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俳句徒然日記2021年


2021年1月1日


コロナ時日吉神社に初詣


役員の毛利さんに声かけられた初詣
丑年の来たりて哀しい六回目
孫ほのか来たりて嬉し元日の陽
牛の身ぐるみ欲しがる孫に妻あげざりき
年始めこれでも俳句か俳句なり
人の世のおごりが招くかコロナの禍
入れたばかりの入れ歯壊れて年初め

芭蕉と蕪村違いが気になって。特に臨終に際しての句がその違いを際立たせている。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る  芭蕉
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 蕪村
「旅に病んで」と「白梅に」、である。蕪村は芭蕉にはなれなかった。いや求道者のような芭蕉にはなりたくはなかった。その違いを蕪村は自覚的に、この悟り気味の白梅の句したのではないか。どちらも素晴らしく良い句だ。それで良いのだと思う。

権威や権力に身を擦り寄せてそこでのし上がることだけを目指す人、ひたすらアンチ権威権力を生きがいにして思考し行動する人、そんなことを見なかったことにして自分の生活や美的世界や趣味にしたって生きる人がいる。さてどうしたものか。

 

1月3日


生きているものはすべて、何時かは増大するエントロビーに追い越され、取り返しようもない破滅に向かう。生きているものはそのようなものとして存在している。

物の見えたる光消えぬうち

物の見えたる光、消えぬうちに書き留める。芭蕉先生がこんなことをいっている。だがどうすれば物の光がみえるのかがわからない。物の光ては何か。

いや別に今日は1月の3日なり
どうやら今日は日曜らしコロナの春
新年や逃げてもしわよるエントロピー

科学の目的は、「世界の成り立ち」について語ることである、と「生物と無生物のあいだ」の著者福岡伸一先生は言っている。なるほど。
エントロピーの増大に対抗して、修復に修復を重ね、生産と再生産を繰り返して、生命は自分の存続を図ろうとする。無生物にはない新しい造形を生物が生み出しているという事実。
絶えず押し寄せるエントロピー増大の法則に抗って、生命が保ち続ける秩序の結果。この秩序は生命の秘密そのもの。生命の輝き。
すべての生命はやがて自転車をこぐ速度が衰えるように、ついにはエントロピーに追い抜かれる。だが追い抜かれる覚悟を持ちつつ最後の瞬間まで生きるための戦いをやめない。それを無駄な抵抗とは考えない。この世の生あるものが皆いとおしく思える。生きとし生ける者に幸あれ。

 

1月7日

せりなずな

せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ

せりなずな七日七草ほとけのざ
セリ七日うまくもないが七草粥
こんなにも物はあっても心はナズナ
ナズナとはペンペン草の名なるべし

 

1月13日

春眼科曲がって見える右の目


2014年4月5日、黄斑上膜症で右目を手術をした。ちょっとだけ物が曲がって見えていた。あれから7年、わが右目は物が曲がるだけでなく、上下に長体がかかって見える。
春なのに右目が曲がってかなしい
この歳で物が曲がって見えるは罪業か
黄斑上膜症曲がって見えてはホトケノザ
太陽やなれのはてはシリウスか

 

1月16日


在りし日の保育園がなくなりぬ


年をとるとなぜか振り返ることが多くなる。私が通っていた思い出深い保育園はもう跡形もなくなっている。
今日も一人ウォーキング。

コロナ禍でも静謐なり散歩道
我が女房風邪で寝込んでも軟弱呼ばわり
    ごもっともではあるが。
コロナ禍でもコアラの森は元気なり
里山の田畑悲し荒れなんとす
栗いがやからからとしておいしくなあれ
春の日や白き大根残りけり
春立ちぬ今日から私は心の旅人 聖子
春立ちぬ今日から私は心の旅路
1月に白梅一輪咲きにけり

