇用と職業生活
 財とサービスを入手する権利
 社会環境
 教育と学習
 時間と余暇
 自然環境
 個人の安全

人生成功の主要要因 出典:DeSeCo

経済的地位と経済資源 ・有給雇用
・収入と財産
これは脱工業社会においても高い価値を有す。成功の主要要因。有給雇用は、人の社会的地位の重要な目印であり、アイディンティティを形成るのに決定的な役割を果たす。
政治的権利と政治力 ・政治的決定への参画
・利益集団への加入
政治的権利の主張や政治的参加は、民主主義の基本的な要件。一般的に、個人が政治的プロセスに参加するのは利益集団、例えば労働組合、雇用者団体、政党や市民運動への関与を通じてである。
知的資源 ・学校教育への参加
・学習基盤の利用可能性
教育は社会的地位を左右する主要な要因であり、「自己実現」の主要な構成概念である。
住居と社会基盤 ・良質の住居
・居住環境の社会基盤
生活条件の基本的構成概念。住居環境の社会基盤は、水道、下水道、エネルギー、通信、道路、公共交通機関など。
健康状態と安全 ・自覚的、他覚的健康
・安全性の確保
重篤な身体的障害がないこと、つまり、肉体的に完全な状態と活動が保障される状態であること。
社会的ネットワーク ・家族と友人
・親戚と知人
社会的ネットワーク=人間関係という強固な拠り所があること。正常に機能する社会の要件であるだけでなく、個人の目的ともなり、人生の成功の要因になる。
余暇と文化活動 ・余暇活動への参加
・文化活動への参加
生活条件に不可欠の要因。文化と余暇は社会的地位地位を決定づける。
個人的満足感と価値志向 ・個人的満足感
・価値志向における自律性
人生の成功には、個人的満足感自体が重要な意義をもつ。



 人生の成功に関する8つの要因に関して、重要な観点が3つある。
(1)人生の成功とは、幸福の客観的・主観的要素を組み入れた多面的概念である。
(2)8つの要因は、すべての個人、すべての文脈、すべての社会に対して同じ様に重要性をもつものではない。しかし、民主主義の先進国社会においては、常に8つの要因すべてを考慮しなければならない。
(3)8つの要因は、変化する強度の連続体の一部を形成している。一般に「とてもそうである−ほとんどそうでない」尺度で決定される。



8.正常に機能する社会

 キー・コンピテンシーは、個人的レベルと同様に社会的レベルとの関連で定義づけられる。学校組織を通じて伝達されるキー・コンピテンシーは、通常、社会的目的を達成するための手段である。すなわち教育は、民主的な「正常に機能する社会」を実現しそれを担う成員の育成を目的とする。
 人的資本論の議論では、個人的レベルでの利益や成功、特に経済的成功が重視されるが、これはあまりに個人主義的で、限定的なアプローチである。より包括的で全体的な方法で扱おうとすれば、社会的観点を取り込み、民主主義的に正常に機能する社会の要因を特定化する必要があるだろう。

