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俳句徒然日記2010〜2012


2012年12月

讃美歌を歌う

女房が賛美歌歌う冬の宵

何を思ったか、女房が合唱団に入った。娘も息子も来なかったが、私には行かないという選択はない。 舞台の上でグレゴリオ讃美歌を歌っていた。何か冗談のような気もした。
ほとんど唖然として、混乱した頭で聞き入るしかなかった。


無言歌や私のものかこの命
合唱を聞いていたら、ふっと命への思いが湧いてきた。私の命は誰のものか。
私は自分の命を生きているのか。そんな思いが湧いてくる合唱会だった。


2012年12月

めざしに残る海の色

雨上がり青空映す水溜まり
青空やあきらめ秘めた秋の情熱
楽天が持ち味なり秋の空
木枯らしやめざしに残る海の色 (芥川龍之介)
芸人の涙の数たけ笑いありか。

冬の雨背負うたものを振り捨てる
冬枯れの野に氷雨降る年の暮れ
ずぶ濡れの犬も路線に立ち尽くす
軟腕のお姉さんに挟まれた今朝の電車

小春日に走りつ侘びる一人旅
東名に影を伸ばして冬の旅
年ふりてなお美しき老松かな
老木や紅葉をまといて貫禄かな
いつの日か庵結ばん枯れ木立
冬枯れの風になりたし1200GS


2012年10月9日


 

カナダ・メイプル街道にて

紅葉のメイプル雨道いやし旅
メイプルや染まる心に初時雨
寺島しのぶと呼ばれたい遠藤さん
若ければ住んで見たいとも秋カナダ
北の果て耕す人のあるらし荒畑
ローレンシャン赤き照山散る紅葉
はかなさはサトウカエデの黄一葉

 

 

 

2012年9月15日



赤岳へ

横浜から1日1本はまかいじ
8時消灯赤岳鉱泉
9時に目が覚め寝付けない赤岳鉱泉
蓼科山-西・東天狗-硫黄岳-横岳-赤岳-阿弥陀

秋日さし電車で街に映画みに
即興のジャズビアニストの<ものすごい努力・人知れず根性・どの業界でもやはり気合>

2012年6月8日


母からの白ボタン

俤や母の送りし白いボタン
しゃくやくやありし日の母の小包
母からの小包みいっぱいしゃくやくの花

紫陽花や枯れ行く時間に老い哀し
赤く咲こうか青く咲こうか紫陽花
迷った末のむらさき紫陽花

2012年4月29日

 

佐渡・八幡館

亡き父の法要も終え、家族でホテルをとる。お風呂と佐渡おけさがよかった。

いきものの音でいっぱい夏峠
八幡館右は相川左は小木
菜の花や波に入り陽の無縁坂
菜の花や沈む夕日と老いた母
道祖神右は相川地獄坂
イカ的と類的人生差はありや
イカのようなものと感じて類に没す
信じられるものなどあろうかホトトギス
なつかしや遠き血縁の記憶佐渡島

北一輝夢破れて国家ファショ

侘び・寂び、無常、諸行無常、栄枯盛衰、隠棲、隠遁、閑居、侘び色、閑寂、無執、無能無芸、愚禿親鸞、無庵無住、無能無知、愚者、胸中一物無し

桜見て騒ぐ心は西行か
敷島の大和心ょ人問はば朝日に匂う山桜花(本居宣長)
人生に目的などあろうかバイク旅
オートバイ乗れば五月の時雨かな
憂き世なら楽しく狂え櫻花
我もまた散るが定めの櫻花
陽だまりで煙草くすらす春爺

金持ちを見せびらかすあの人を思って
金持ちのせこい生き様貧相な顔

ぱっとしない天気に惑う雲の丹沢
借金を払い終わって後祭り
       うつろでむなしくなりにけり
老人にも生きる甲斐あれ孫の笑み

 

2012年3月8日


エルサレム・岩のドーム

エルサレム・生誕教会


ペトラ遺跡

イスラエル・ヨルダンの旅

エティハドやアブダビ経由でアンマンへ
アブダビでトランジェットやることなし煙草吸う
神々に南無と唱えしエルサレム
神殿に向かって唱える南無阿弥陀仏
古の神々眠るエルサレム

熱き心やマサダ砦の涙形
神々の野望か涙か生誕教会
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のいろいろな宗派が集って、外見は平和を保っているようにみえるのだが。

照ると夏陰ると冬の死海かな
死海の夜ダビデの星かシリウスか
旅に病み死海の向こうはエルサレム
ネボ山やモーゼかく生く風の丘
こちらはヨルダン向こうはインラエルの死海かな

ヨルダンの砂漠になぜか雪が降る
ベドウィンの寝覚めの床かベトラの雪
ベドウィンの命の証し赤マフラ
ベドウィンの命を燃やすか馬男
ラクダ駆るは砂漠の民の心意気


ペトラの山の上にある遺跡

2012年3月3日


本沢温泉の途中までの雪上車?


