なぜ学ぶのか
1. なぜ勉強しなければならないのか
2. 学ぶことの個人的な理由
3. 学ぶことの共同体的・集団的な理由
4. 「なぜ学ぶのか」~実現すべき自己とは何か~
5. 学ぶことの法的な規定をみると
1. なぜ勉強しなければならないのか
私はといえば、縁あって教育評価サービスにともなうシステムの開発を生業としている。子供たちのなかには、当然のことながら、勉強のできる子とできない子がいる。それを分けるものは何なのか疑問に思うことがある。家庭環境や生来的なものも影響していることは間違いないが、勉強への動機付けが勉強に取り組むさいの関心・意欲や積極性などの姿勢に大きくかかわり、勉強ができるできないを分ける直接的な要因になっているように思う。勉強に向かう際の動機のようなものについて考えてみた。
小・中・高校を通じてなぜ学ぶのか、なぜ勉強しなければならないのか、私にはその意味がほとんどわからなかった。したがって勉強の成績はそれほどよくはなかった。義務教育なんだから学校へ行って勉強しなければならないよ、ということで親も子も疑いもなく学校へ通った。毎日学校に通い、苦役のような勉強を続けたように思う。親は勉強しなさいというだけで、なぜ勉強しなくてはならないのかあまり説明しない。だが親は社会の中で学歴のないつらさや勉強をする環境がなかったことや勉強しなかったこと後悔をしていた。学力いや学歴をつけることだけが親の願いだったのかもしれない。それ以上の願いや期待もあったはずだが、多くは語らなかった。子供には自分のような苦労はさせたくない。その思いが親心というものだが、子供にはその親の思いが伝わらない。
親の心子知らずだが、子の心親知らず、でもあったのではないか。

親や先生の勧めで一生懸命に勉強に取り組める「できた」子供はそれでいい。本性的な知的好奇心により楽しく勉強ができ探究できる子供はなおいい。大して努力もせずに勉強ができる才能のある子はそれでもよいのだろう。では、それだけではどうしても勉強する気になれない子供、その気にはなてもどうも勉強には身が入らない子供はどうすればよいのだろうか。なぜ学ぶのか。その答が明確になれば、自分がそうだったように、そんなことに迷っている子供たちに朗報となるのではないか.。勉強への根源的な、あるいは別の動機づけが必要なのではないか。

なぜ学ばなければならないのか。学ぶ意義や意欲を見つけられない子供もいれば、成績アップや志望校合格にまい進する子供がいる。なぜ勉強しなくてはならないのか。恐らく正解はない。個人ごとに解答があり、「私の理由」がある。しかし、共通の学ぶ意味があるのではないか。

子供の意識調査などで、勉強する動機の上位には、より大きな自由を得るためとか、自己実現のためとかがくる。自分の「自由」を拡張するためには「力」が必要である。それは「学ぶ力」といわれる。なぜ学ぶのか、それは学び方を学ぶためである。しかし自由には「個人の自由」と「社会的な自由」があるように、学びには自分のために学ぶのか、社会のために学ぶのかという二重性がついてまわる。自分のための学びなど意味があるのか、自分のためではなく、社会のため他の人々のために学ぶという意義付けほうが価値があるのではないか。(単純に国家や会社のためといったことではない)
学ぶ理由が明確になり、それが子供たちに伝えられ、納得と共感が得られたなら、彼らは学びの苦しさに耐え正しい努力をいとわないのではないか。

生きのびるための知識・知恵、技術・経験をあつめることが勉強だといわれる。自分が置かれている状況を把握して、先を見通す力を身につけることである。知らないことがあると不安、だから知ろうと努力する、そして知ることは楽しい。それが人間の知的欲求の原点だといわれる。では、人間の知的欲求はどこからくるのか、何を目指しているのか。それは人類が生き延びるためのDNAのなせる業なのか。その学びのDNAが人によって強弱があるのはなぜなのか。

そんなこんなで、学ぶ理由・勉強する理由を拾い集めてみた。