ひさしぶりのウォーキングで
てっぺんより吹き出しにけり頭汗
よく見れば梅一輪のうれしさよ
春ほのかほのか梅香楽しめリ

 

1月22日

 

世界は今、生きている位置は

新しい社会イメージの脱構築
ネオリベラリズムはともかくてして、
自由主義的資本主義、国家主義的資本主義、共産主義的・専制的資本主義、社会的資本主義。南北・東西問題、テクノロジー、格差問題、
家族主義、チームワーク、労働倫理など日本の資本主義、自然環境、環境保全、SDGs、グローバル資本主義
生産性、エネルギー消費の効率性や創造性、発明や科学テクノロジーにしか関心がないと言うのではどうしようもない。
生活の質、文化そして幸福など包括的な評価、ということになるそうなのだが。
文明的成長進歩の近代から文化的成熟進歩の現代へ。

 

1月26日

人生には生もあれば死もある

ハラルの認知革命
言語、虚構の共有
想像上の現実の共有
人は生まれ成長し老いて死んでいく。しかし死ぬために生まれてきたわけではない。生きるために希望の未来をつくり出してくれることを期待されて生まれてきた。一人で死んでいくからといってそんなに悲嘆に暮れることもないか。

老いの春歯なし髪なし記憶なし
蕪村は妻子二人と普段の暮らし
蕪村爺市井の中で穏やかに
夜半亭を継いでも悲し野心なし
絵師が本業俳壇師匠の野心なし

 

1月31日

七十一歳男性ですが春朧


春なれどなににつけても老いの鬱
七十一歳男性ですが春朧

ここのところ中国が鬱
武漢のコロナをあいまいにする中国。
神にでもなったつもりか中国共産党の罰当たり。
いったい何なのか国家統制資本主義。
人々の自由よりも国家的な価値?を優先する思考何か胡散臭いものを感じてしまう。人は何のために生きるのか。

 

2月7日

 

東風吹かばお迎え来ても覚悟あり うそ

チベット侵攻、ウイグル族虐殺、台湾侵攻いじめ、香港民主主義の圧殺、人権派弁護士の弾圧、天安門広場事件、コロナ問題の打擲。これらは全て内部に大きな矛盾を抱えてて解決できないまま、人々の意識を安っぽいナショナリズムをテコに外に向けようとしているためではないか。中国の対外的な強がりは、内部の矛盾や自信のなさや弱さの裏返しではないか。
独裁や国家資本主義は、民意反映の虚偽のためいつかほころびがきて破綻するのではないか。

子供の頃、なんとなく40歳までは生きられないだろうと感じていた。中学生の時にキューバ危機があり、アメリカとソ連が核爆弾を落とし合い、日本もそのとばっちりをうけて、沈没してしまうだろう、と。それがなぜか古稀まで生きながらえてしまった。世界の知性は、破綻的な選択はしないということなのか、たまたま自己破壊的本能が発動されなかったということか。

東風吹かばお迎え来ても覚悟あり うそ

2月10日

人にはね生死もこえる春がある

ウォーキング中、珍しく何故か嬉しそうな春を感じてしまった。見るものすべてがいとおしい。
春の日は大根足出す畑かな
古希越えて記憶はダメだが思考はいける
春の日や風まだ寒しウォーキング

 

2月14日

七十一歳ウォーキングに目覚めた春

3キロ30分、5キロ60分、10キロ120分これいかに、我が標準記録。

アファーマティブアクション積極的差別是正措置
男女平等お題目のみ75人

医者は病人を治すだけではない。アフガンの砂漠に水路を通し、農業を再生した。
アフガニスタンのマルワリード用水路
中村哲享年73歳
中村の柳は今日も青めりや

 

2月18日

白梅にこんな日もあるコロナ晴れ

白梅よ七十一にして花粉症
眼しょぼしょぼ鼻水たらたら薄白梅
新しいこと始めんとして梅かおる
いつ見ても気になる白梅春盛り
凛としてありたきものや白き梅

 

