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西行と鴫立沢(しぎたちざわ)



国道沿いの歩道からみた、鴫立沢と鴫立庵。

「心なき身」とは何か。思慮がない、無分別といった意味や世捨人の境地などの解釈がある。和歌の伝統を外れたとっ言った意味もあるようだ。どの解釈をとってもそれなりによいように思う。

鴫立沢 とは何か

  秋、ものへまかりける道にて
心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮 (西行 山家集 470)

 1143年、 西行26歳、最初の奥州の旅。この句はこの時の歌だと思われる。26歳の西行の歌としては枯れ過ぎている。1186年西行69歳の奥州の旅の時ではないかという説もある。歌の内容からすればどちらでもよいので、とりあえず奥州への旅の途中、湘南の大磯から藤沢・江の島のあたりの間で詠んだ歌、ということにしておこう。

 鴫立庵は、神奈川県大磯町大磯1289にある。JR大磯駅から、国道1号線沿いに二宮駅方向に歩いて10分程のところにある。


鴫立庵の入り口。国道の脇にこんなところがあった。

 鴫立庵は国道1号線沿いに、海側のやや沢になった場所にある。国道には車がビュンビュン行きかっているが、一歩園内に入ると往時の静寂に包まれ、沢の水も流れており、鴫立の沢の雰囲気をいくらか味わうことができる。

 鴫立庵は、寛文4年に、西行のこの歌にちなみ昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの大磯の場所に、鴫立沢の標石を建てたのが始まりだという。その後、元禄8年(1695年)5月、紀行家と知られ、俳諧師としても有名だった大淀三千風(おおよどみちかぜ)が入庵し、円位堂・法虎堂・秋暮亭など今日に残っているお堂の大部分を建立した。
 鴫立庵と沢は、大磯町の有形文化財や史跡名勝天然記念物に指定されている。

 左は、大磯町教育委員会の案内板。写真をクリックすると拡大する。

 鴫立沢は、西行法師がこの地で鴫立沢を詠んだという言い伝えが室町時代よりあったと書いてある。
 「西行物語」には、この歌が詠まれたのは、文治2年(1186年)奥州平泉に向かう途中であったという。その地は相模の国大庭の砥上原(とがみがはら)を過ぎたあたりで、夕方のことであるとしている。大庭は、今の藤沢市大庭であり、鎌倉武将である大庭氏が領していた場所である。
 鴨長明の歌に「浦近き砥上原に駒とめて片瀬の川の潮干(しほひ)をぞ待つ」がある。この歌によると砥上原は片瀬の川の西ということになり、それを過ぎたところの鴫立沢は現在の藤沢市片瀬海岸のあたりということになる。
 ここでも、場所はどこでもよい、ということにして次に進む。


奥に見えるのが円位堂(西行堂)。辺りの住宅街や交通の喧騒のなかでここだけは風情が漂っているかのようだ。


円位堂(西行堂)?

 円位堂は、大淀三千風が建てた元禄そのままの建造物で、茅葺きの屋根で覆われ、堂内には等身大の西行法師の座像が安置されている。以前は拝観はできなかったようだが、今は問題なく公開しているようだ。

 円位(えんい)とは西行の法名。鴫立庵の年中行事、大磯町主催の西行祭は、毎年3月末の日曜日にこの堂の前で行われるとのこと。

 円位堂といっても、西行と何か関係があるのかと思うと、特に関係があるわけでもなく、ただ、西行像が安置されているだけのことのようだ。


西行堂の中の西行像。 クリックで拡大。
この形相なら、頼朝の歌を教えてくれという申し出をにべなく断ってしまうそういう西行の顔だ。

吉野山・西行庵の西行像。 風雅を解した天性の和歌表現者の顔。


堂の中の西行は

 西行は、立膝でリラックスしているようにも見えるが、表情は厳しい。どの程度、実物の西行に近いのかは不明だが、さもありなんと納得してしまう顔つきをしている。私好みのとてもよい表情をしている。
 だれかに似ている顔だなと思っていたら、吉本隆明にそっくりなことに気付いた。そのせいではないだろうが、吉本隆明は「西行論」を書いている。読んだ。よかった。西行自選の「山家集」によりながら、西行についてのシビアな「僧形論」「武門論」「歌人論」を展開している。伝説の西行を離れた生の西行であり、必読の書である。

 西行の顔はどんなだったろう。どの西行像が近いのかさえわからない。西行は武門出の苦行僧のような厳しい顔をしていたのか、和歌や楽器をたしなむ貴族のような柔和な顔立ちだったのか、それとも生き迷う煩悩凡夫の顔つきたったのだろうか。出家に際して、すがりつく娘を欄干から蹴落とした、鬼の形相の西行をイメージする人はいないようだ。

 左下の西行像は吉野山・西行庵にあるもの。こちらはややふっくらとして、全体的に丸い。「西行物語絵巻」に描かれている貴族たちのようだ。西行像の多くは、このような公家顔のようだが、これでは物足りない。


MOA美術館蔵の西行像
この西行の絵は鎌倉時代のもので西行の実像に近いかも知れない。こちらは西行最晩年とおもわれ、良寛のような優しさのうちにも厳しさを秘めた柔和ないい顔をしている。

   円位堂の西行とMOA美術館蔵の西行像は、優しく柔和な雰囲気なのだが、よく見ると骨ばって野性味のある顔をしている。武家出の苦行僧の形相だが、現世との関係も立ちきれない、そんな複雑な顔が私の中の西行イメージである。

