1.教育ソフト市場?
教育ソフトについて語ることは、学校向け教育ソフト屋として「敗軍の将、兵を語る」といったところでしょうか。
現在、学校教育を対象とした教育ソフトの市場はほとんど終息状態にあるといえそうです。旧文部省が全国の学校にコンピュータの導入を決めたのは1995年、平成3年のことでした。同時に技術家庭科に「情報基礎」が追加され、学校教育の場で組織的にコンピータを教えることになった。文部省のこの施策に伴って予算措置も講じられ、ここに学校に教育ソフトの市場ができることになりました。
国庫補助金による整備計画のときは、ハード・ソフトともに順調に導入が実行されましたが、地方交付税措置や自前での整備の時代になってハードは最低限整備されましたが、自治体の予算の逼迫もあり、ソフト予算は削られる一方というのが実際で、今日に至っています。
「読み・書き・コンピュータ」といわれてコンピュータ・リテラシーは普及しましたが、教科や総合学習の授業の中で使われる教育ソフトは活用の機運はあったものの、一般の先生の間でも普及し使用されるまでには至りませんでした。ワープロや表計算などの基本ソフトは、全国の小・中学校・高校で採用され、情報基礎や教科の授業でも活用されていますが、いわゆる教育ソフトは普及しませんでした。
これにより、いわゆる「教育ソフト屋さん」という事業そのものの存在基盤がなくなり、良いものであれば必ず売れると信じて開発と販売を続けてきましたが、現在、ほとんど活動停止の状態にあります。
2.どうしてこうなったのか
私は創育で教育ソフトの開発・販売事業を立ち上げました。1980年代の後半でした。学校にパソコンが数台しかない時代で、いわば社内ベンチャーとして始めたものです。パソコンが学校に数台しかなくて、それを教育利用するとすれば、教師の成績処理などの教務ツールか授業での指導用ツールとして利用するしかありません。最初のCMIソフトの開発はN88日本語Basicで開発した成績処理ソフトでした。同時に最初のCAIソフトの開発は、MS-DOS上で開発した「関数シミュレーション」でした。つまり提示用としてコンピュータの計算・グラフィク機能を利用したシミュレーションです。この後、数学の図形の作図ツールや天体シミュレーション、植物検索などのツールソフトを開発・販売しました。
1992年にWindows3.1がリリースされ、いわゆるWindowsパソコンの時代が始まり、1995年のWindows95で全盛時代を迎えます。
この頃の教育ソフトは、教師の授業展開の中で必要に応じて提示用ツールとして使用されていました。研究授業などにも参加させてもらいましたが14インチの小さなディスプレイを教壇に乗せて表示したりやや大型のディスプレイを専用台に載せて使っていました。生徒の理解を助けるだけでなく、教師の問いかけや生徒たちの応答、生徒が考えた仮説の検証、教師も生徒も楽しそうにコンピュータを利用していました。そのような授業の場に立ち合わせていただいて、それはコンピュータを利用した授業の新しい可能性を感じさせるに十分なインパクトがありました。
その後、パソコン教室に20台から40台のバソコンが設置される時代になり、教育でのコンピュータ利用も大きく変わりました。生徒一人や数人で1台の時代ですから、生徒たちに直接操作させる必要が生じできました。生徒たちに調べ学習のツールとして使ったり、作品を作ってもらったり、思考過程を支援するような使い方が主流になってきました。パソコンの性能も一段とアップし写真画像だけでなく動画・音声なども容易に扱えるようになりました。
出回っていたソフトも画像をふんだんに取り入れるようになりました。歴史新聞記者や地図とデータや情報を結びつけたソフト、理科の計測ツール、音楽ソフト、技術家庭で設計・実験支援ソフトなどほとんど全教科のさまざまなソフトが開発されるようになり、学校教育用ソフトの販売も全盛期を迎えました。しかし、この第二期導入計画も5年で終了すると、平成12年からの第三期導入計画時には、ソフト予算を情報基礎関連を除いてほとんどつかなくなってしまいました。購入予算がついたからソフトは購入されたが、予算がつかなくなるにしたがってソフトの購入がとまり、また授業での利用も非常に限定的なものになってしまいました。一時は20億円近くあった売り上げは毎年2〜3割りづつ減少するようになりました。予算があったから成立した市場は、砂上の楼閣のようなものでした。
私たちは、必要のない教育ソフトを作っていたのか、授業でもほとんど使われないのに授業用ソフトとして販売していたのか。なぜそうなったのか、何度も反問しました。
私は原因は次の5つにあると考えています。
(1)予算がないと購入されないような、実需要に基づかないソフトを提供していた。
(2)少ない開発予算とタイトな開発期間の中で製品化を急いだ。
(3)Windowsのバージョンアップが頻発し、それに十分に対応できるだけの予算と人員の体制がなかった。
(4)パソコン教室での一斉授業形式や一斉パソコン利用は、普通教科の授業進行とうまくなじまず、またパソコン利用の授業はカリキュラムも圧迫した。
(5)リテラシーとしての情報基礎は定着したが、普通教科の中でのパソコン利用の必然性や有効性を十分に提案できなかった。
3.ネットワークの教育利用
この頃平成11年に、私は創育を退社し有限会社イントを立ち上げました。これからの時代はネッワークであり、学校も校内ネットワークやインターネットを活用した新時代になると信じたからで、校内ネットワークに対応したソフト開発に再度の挑戦をしてみたかったからでした。
私の25年間働いた末の退職金を全額つぎ込んで「Web教室」という校内ネットワークとインターネットを利用するソフトを開発しました。校内のメールや掲示板や会議室やデータベースやインターネット教育サイトへのアクセス環境を提供するものでした。
校内サーバはWindoesかUNIX(LINUX)か。そのどちらでも動作するソフトを無理を押して開発しました。結果的には、校内サーバはWindowsだけでよかったのですが。この時にもマイクロソフト社のブラウザのバージョンアップには泣かされました。バージョンが違うたびに開発言語PHPの一部がうまく動いてくれなかったからです。