2月20日

土曜walk 今日も顔出す白い富士

昭和から春風に囁く日曜日
今いずこ五十年前の実存主義
サルトルや過ぎてしまった実存主義
71歳サルトルは遠くになりにけり
あの時の否定超越プラタナス

プラタナスの坂道のユトリロの絵

正しい生き方、人間の正味、信用できる人間か、 正義とは、正しさとは。

学歴、地位、年収、文化、体力、影響力、知識、技能、家族、子供、孫、運動能力
性別、民族、国、宗教、思想、南北、

 

2月23日

春風に歩き歩きて鶴ヶ峰

歩き歩きもの思う春の行方かな(私?蕪村?)
春風に定めなき行方ウォーキング

人間とは何か。動物と分かち、AIと分かつものは何か。意識に自己意識は伴うか。自己意識を伴わない意識はあるか。
草木には意識はない。
犬猫は意識を持つ。
ネズミの意識に自己意識は伴うか。
犬猫は自分が犬猫であるらしいと知っているか。世界の認識はあるか。それは自覚的な行動なのか、本能的な条件反射に近いものなのか。

 

2月27日

不思議な本地垂迹説

榊葉(さかきば)に心を かけん木綿四手(木綿垂)(ゆふしで)て思へば神も仏なりけり (西行)


西行の歌、伊勢神宮にて。神は仏の現世の姿だという。そういう神仏習合の時代もあったが、廃仏毀釈や神社統合といった時代もあった。日本人にとって、神も仏でもいっしょで、土俗信仰的な神々もいたのだが、ある意味どうでもよいことなのかもしれない。日本人の宗教観はそんなものなのだろう。それでも神でも仏でも何か超越的なものにはついつい手を合わせてしまう。これば人間として健全なことなのではないか。

 

2月28日

春の野にいでばや遠き松木の上

春の野に出でばや遠き昔かな
元に言葉ありきかホモサピエンス
歩き歩きもの思う春の行方かな ?
ああうれし生きてあるものの感触
春おぼろものの感触楽しみ歩む
市中はものの匂いや夏の月(其角か凡兆)
顔あげれば黒人娘真正面
バッグには揺れるキリンのぬいぐるみ
おもしろや車内の乗客観察会

 

3月2日

今日もまた相鉄に乗って出でばやな


いつもの電車ドラマに思えた春の雨
春の日や何年乗り続けたかこの電車
春の野にいでばや淡き緑たち
淡き春淡き想いや淡き恋


3月5日

効き目の右 ものが曲がって黄斑上膜症


左目は性能が悪くかすみがち。その目でものを見るのはつらい。すぐ疲れて眠くなる。力んで両目でみてもさら焦点が合わずにつらい。これが老いの限界というものか。

iPhone とiPad は相性がいいお供だち

気になるオードリータン。
オープンマインド、オープンソース、Forではなくwith, Gaba0、 ソーシャルイノヴェーション, 公共の利益とは、SDGsという価値。
インターネット以降の教育と異文化への理解、文化を跨ぐ自己形成、自分がやりたいこと、楽しいことをやる。ユーモアは大切。
散歩でも読書でもなく、睡眠はもっと大切。なんでも寝る前に課題を読んで理解すると、起きた時には課題の解決案ができ上がっているとか。

精神は身体の1部ではない。身体は精神の1部である。(ガブリエル)


3月13日

三渓園の石棺
茶室の前の石棺。 メメントモリ:死を思へ、か。

5w1hかと思っていたら5w2h


Howには、方法の他にhow much:コストがあると言う。なるほど、2つのHowは大切だ。ちなみにw の最初はwhyが来るらしい。5w1hは、結構深い物事の質実があるように思う。

過去30年の日本の大学教育の失敗: 批判的思考、イノベーション、グローバルマインド、世界各地の人々と共に協働する意欲、探究心、学ぶことへの謙虚さ。創造性を育てる教育、グローバル人材育成はどうなっているのか。