 

真夏の鴫立庵を訪ねた

鴫立沢(しぎたちさわ)に、なんとなく行ってみたくて大磯に来た。 西行が気になったのはやはり芭蕉の追っかけをやっていたからだろうか。なにしろ芭蕉が心の師としていた人なのだから。

心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ


入ってすぐ右手にある鴫立庵。ここでよく句会が開かれるとのこと。

レストランからみた鴫立沢。

レストランのテラスからみた鴫立庵。
アジフライを食べながら、生活人の「心なき身」が感じる「あはれ」について考えた。

「予が風雅は夏炉冬扇(かろとうせん)のごとし。衆にさかひて用(もちい)る所なし。ただ釈阿・西行のことばのみ、かりそめに云ちらされしあだなるたはぶれごとも、あはれなる所多し。後鳥羽上皇のかかせ給ひしものにも、「これらは歌に実(まこと)ありて、しかも悲しびをそふる」とのたまひ侍しとかや。されば、この御ことばを力として、其細き一筋をたどりうしなふ事なかれ。猶(なほ)「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」と、南山大師の筆の道にも見えたり。」 (芭蕉「許六離別の詞(柴門ノ辞」より)

 「心なき身」という気分にしたってみたかった。
 西行の「心なき身」とは、無常観や空しい心象というより、出家して世俗への執着を断ち切ったような、断ち切ろうとして断ち切れていないような、そんな心象をいうようだ。そのような身にも「あはれ」が感じられる秋の夕暮れの情景だったということである。
 こんな歌をみてしまうとどうしても、晩秋の枯葉を踏む紅葉狩りにでたくなってしまう。私も、なんのことはない詫び趣味の老人でしかないのだ。

 出家も草庵隠棲も旅する歌人も、現代からみると遠い心象ではある。なのにどうして西行という生き方に引かれるのだろうか。西行のような生き方をしたいとは思わないが、うじうじしながらの右往左往なのか、潔いのか、何故か魅かれてしまう。
 西行は、武術や芸能にも秀でていたようだが、何といっても歌についての稀有の才能があった。幅広い交友関係や人脈にも恵まれた。

 なにもない私は悲しいかな、西行のようには生きられそうもない。凡人凡夫は一生懸命に身を粉にして働くしかないのだ。才能のない人間が生きるには、黙ってこつこつと仕事をするしかないではないか。そうやって生きていればいくらかなりとも人と社会の役に立てることもあるのではないか。そうと思い定めたら、いくらか気が晴れて、生きていく元気も出てきた。
 「捨てて捨て得ぬ心地」はするが、「我が身をさてもいずちかもせむ」、「身を捨ててこそ身をも助けめ」 である。

 小林秀雄の全作品集の「西行」(新潮社)のなかで、「心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ」について、彼はこんな風にいっている。
 藤原俊成は「鴫立沢のといへる心、幽玄にすがた及びがたく」という判詞を残している。歌のすがたというものに就いて思案を重ねた俊成の眼には、下二句の姿が鮮やかに映ったのは当然であろう。どういう人間のどういう発想からこういう歌が生まれたかに注意すれば、この自ら鼓動している様な歌の心臓の在りかは、上三句にあるのが感じられるのである。其処に作者の心の疼きが隠れている、という風に歌が見えてくるだろう。
 藤原俊成の歌「夕されば野べの秋風身にしみてうずらなくなり深草の里」。生活人の歌と審美家の歌との微妙だが紛れ様のない調べの相違が現れてくる。
 藤原定家の歌「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋のゆふぐれ
この2つの歌は外見がどうあろうとも、西行の詩境とはほとんどかんけいがない。詩人の傍で、美食家がああでもないこうでもないといっているように見える。
寂蓮の歌「寂しさはその色としもなかりけり槇(まき)立つ山の秋の夕暮」も同様。
 小林秀雄は、この俊成と定家の二つが、西行の歌と合わせて「三夕(さんせき)の歌」などといわれているが、出鱈目をいい習わしたものである、というようなことを言っている。
 西行に贔屓目の感じがしないでもないが、「どういう人間のどういう発想からこういう歌が生まれたかに注意すれば、この自ら鼓動している様に、歌の心臓の在りかは、上三句にあるのが感じられるのであり、其処に作者の心の疼きが隠れている、という風に歌が見えてくる」という小林秀雄の観点からすれば、軍配は自ずと西行に挙がる。
 「この人(西行)の歌の新しさは、人間の新しさから直に来るのであり、特に表現上の新味を考案するという風な心労は、殆ど彼の知らなかったところではあるまいか。即興は彼の技法の命であって、放胆に自在に、平凡な言葉も陳腐な語法も平気で馳駆した。自ら頼むところが深く一貫していたからである。」(小林秀雄「西行」より)


鴫立庵の浦はこのとおり。湘南波乗り道路が走っている。

 「心なき身」気分の私が訪れた「鴫立庵」には、さわやかな湘南の風が吹き渡っていた。

いかにせんいまだ生き迷う還暦越え 
我もまた心なき身の鴫立つ沢
鴫立庵心なき身に湘南の風
鴫立庵裏で波乗る湘南路

ああ、また駄作。

 鴫立庵の横にとんかつ屋さんがあった。「アジフライ・とんかつ定食」でお昼をとった。やや量が多かったが、アジフライが新鮮でおいしかった。
 バイクでなければ、冷えたビールがほしかった。

 
photo by miura 2010.8 mail:お問い合わせ
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