経済生産性 経済競争と経済生産性は、すべての社会の主要な目的である。
人的資本論は、教育への投資を通じて獲得されるキー・コンピテンシーと、個人の生活の質の重要な要因である有給雇用とリソースへのアクセス、事業や企業の生産性、社会の経済性調度との間の直接的な関係を扱っている。
民主的プロセス すべてが受け入れ、他の人々も受け入れるという正義の原則によって社会の基本的な制度が統制されている場合、社会はよき「秩序を保っている」。加えて我々が前提としているのは、「民主的、公正で安定した社会の基本制度は正義の原則に従おうとする社会の構成員の行動欲求を導くような制度である」ということ。
連帯と社会的結合 連帯は、社会資本の1つの要件であり、社会の基本的な要素の1つ。連帯は、価値観の共有を基礎とし、個人的な価値志向を通じて確立するもの。
一体性をもった社会を特徴づけるのは、社会のもつ価値や制度の受容であるということ。
人権と平和 世界人権宣言(1948)「教育は、人格の完全な発展ならびに人権および基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。」
人権と平和の実現は、コンピテンスに依拠する。
公正、平等、差別感のなさ 機会均等と正義は、多くの現代社会の憲法に取り入れられ、世界人権宣言にも明記された基本的原則である。公正、平等、差別感のなさは、社会の質の重要な要因である。
生態学的持続可能性 国連環境開発会議はアジェンダ21(UNCED、1992)を承認した。
「人類は歴史上の決定的な瞬間にたたされている。我々の幸福を保障している生態系は、絶えることのない不均衡に直面している。しかしながら、環境と開発を統合し、これにより大きな関心を払うことにより、人間の生存にとって基本的なニーズを充足させ生活水準の向上を図り、生態系の保護と管理を改善し、安全でより繁栄する未来へつなげることができる。いずれの国も自国のみでこれを達成することはできないが、持続可能な開発のためのグローバルパートナーシップを促進することにより、ともに発展することが可能になる。」



9.クオリティ・オブ・ライフと

正常に機能する社会を両立させるには


 正常に機能する社会の要因は、単なる個人的な人生の成功を追及する総体としてもたらされるものを意味しない。
 しかし、 個人的な人生の成功と正常に機能する社会の実現という2つの要請は、矛盾するかもしれない。単純に、並存するというわけにはいかないだろう。
 争いは、社会的現実の本質的な部分であり、当然ながら、個人的レベルや社会的レベルでの目的や価値の違いによって生じるかもしれない。例えば、豊かな生活水準を達成し維持するため個人が選択する手段や実践は、他のことがら、他人の欲求や権利、あるいは自然環境の健全さと相容れないかもしれない。同様に、正常に機能する社会が要求するのはある程度の効率性を持った意思決定や行政であり、それらは個人に意志や決定を制約することもある。しかし、多くの場合、個人と集団の目的は、一定領域では重なり合う。

 「人生の成功」の追求は、「正常に機能する社会」の実現とその成員の育成という目標と矛盾するのか。
 「考えあう技術」(ちくま新書) 刈谷剛彦・西研 では、 教育を「子供を社会の成員としてふさわしい存在へと育て上げること」と定義して、「自由な市民からなる社会」という社会的理念の担い手となる個人をつくり出すことを広い意味での教育の目的としている。
その上で、自己中心的な「学びの意味」論や、「私」や「自己」を越えたところで、言い換えれば「他者」との関わりの文脈に学ぶことを位置づけられないか、として個人と社会とを一体的に全体的としてとらえようとしている。
 「人生の成功」と「正常に機能する社会」という目的は、総合化して理解することも一体として考えることもできるが、実際にそれを生きるとなると現実的な矛盾点が露呈する。個人と社会ないし共同体との矛盾ともいえるが、教育が公的・社会的なものである限り、「正常に機能する民主的な社会の構成員の育成」にウエイトが置かれるのは当然ともいえる。だが、国家や公共目的を一方的に優先させる国家中心的な考え方にも、私的な幸福追求を優先させる個人主義にも組みするものではないだろう。これを矛盾と考えるなら、この矛盾を生み出している社会・教育的な環境が問題ではないのか。「自由な市民からなる社会」の実現は、そうありたい社会理念として残る。

 

 

10.キー・コンピテンシーと教育基本法

 キー能力は学校教育の中での生徒に期待される能力にとどまらず、成人・社会人の備えるべき能力として考えられている。キー能力の育成プログラムは、そもそもどうイメージすればよいのか。ここではあまり広げないで、学校教育のレベルで考えてみた。