学校で子供たちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな人たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミニケーションできる身内と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は默許してきた(内田樹)。たしかに、日本の村社会そのもの。

自由と解放、これは欧米の感覚らしい。
調和、協調、やすらぎ、これは日本人の感覚。
この両方の調和が課題だとも。

3月14日

春の日や雨上がりの香り杉林

菜の花やウグイス早も来鳴きにけり
ウグイスの後に続くはだみ声閑古
何の木の花とは知らず昼下り
今生きてある時間と世界の肌ざわり


 

3月20日


紅梅やそぞろに寒し佐渡島


スイセンや母と愛でたし春の雨
海と空雨の詩情の両津湾

議会制民主主義は、時には民主制の破壊者を生む。彼は公人としての憲法尊重擁護義務を平然と破った。彼は最初からおしまいまで私人のつもりでいたと言うことになる。公人の意識なし。
モリカケさくらの公私混同で社会の原則が壊れた。
忖度政治、行政、選挙票取り的ポピュリズム。そこには弱者への配慮、惻隠の情はない。国家目標のビジョンがない。お友達の優遇。 社会の分断。秋葉原のオタクは自民党支持に組み込まれたか。菅首相はそれを継承するのだという。それでも青年たちは日々の平穏な生活に憩んでいる。救いようのない無関心と絶望。ああ、日本の社会、民主主義はどこに行くのか。

3月23日

春の朝ちょろちょろおしっこ止まらない


春の朝71歳になって花粉症
黒人女性ビキニばかりの春夢かな

花粉症と黄斑不調のダブルパンチ

 

3月26日

禿げてなを桜山の花見かな


いつもの花見いつ見ても快かな
待ちぼうけ今年の花見は待ちぼうけ
黒い雲さくら山を覆いけり
桜山昼寝せんとして黒
雨雲

今年も大池公園の桜山へ。桜の木が幹を残してみな切られていた。害虫か老齢か、若返りのためか。桜の木は人間ほど長寿ではないらしい。

 

3月29日

楽しくと思っても辛い月曜の春


携帯の操作が破綻して春の夢
仕事をとったら何が残るか春の鬱
仕事をとったら何もない老いの暮れ
人はさ何者かでなくても生きていける
人生の大半過ぎても春よ来い
死ぬまでは生きていようか春朧

動機付けられると積極的だが、
そうでないとeasygoing。
人はそういうものなのだろう。

4月1日


又平に合うや御室の花盛り 蕪村


今生の見おさめ仁和寺花盛り
またやこん御室の桜団子花
青空や御室桜のその先へ
遅咲きの御室の桜今盛り
枝古式御室桜の面白さ
白枝や御室桜のゆかしさよ
花びらは五枚で大きい古式花
むくつけき御室桜や塩大福

由良の戸を渡るとき舟人舵をたえ 行方も知らぬ恋の道かな(誰かの歌)

面影を探し訪ねて与謝の海
於母影や母恋しき与謝の郷

化石燃料の大量使用による経済成長。
経済成長を必要としない人間らしい繁栄は可能か。

 

4月2日

又来たよ天の橋立花盛り


また来たよ天の橋立与謝の海
ピンク色そは桜山の薄霞
与謝の街蕪村ゆかりの見性寺

蕪村は、母の故郷ともいわれる与謝の地に、なぜか3年間も住んで交友を深め、絵の修行に打ち込んだ。

 

4月3日


桜見に吉野はいずこ大渋滞


コロナ禍や外出自粛花見旅
伊賀を抜け甲賀信楽近江の海

あこがれの吉野山。来てみれば、下千本の桜は過ぎ、中千本の通りは花見客で三密状態。お昼は道端の長椅子に座って人見酒。奥千本は遠い。やはりなあ、これでは吉野の来た意味がない。