本沢・硫黄山の露天風呂

露天の月

この山登りは、春の硫黄岳コース。
初めて、トラックを雪上車に改造した車に乗る。珍しいが、乗り心地は今一。
見上げれば本沢露天の乳白月
八ヶ岳我を絵に見る露天の月
風流やヘットランプの露天の湯

貧乏に追いつかれけり今朝の秋 (蕪村)
この村の人は猿なり冬木立 (蕪村)
菜の花や月は東に日は西に (蕪村)
月は東に日は西にいとしき君は真ん中に(自作?誰?)

くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え(閑吟集)
虚ろな人は嫌いよ (閑吟集)
ただ人は情けあれ (閑吟集)

 

2012年1月10日


雪の仙丈が原

動的平衡

人は逝くもの、移り行くもの。生命とは。
面白うてやがて悲しき動的平衡
いつか逝く思いのたけの歳初め
迷いきて死ぬまで生きよか年初め
あれもやりたいこれもやりたい年初め
新春や生きてる時間の数え歌
新春や軟弱な心に不屈の意志
還暦越え知力気力を振り絞れ


ケーブルカーを降りると、そこはマイナス17度の仙丈が原。明日は木曽駒ケ岳。
行き行きて雪にかなわぬ仙丈ヶ原
難行や起きても寝ても夜行バス
雪が深く駒ヶ岳断念。無為に下山。

 

いずくにか眠り眠りて倒れ伏さんと思う吹雪の大菩薩領

じやんけんに負けて蛍に産まれたの (池田澄子)
ファーストキッスのあとの立てなくて遠花火 (池田澄子)
たのしく寂しく青臭く。いいね。

仕事や俳句に逃げることもある
あのころ、退職起業という生き方は、どうだったのだろうか。
水槽にナマズを入れると、ドジョウは食われまいとして強くなる、らしい。

あのときの我はどじょうか年開ける


2011年12月17日

初孫や

初孫や薄明希望の年の暮れ
初孫やながめあかして年暮れる
青空に白いおもちの初孫かな
初孫やご褒美感謝年の暮れ
初孫や嵐のような一か月
孫を抱く年になりけり年の暮れ
初孫の一か月のじじばば孝行
初孫や
今日もまた生きる理由の大山尋ね
心のなか歩いて今日も大山参り
冬の日の我が影踏みふみ大山歩き
暮れ暮れて七沢の湯の柿紅葉
行く雲や湯面乱れる年の暮れ
雪降るは白い悪魔か幸せ天使
白樺やみぞれふりしむ冬の旅

入れ歯があわない
哀しさは口曲げ食すフランスパン
紅氷雨山茶花散らす裏小道
超越は心の病か生きる力
超越や明日の我に飽く我は

 

2011年11月


鍋割山から見た富士山

丹沢の鍋割山

カップヌードルを食べながら富士を独り占め
久し振りに丹沢の鍋割山に登っった。富士山が半身に雪をまとい裾野まできれいに見えた。
鹿の糞だらけの頂上の芝生で、昼食を食べながら眼前の富士山を独り占めした。
40までに死なんとや63歳の冬
時雨るるや思い悲しき冬枯れの富士
秋富士や眼前にありて時忘れ

六十二路きて死は遠からじ一つ星
若き日や凍てつく夜の我がオリオン


そういえば、二十歳の頃は、40歳まで生きている自分が、想像できなかった。
若いとき、根拠もなしに、そんな気がしていた。そして今、63歳。生をむさぼる。兼好法師がそんな老人のことを、みっともない、あさましいといっていた。
「四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥ずる心もなく、人に出で交わらはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」 (「 徒然草」第七段)
吉田兼好のいうとおりである。自戒。しかし兼好のいう老人は引っ込んでいろというのはいかがなものか。

秋風や明日は何売る柿を食う
秋風やいつまで人生傍観許されじ
大阪の友の便り絶えて秋の風
哀しいか我が心そろそろ行かねば
甲州路カラカラと心騒がす野分かな

カラカラと憂いは深し甲州路
この秋は何で生きよか西行さん
冬枯れの野行き山行き大山行き

眼の中で虫歩きて飛蚊症
ゴシゴシと残り歯一本磨いており
ジーンズのあの青春をもう一度
六十二歳のジーンズ出勤の誕生日
自堕落に居れば楽しい行き詰まり

 