また、インターネット上で動作する地図アプリケーションをいち早く開発し、地図上に作成した情報を埋め込んでアイコンで表示し、ひのアイコンをクリックすると登録した情報を表示するだけでなく、ページ上で意見の交換などができる掲示板機能を備え、コミュニケーション環境を作ることにも配慮しています。参加型で自己増殖型のデータベースを利用したもので現在のWeb2.0の先取りした画期的なソフトでした。
次に、「Web教室」は生徒たちが利用するWebソフトですが、教師が職員室で利用する「学校Web」の開発に取り組みました。メール・掲示板・会議室・データベース・生徒情報管理。時間割スケジュール管理など、校務に直結するWebソフトです。さんざん苦労したあげくこのソフトはいまだ未完の状態です。気づいたら学校教育の環境が大きく変わっていたからです。
開発しても有効な販売手段がなかったり、必要としている人にタイムリーに提案できないと販売につながりません。供給する人と需要のある人をうまく対応させるためには開発元と販売会社と地元代理店と連携が不可欠です。学校に製品を提供するというのは、販売ルートやイントトール・保守の組織など特殊なルートを経由させる必要があり、それらも良いの普及の障害になっています。
20年間、教育に特化してソフトを開発してきました。手がけた製品は、CD-ROMパッケージは200本、Webシステムは20システムになります。残念ながらそのソフトのほとんどは稼動していません。どのソフトも手塩にかけて開発した製品なので残念でなりません。ひとつの時代が終わったことを実感しています。
4.インターネット時代と教育
現在のインターネットは、Web2.0といわれています。Web1.0の時代はインターネットのページ(HTML)を閲覧するだけで、Web2.0は検索や地図を利用できたり、品物の売買やオークション、ミクシーなどに代表される日記の公開サービスなどです。サーバにデータベースをおいて管理し、今までのインターネットにはない新しいプログラムを利用しています。携帯サイトやメールとあいまって、この時代はますます進歩?しています。おそらく教師がインターネットや携帯やメールを使いこなす以上に、子供たちはもっとユニークな使い方を編み出して自分たちの生活のツールとして使いこなしていくのでしょう。
さてこの時代のネット環境は教育の場にどんな影響をあたえるのでしょうか。教育はWeb2.0の恩恵を受けることがあるのでしょうか。少なくとも現場からはそのような声は出ていません。
必要は発明の母ですが、現代の技術の進歩は必要から離れたところで進歩していきます。しかし、今一度、現場で必要としているサービスを、パソコンやインターネットに提供させるところから、始めてみるべきだろうと考えています。
だが、教育の場で必要なソフトサービスや技術とは何でしょう。学力の向上、総合的な学習の推進、生きる力・確かな学力、いじめや登校拒否、学校改革、教員の質的向上など、学校現場の抱えている課題は多様であり山積みでです。
文科省の調査でも、成績の処理・管理、通知表の発行などにパソコンを活用したいという声が一番でした。現在、創育と一体で成績処理ソフト「太助」のバージョンアップを図り、ネットワーク対応、評定作成、通知表発行、学籍管理、セキュリティの強化などの統合化を進めています。また、進路関係支援ソフトとの連携も進めています。
教科書会社を中心に、国語・数学・社会・理科・英語などの教科書と連動したソフト、参考図版などを表示する機能をもった、授業の中で教科書の内容に直結した提示ソフトが、多く提供されています。また、それらのソフトは生徒一人1台で利用する形ではなく普通教室の一斉授業で利用するため、ブロジェクターでの利用を勧めています。
これらの動向は、学校へのコンピュータ導入のほんの初期の頃と非常に似ています。初心に戻ったともいえます。日本の教育の場で本当に必要とされるソフト・サービスしか生き残れないでしょう。そして、多くの教育ソフト開発会社は消えていくでしょう。
5.時代を見据えたソフト会社経営は可能か
会社は「誰のものか」という議論が盛んです。日本では、会社はそこで働く従業員のものであり、運営する経営者のものであり、そして何よりもそれが提供するサービスを享受するユーザや社会のものでした。それが、ライブドアのホリエモンが出、村上ファンドなどが出てくると、「会社は株主のものだ」という議論がでてきました。株主が発言することで経営者や労働組合などの独走を牽制する効果がありますが、会社は株主のために儲ける事だけを考えればよいと目先の利益に走る危険性があります。志を忘れ目先のお金を追いかけるダークサイトに落ちています。
私は、会社は関係する人すべてのものだという考えですが、実際、私のところのような教育ソフト市場で生きていこうとする会社は、資本・規模ともに小さく、景気や市場動向に左右されやすい泡沫零細企業です。5年10年先の企業をイメージすることは、ITの世界にあっては50年100年先の企業や社会を考えることのように、無理があります。今年生き残るために一生懸命働くしかありません。ソフト1本1本の売り上げが、私の給与や社会保険料、税金のすべてです。
ですが、マイクロソフトやグーグルなどの創業者といえども、当然のことながらゼロからスタートしています。エスタブリッシュではなく、つねに挑戦者であり破壊者であり創造者でした。ITバブルが崩壊した今、ようやくITの真価が問われる問われる時代になっています。
IT屋にとっての初心とは何か。目先の利益や企業規模を追わず、社会に新しい利便性や有効性を提供することだと思っています。ITは教育にどのような貢献ができるのかを考え続けていきます。ITが教育に対して新しい利便性や能力向上のサービスを提供できないのなら、私はこの市場から去ろうと思います。
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