吉野山花は過ぎても人盛り
吉野山こがれしあとの宴かな
吉野山今は昔の思い出で

 

4月6日

思うことありわが青春

いつも一人で孤独だった。
孤独であること、美しく、貧しく、失うものがないこと。それが青春の条件だと思っていた。
いつも外れていて、吃音を抱え、自分一人で悩み、孤立感を感じていた。
それでも自分を変えたい、世界を変えたいと思っていた。ここのところ、あの頃の自分を考えることが多くなった。先がないと振り返ってばかりになるものか。

吃音や謳いもせずに哀しい本読み
吃音に遮られた稲の切リ株


4月7日

春の日には

今日もまた走る男となりてつつじヶ丘
自宅から徒歩1時間のズーラシア
春の日に極楽もかくや里山ガーデン
男一人ありて花園を歩くなり
男ありて一人花園を歩くなり
ツツジ花桜の後のお楽しみ

 

4月11日

エイプリル記憶混濁ツツジの花

エイプリル記憶混濁ツツジの花??
いつか夢見た記憶が蘇って、起きているのに夢の中。この記憶の混濁は何なのか。夢とうつつの薄いあわい。胡蝶の夢か夢の胡蝶か。

風呂入っていくらか正気桜日の夢
足裏に御室桜の咲きにけり
コロナ禍や桜は今年も咲にけり

 

4月13日

コロナ禍やそれでも出ていく勤め人


私の経験では、声の大きい人は内容がない人が多い。
ガブリエルは、経済活動の原則は、生活社会的な倫理と矛盾しないという。倫理的な価値と経済的価値はまったく同じだということを提唱したいという。
私の場合、家庭内の自堕落な自分を経済活動の自分に切り替えるためのいくつかの儀式が必要なのだが、経済的価値と倫理的な価値の乖離をどう解すればよいのか。

 

4月24日 25日 26日


春の野や生けるものみな美しき


古稀過ぎてようやく春を楽しめり

逝くときの句が気になって、
差し向かふ心は清き水鏡    土方歳三
わが齢氷る辺土に年送る    土方歳三
たたかれて音のひびきし薺かな 土方歳三
さざ波のままにみぎは(渚)の氷かな 中島 三郎助
ほととぎすわれも血をはく思ひかな 中島 三郎助

旅に病み夢は枯れ野をかけめぐる  芭蕉
白梅に明くるばかりの夜となりけり  蕪村
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな   子規

でないかもしれない、
柔らかな緑の心や宮ヶ瀬湖
春風や電車を止める飛来物

良介  多摩センター駅

手のひらを少しこぼれてひなあられ  誰かのものかも

 

4月30日

ウグイスや我にも謡う時があれ

息ひそむ我に泣き止むウグイス
鶯や早も来鳴きてホトトギス

ウォーキングしながら我に問う。なぜ生きるのか、なぜ働くのか。

アンケートを実施して、それについて質疑応答の面接をする、というのが新型採用手法らしい。
その人が自分の持てる能力を最大限に発揮できるようなそういう雰囲気を作り出すきへきだ、という。危機の時代だからこそ人は謙虚にそれに立ち向かうべきだ、ともいう。自己紹介と会社の業態についての簡潔な説明。会社は社員に何を提供できるのか。

5月5日

施設の母がしきりに思い出されて

菖蒲湯や思い出遠き野良の母
子供の日菖蒲の香り施設の母

締め出され喫煙者の人権はどうなのよ
それを言うなら、逃げ出せない受動喫煙者の人権はどうなのよ。

5月12日

時代を吹く風が何かおかしいくて

朝電車携帯ゲームの諸兄に告グ
五月雨や携帯見てると馬鹿になる
夢いずこ花を買いきて妻と親しむ
古希過ぎて学びつ老いぬつつじ花

 