 教育基本法は日本における教育の目的・目標を定義している。OECD的キー能力が目指すものと教育基本法の目的・目標を比較してみた。
「確かな学力」を含む「生きる力」は、「自立的な活動」に大きく関わるし、コミュニケーション能力は「社会的に異質な集団での交流」の能力に含まれるが、「対立する利害の調整」能力など内容がだいぶ異なる。また、「生きる力」の多くが「自立的に行動する能力」に関わるにしても、「生きる力」には「確かな学力」「豊かな人間性」「健康と体力」など幅広い概念が含まれ、子供たちの人間形成や人格の完成などの日本的な教育目的に関わる。だが、教育基本法の「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」という目的とキー・コンピテンシーの「正常に機能する社会」の構成員の育成という概念は基本的な部分において一致するが、教育基本法の「人格の完成」や「人間の育成」という教育目標と、キー・コンピテンシーが目指す「人生の成功」という概念の間には大きな隔たりがある。
 教育基本法は「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成」を目指すが、主に成人向けを意識した「人生の成功」は人間の行動主義的な側面からの評価で、人間の「客観的・主観的な幸福」を目指している。それは、経済的な地位や政治的な権利、学校教育や健康、健康や良質な住居、家族や余暇など「豊かな生活」や「質の高い生活」を要件としている。
 キー・コンピテンシーは社会人に要求される「個人と社会に高い成果をもたらす行動特性」であり、教育の場で目標とされる幅広い知識と教養を身につけ人格を育成することとは、人間の発達段階を考慮しても違いがあるのはいたし方ないのかも知れない。だが、生徒や保護者の投げかける「何のための学習なのか」を考えるとき、教育基本法が目指す教育の目的や目標よりも、キー・コンピテンシーの目指す「人生の成功と正常に機能する社会」のほうが説得力をもつのはのはなぜだろう。教育基本法の国家・社会の形成者としての資質や人格・人間形成が抽象的であるのに対して、「人生の成功と正常に機能する社会」の概念は具体的で現実的であるように思われる。
 キー・コンピテンシーが目標とするものと教育基本法や学習指導要領の目的・目標とするものは矛盾するものではないが、教育基本法の「人格の完成」や「人間の育成」という教育目標と、キー・コンピテンシーが目指す「人生の成功」という概念の間には差異がある。また、この差異は対立するものではなく、むしろ統合し総合化されることで、より現実的で生きた目標になるように思う。また、国家・社会の形成者にたいして「正常に機能する社会」の構成者のほうがグローバルで具体的である。
キー・コンピテンシーは国際的に共通して評価される能力や学力として、今後日本の教育の中でも取り込まれていく必要があるのではないか。

 キー・コンピテンシーは教育基本法の目的ないし目標を無理やり対応づけてみた。キー・コンピテンシーの目的は、個人的なレベル(黒色)と社会的なレベル(青色)の2つに分かれるが、教育基本法は、2つのレベルを渾然として扱っている。

キー・コンピテンシー
教育基本法
「人生の成功」
正常に機能する社会
 民主的プロセス
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、
平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
知的資源
 ・学校教育への参加
 ・学習基盤の利用可能性
健康状態と安全
 ・自覚的、他覚的健康
 ・安全性の確保
(教育の目標)
一  幅広い知識と教養を身に付け、
真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
経済的地位と経済資源
 ・有給雇用
 ・収入と財産
住居と社会基盤
 ・良質の住居
 ・居住環境の社会基盤
経済生産性
二  個人の価値を尊重して、
その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
政治的権利と政治力
 ・政治的決定への参画
 ・利益集団への加入
社会的ネットワーク
 ・家族と友人
 ・親戚と知人
連帯と社会的結合
公正、平等、差別感のなさ
三  正義と責任、
男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
生態学的持続可能性 四  生命を尊び、
自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
個人的満足感と価値志向
 ・個人的満足感
 ・価値志向における自律性
人権と平和
五  伝統と文化を尊重し、
それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
余暇と文化活動
 ・余暇活動への参加
 ・文化活動への参加
 

 

  以上

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