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ペリト・モレノ氷河
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世界の果て

プンタ・アレーナス(Punta Arenas)と マゼラン海峡(Strait of Magellan)越え



フィヨルドの最奥に位置するナタレスの町。

旅情深いプエルト・ナタレス Natales
 [地図]

 町の入り口にあるミロドン(大ナマケモノの絶滅種、この近くで発掘された)の像。プンタ・アレーナスに向かう途中で立ち寄った町。人口25,000人。パイネ国立公園の最寄の町で、左の地図のすぐ上にパイネがある。曇り空の下、寒々しい。
 ダーウィンを載せたビーグル号もこの入り江に姿を見せたという。 ということは一応、海ということになるが、海水は薄い。ナタレスの町は太平洋に面したチリの町だが、フィヨルドの最奥に位置している。どうやって海に出るのか、ジグゾーパズルを解かねばならない。チリ南部のフィヨルドの複雑さはすさまじい。ビーグル号はそこを探検していたようだ。


旅情が深いナタレスのフィヨルド海岸、ウルティマ・エスペランサ(最後の希望)湾。


 絶滅したミロドンの像が立つナタレスの町。フィヨルドの海は大分塩分濃度が低いという。フィヨルドからの出口を求めてここまで航海してきたが、出口は見つからずウルティマ・エスペランサ(最後の希望)湾で行き詰ってしまった。最後の希望。パタゴニアの最南端に近い町は、どんよりと曇って真夏なのに肌寒く、旅情にしたるのに最適なように思った。

 エル・チャルテン、カラファテと晴天の日が続いたが、南に下るにしたがって雲が多くなってきた。パイネの山を後にすると、パタゴニアはいっそう寂しい表情になる。

若き日に 夢見たパタゴン 風の道
パタゴニア 荒野にさらせ わが思い
パタゴニア おのれを知れと フィッツロイ

 パタゴニア南部中央のモレノ氷河・フィッツロイ・パイネを満喫した後、パタゴニア最南部はどんな顔をみせてくれのだろう。

 


マゼランペンギンのコロニーの案内板。このあたり一帯がペンギンたちの巣になっていて、思い思いに海から上がったペンギンたちは自分の家に帰っていく。冷たい風が強い。のんびり散歩にほど遠い。

ペンギン・コロニー

 オトウェイ湾にあるペンギン・コロニー(巣営地)。オトウェイ湾がそもそもどこにあるのかわからない。オトウェイ湾が海に続いているのか、湖なのかもわからない。オトウェイという名は out of way からきているらしい。なぜかペンギンの巣があるという。
こんな隠れ窓からペンギンを観察する。


海から上がったペンギンたちは曇り空だが休憩しているようだった。疲れたペンギンは腹這いになるという。
ペンギンの巣巣に帰る

プンタ・アレナスの町を高台クルスの丘から見た。前方にはマゼラン海峡。 降水量は毎月30mm前後と少なく、6月から9月にかけて雪が降る。最高気温は12月から1月に14度C、6月から7月に4度Cと変化が小さい。ただし、年間を通じ風が強い。

プンタ・アレーナス  [地図]

 プンタ・アレーナスは、南緯53度にあるチリ最南端の都市である。スペイン語で「砂の地」という意味らしい。マゼラン海峡(マガリャネス海峡)の中間部に位置する港町で、大陸側に位置し、海峡を挟んで東側には隣国アルゼンチンと領有を半分に分ける島・フエゴ島がある。

大阪の看板はあったが東京はない。なぜかズックもかかってた。


プンタ・アレナスの中心にあるアルマス広場のマゼラン像。

  マゼランは舟の先か大砲の上に足をかけ勝ち誇ったように、いや悲嘆に暮れてか、天を仰いでいる。マゼランゆかりの地だから分からないではないが、足元の先住民や人魚たちを踏み台にしているようにも見える。