5月20日


大野亀のトビシマキスゲの群生

五月雨や実家の庭の花菖蒲

史的唯物論、弁証法的唯物論、ガブリエルはそんなものは虚妄とも本当とも言えないという。信じるか信じないかの問題だとも人は言う。そういわれるとそういう気もする。マルクス主義は宗教のようなものなのか。

佐渡 城腰にて
春雨や滴る緑に佇めり
うれしかなウグイスカエルの合唱団



佐渡金山・選鉱場跡

トビシマキスゲはニッコウキスゲの仲間らしい。日本海の海岸近くと孤島にのみ群生する。
大野亀トビシマキスゲ外海府
佐渡金山なぜかラピュタ感選鉱所


5月24日 25日

春の夜の長きに

春の夜の長きさようならそれがどうした
春眠を貪る71歳男かな
生き迷う71歳春の夜の夢
春眠や夢うつつの境なし

洗濯物楽しそうに干す女房
生活を楽しむ女房軽んじる夫

 

6月2日


佐渡から切り取ってきた芍薬の花

6月のプラプラ会社通いの楽しさ


6月のやるべきことのある楽しさよ

芍薬や私きれいと五月雨

ああ70億分の1の命かな

右に寄っていく右目が斜視


焦点が合わなくて辛いからよく見ないこと。
こんな生き方でよいのだろうか。

6月6日

東福寺の市松模様の庭

わくばらにおしっこたれつつ侘ぶと答えん

梅雨の空コロナワクチンに出でばやな
何者か問われて名のるただの人

トイレに座っていて
病葉に問う人アラバ須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答えん (在原 行平)
わくばらに問う人あらばトイレに座りおしっこたれつつ侘ぶと答えん

6月12日

梅雨の朝今年の紫陽花グラデーション

アファーマティブアクション: 不平等なスタートラインの条件に対して下駄を履かす措置,積極的格差是正措置。

会社は永続する必要があるか。その必要はないが人はどうしても永続させようとするものだ。
消費のための労働ではなく、社会に意味のある貢献をするための労働。

万世一系天皇はいらない, 象徴天皇ならあってもいい。

6月20日 21日

四季の森公園にて


四季の森公園まで徒歩5km。花菖蒲はすでになく、写真を1枚撮ってむなしく帰る。
6月の行くも帰るも花菖蒲

この句が気にいている。
芍薬や私きれいと五月雨

帰り道、「われは蓼食う蛍」が思い出されて、

草の戸やわれは蓼食う蛍かな  其角
朝顔にわれは飯食う男かな   芭蕉
芭蕉の句は其角の「われは蓼食う蛍」の鬼才に触発されてかたしなめるためにか作られたらしい。芭蕉の朝顔を見ながら「飯食う男」もよいが、其角の「われは蓼食う蛍」は鬼才のひらめき、うまい。

6月25日 28日


相鉄線、先頭車両

夢しぐれトレンチコートのM57


一生懸命働くは早く楽したいから

そんな気がして。

朝、通勤電車に乗って
2回目のコロナワクチンで欲情す
われその気怠さに退化する
何事か成した気もなく雨が降る

変哲こと小沢昭一
ひだまりに何を慌てる毛虫かな
病妹の仕立てただけのパンタロン
手袋を肩に小便焼き芋屋

 

7月5日

女房1人喜ばせてご満悦

オルタナティブファクト、もう一つの真実。いい言葉だが、トランプが使うと虫唾が走る。

コ ロナ禍で自覚する自己表現の貧しさ
概念に出会った時の心の震え
事物に出会った時の心の震え
自分の言葉で幾重にも表現してみること。

歯抜いて梅雨明けの青い空

 

7月17日

歯抜いてご飯も噛めない夏休み


ラムネ菓子それでも孫は寄り付かない
コロナ禍やそれでもやってくる夏休み

 

7月20日

なるほどの矛盾こそ進歩の母胎

どんなに丈夫な盾でも貫く矛とどんな矛でも貫くことのできない盾と。この二つが矛盾しながら並立しているから意味があるのだと言う。なるほど。その矛盾が知恵と工夫を呼び切磋琢磨と進歩をもたらす。矛盾こそ進歩の母胎ということか。単純化したあれかこれかの価値判断から離れること。

上位下達や指示待ちではなく、阿吽の呼吸。
日本の武道は集団を1つの身体のように扱う技術のこと。(内田樹)

 

7月26日

71歳何者でもない男一人


歯科医院の若い子に口中いじられてめげた夏の昼

大胆にして細心
計画は大胆に、実行は細心の注意をもって

もうじき72歳悲しくもなし


8月7日

8月の路上に落ちた蝉の行方


被爆者の思い届かず哀しみの月
床屋さん鏡に映る哀しき男
悲しさはへたくそなツウブロック頭

オリンピックぼーっとしてみる走馬灯
コロナ禍のオリンピックに老人鬱


人間の根源的な優しさ、優しさの表現のようなものに、感動を覚える。(レビストロース)

簡単では飽きられる、難しいと敬遠される。
そのギリギリのLINEを責める。

芭蕉はどこかで次のようなことを言っている。
俳句は、無知無分別を持って第一とし、無住無所有をその次とする。俳句はもともとアナーキーなものなのだ。

ピーピーゴウ五輪の後の野分かな

白牡丹と言うといえども紅ほのか  虚子
鐘つけば銀杏散るなり建長寺  漱石
白げしに羽もぐ蝶の形見哉   芭蕉
死にたれば人来て大根煮きはじむ  下村槐太

涼しさや藁で束ねた洗い髪   信濃の女性
働いたあと近くの川で汗にまみれた髪を洗った。髪を頭の後ろ手でまとめて手近の藁で結わった。吹き通る風に揺れる髪の爽やかさと藁の香り。このイメージの実感にハッとする新鮮さがたまらなくいい。

8月15日

8月15日こんな日本になりましたが

戻り梅雨もう秋だねと何度もつぶやく終戦の日
川崎を過ぎると元気よく速い東海道線

言語によって人間は世界を分節化する。目に見えるものだけでなく目に見えないものさえ。
生も死にも、仏の業だと思えばもはや生死にこだわる必要はない。

8月20日

嫌な感じ


ベラルーシの独裁者、中国のウイグルジェノサイド、アフガンのタリバン支配、自由はイスラム法の範囲、民主主義詐欺の常習犯プーチン
ああ、世界は後戻りしてしまうのか。

8月には戦記物を読む。今年は大岡昇平の野火。いつか読んだような、この嫌な感じ。
猿を聞くは、猿の声か人の声か。
猿を食って生き延びるか、食わずに飢え死にするか。自殺と同じバンザイ突撃か、両手を上げての投降か。

ありがたい、生きてる限り死はない。
なぜか元気が出てきた。

 

9月3日

フウセンカズラの秋

風船かずら2つ3つと咲きにけり


綿の実やいつまでたっても青いまま
みんなの人生を楽しくさせるような何か
みんなの人生応援団

コロナ禍や老人疲れて座り込む
へぼ俳句それでも詠うコスモスの花
NHKドキュメント72時間の生活感

夏過ぎて生てる意味
9月15日
平野歩夢
負荷がかかればかかるほど身は軽くなる。
ベトナム、ホンノンボ、桃源郷を求める心。

9月29日

いつまでたっても歯が治らない秋が来た

歯が痛くて肉が食べれない。
悲しい。
悲しいがなぜか、豚に感謝、牛に感謝、鳥に感謝。
人間のために食べられた家畜たちに感謝。

 