マゼランの栄光は先住民や人魚たちの涙の上に輝いている。

 先住民はマゼランたちの帆船を見て火を焚いて警告したともいわれているが、その後の西洋人たちの襲来は彼らに何をもたらしたのか。西欧人の強大な文化・文明は、南米の先住民をあっという間に壊滅してしまった。


「 つなみ」からの避難を呼びかける看板。

 チリは日本と同じ地震国である。町のいたるところに左のような看板が立っている。「TSUNAMI」ということばがそのままチリでも使われている。日本の三陸ではかってチリ津波で大きな被害を出した。その津波がチリに戻って、人々を高台に逃げるよう促している。これもチリと日本の不思議な縁か。

 


バスは船着き場の先頭に並ぶ。 マゼラン海峡の先にフエゴ島が薄らと見える。

マゼラン海峡(Strait of Magellan)越え、フエゴ島へ [地図]

 プンタ・アレーナスからマゼラン海峡を渡りフエゴ島に向かうのかと思っていたら、150km北東にある海峡の最も狭くなるプンタ・デルガタから渡るのだという。チリの国道257号線が走っているのだが、カーフェリー乗り場とカフェ1軒があるだけで町や村らしきものは辺りにはない。海峡の4km先にはフエゴ島がある。
 パスが着いた時にちょうど船が出たばかりで車列の先頭になった。次の船がくるまで船着き場の辺りを散策。しかし、ほんとに何もない。いよいよマゼラン海峡越えだ。


プンタ・デルガタのカーフェリー発着場の事務所。 風が吹き荒れ、最果て感満点。

 天気晴朗なれど風強しで、カーフェーがうまく接岸できない。何度が試みて、ようやく接岸し自動車を降ろした。カーフェリーはそれっきり動かない。9時間待ってやっと動くのかとおもったら、大型トラックが先だという。

プンタ・アレーナスの右上の、マゼラン海峡が最も狭くなるプンタ・デルガタからフエゴ島に渡り、目的地ウシュアイアに向かう。

 カーフェリーが強風をついて接岸を試みている。何回か試みてようやく接岸成功。船首が開き、自動車が下りてきた。その間、船は風に流されて左に動いている。自動車が必死で走り出てきた。

見ていてもスリルが伝わってくる自動車の乗り降り。船は海に落ち込んでいる岸に乗り上げるように接岸し、スクリューを全開して船を岸に押し付けている。それでも船は強風に流される。

 自動車は、係員の合図ですばやく走り出る。大きなトラックは前輪が岸、後輪が船にある状態で、船に合わせて横すべりしている。
 すべての自動車が下りると、トラックが乗り込み、乗用車が乗り込む。われわれのバスは後回し。バスは万一の時被害が大きくなるので、乗り込むタイミングを見計らっているのだという。

強風の中で心配そうに見守る人々。

 マゼラン海峡をようやく越えることができた喜びで、トラックが元気よく走りあがってきた。
 こんな強風の中で、ほんとうに船に乗れるのか。人々は心配そうに接岸を試みる船をじっと見つめている。
 

カーフェリーのデッキからるプンタ・デルガタを見る。

 風がいくらか弱くなり、われわれのバスは9時間待ってようやく船に乗り込むことができた。海が穏やかなら4kmの海峡を20分程度で渡ってしまうというが、この船は30分以上かけてようやく対岸のフエゴ島の船着き場に接岸することができた。あたりには建物らしいものは何もなかった。

 1519年スペイン王の信任を得てスペイン船5隻の艦隊を率いてスペイン・セビリアを出発したマゼランは、南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達した。マゼランがこの海峡に入った時、左側の島でおびただしい数の火が見えた。マゼランはこの地方の住民がたがいに合図の烽火を上げているのだろうと推測した。このエピソードから後にティエラ・デル・フエゴ(火の島)と名付けられた。フエゴ島はチリとアルゼンチンの国境線確定交渉で2等分されることに決まった。フエゴ島は大小数百の島からなり、九州より一回り大きい。

   
   
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