10月2日

大池公園ススキの原にて
ススキ野や負けるなセイタカアワダチソウ
名月はなけれどススキ野草団子
栗おこわ人生晩秋ススキ野原


10月8日・12日

堂埼教会

堂埼教会の横の渋い喫茶店

旧五輪教会堂

林の中の江上天主堂

中ノ浦教会

五島列島の旅

なんとなくコロナの合間の五島の旅。禁制に苦しんだ潜伏キリシタンの文化と教会群を見に行く。
世界文化遺産に登録されたのは「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。教会の建物は、1873年、明治政府が禁教令を解除した後に建てられたもので、直接に世界遺産になっているわけではないようだ。
ポルトガル・宣教師たちによる布教活動、キリスト教文化の広がり、豊臣・徳川幕府そして明治政府による禁教、 改宗を迫って拷問や踏絵、長崎半島から五島への移住、潜伏キリシタン、禁教令解除後の教会建築。潜伏キリシタンの苦難の歴史は長い。島々に点在する小さな教会は、海の青と島の緑に囲まれ、静かに哀しく美しい。


遠藤周作の「沈黙」の世界のあとでは、それにしても駄句さえ出ない。

青き島江上天主堂林の中
俳句が出ない五島の島

逃れきて林に潜む天主堂
逃れきて歴史に隠れた天主堂
緑の島潜伏キリシタン天主堂
悲しみの思いは遥か天主堂


青砂ケ浦天主堂

頭ケ島天主堂

10月19日

老人は入れ歯カラカラ今日も行く

カラカラカラ風本買いに
秋の日や哀しき下請け阿呆鳥


アイディアは大胆に、実行は細心の注意を払って

月曜日は集中するとおしっこちびる
10時過ぎの電車働く人皆疲れたり
カラカラリ枯れたら終わりと枯野行き
死ぬまでは生きていよう秋の朝
生涯現役 学びつつ逝かん

知らず、何方より来たりて、何方へかさる

ケンブリッジリサーチ
人間の心理的5つの傾向性
開放性、勤勉性、外向性、協調性、神経症的傾向
×深山岡村林長峰

私は高校時代からの過去を捨ててきてしまったのかもしれない。なぜか理由はわからないが、本来の自分のものでは無いような気がしている。
そこにいながら心そこにあらず。これって何なのだろうか。

秋深し先がないから振り返る
子供らの遊び声いつまでも秋のくれ

 

11月5日

なんとかならないか

インフルエンザワクチン打ちに産婦人科へ

散歩にておばあさんよりもらったマリーゴールドの種

11月12日

昨年の冬

寒くて寝れない夢を見し佐渡島

欧米はジョブ型中心、世界も羨む日本型
日本型メンバーシップ型はジョブ型を志向する

11月27日

秋の空単なるじいさん悪くない

つきなみのただごと俳句それがどうした

俳諧の益は俗語を正すなり。常に物をおろそかにするべからず。このことは人の知らぬ所なる。大切のところなりと伝えられハベルなり
ものをおろそかにしてはいけない、大切にする、もっと言えば愛情を持って対象に接することの大切さ、そうしたことをこの一言は言っている。 そうしていればある意味で雅語以上に上の美しい表現となる。


12月21日

ドコモさんでiPhone 13をゲット

なにがどうちがうかもしらずiPhone 13
かなしくないか老人の新しがり iPhone 13

奥村工作

ただごと歌の系譜
美を目指し構成的。心よりも技、表現を重んじる。表現効果に憧れる表現主義の生き方。
ただごと歌
心技一体の歌。何よりも心、感動を重んじ、そのさながらの表現を目指す。的確、正確な表現の追求。
瓶にさす藤の花ぶさ短ければ畳の上にとどかざりけり(子規)
幾たびも雪の深さをたずねけり(子規)
鶏頭の14 5本もありぬべし(子規)

エアコンに枯れてきて静電気
冬近し老いる体に堪える精神
いま生きて歩いてある我に感謝

ただごと俳句単純は深い
マンホールの蓋が黄色くて冬
借り歯の入れ歯抜けても入れる

   

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