2011年11月5日

谷川岳

谷川岳帰る造化もなかりけり

芭蕉 風雅の誠 求め続ける生き方
私意を捨てて物事と一体になること
痛いかかと耐えて楽しむ老い登山
山登り幸せもあり初時雨
唐松や冬待ち顔に初時雨
音もなし枯れ葉落としの初時雨


2011年10月


ここからは苗場山は見えない

10月の提出予定句

青空やあきらめひめた秋熱情
仕事への情熱はどこからくるのか。
後期資本主義の自由競争社会の中で、労働者の仕事への正しい情熱は。

秋日射す電車に乗りて映画館
齢ふりてなお美しき秋老松
老松や紅葉巻きつけ伊達男
冬用のズボンはちょっと長めよし
女房が髪切り染めて冬支度
女房がバーバリ出して冬来り
根拠なきいつもの自信は我が娘

愚禿親鸞(親鸞)
愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄(最澄)
愚痴十悪の法然房(法然)
浄土宗の人は愚者となりて往生す(法然)
煩悩具足の凡夫罪悪深重慙愧
大乗経の根本義 「空無」の理念

上野の森小春日和りに生き急ぐ
法然親鸞や動機不純の我が女房
蛸壺や携帯イヤホン見る夢は
コートのすそ揺れるレースが色っぽい

苗場山かかと痛くて湿原へ
楽しみは雨降り霧中の山登り
土砂降りのなぐさめかねつ苗場山
雲ごーごー苗場の池に秋の風
早乙女の姿はいずこ苗場山 9/30
八ヶ岳かかと引きずりオーレン小屋 9/24
見上げれば雲居にかすむ天狗の月
人はもと自意識闇か共同のひかり
人はみな善人装い悪事為す
暮れ暮れて赤く咲くのは彼岸花
哀しみは葉なし血色の彼岸花
金借りる不安と矜持と青い空


2011年7月18日

ものごとのみえたる光

なでしこの強さに惚れて大山参り
なでしこの負けない心に涙落つ
夏来り不撓不屈のなでしこジャパン
走る雲心騒がす乾坤の夏

なつかしや青空汗水草いきれ
むせかえる草いきれのなか走りきたり

ものごとの見えたる光消えぬうち
気迫を込めて言いとむべし (芭蕉)
夕顔や見とるるや身もうかりひょん (芭蕉)

生きる理由求めて得られず、死ぬ理由も見当たらず。
生きる意欲、積極性がなくなると、人間、侘び寂びしか残らなくなる。それではつまらない。

もの思うてかなわず無になる塔ノ岳
若いねといわれて張り切った塔ノ岳
六月の富士を見に来て富士はなし
しましまの阿保山ガール行く塔ノ岳

ものごとの見えたる光関心相関
指向の価値は自由と相互承認
我問わん思想なき世の思想性
いかにせん未知への挑戦イノベーション
この年になってもあこがれと喪失と
虚しさを捨てて今日も雨の中
企業の目的読んでもわからぬドラッガー

 

2011年7月

NHK 俳句講座 提出句 まとめ

陽だまりで 煙草くゆらす 我春爺
今日もまた 生きる理由の 大山尋ね
心の中 歩いて今日も 大山参り
菜の花や 沈む夕日と 老いた母

ふと見れば スカート短し 春乙女
意気地なし 歯なし髪なし 老いの春
人生に 目的などあろうか バイク旅
オートバイ 乗ればまたもや 五月雨

俤や 母の送りし 白牡丹
赤青か 迷ったあげくの 白紫陽花
かかと痛 首痛腹痛 私の梅雨
首筋が 固まってしまって いつもの梅雨

1mgの ニコチンに迷う 六十路の宵
志の 低さに迷う 夏の朝
山Girl 山があるから 山ガール
秋風が 吹いて仕事が つまらない


2011年6月16日


朽ちかかった屋久杉

屋久島へ


屋久杉を見に屋久島へ。だが、大雨のせいで鹿児島から屋久島への飛行機が飛ばない。船で渡る。
屋久島や雨は降る降る便もなし
傘かなし降り降りて屋久島雨の島
屋久島や太古の匂いもののけの森
利用不適悲しき長生き縄文杉

 

2011年6月

芭蕉先生は、

作句において、私意・作意を嫌った。
実際、作意なくして句がつくれるものか疑問だが、うまく見せようとかカッコつけようとかの作意は、確かに気持ち悪い。第二文学としての俳諧らしく、いや芭蕉先生のいう「軽み」を体現した句がいいと思う。私も、「軽い」調子で詠もうかな。だが、「軽み」を出すのは難しい。

飲みたやな心の迷宮雪白梅
春風や老い行くこころに桜舞う

電車に座って、久しぶりにドッキリしてしまった朝
しなだれる小さな肩にときめいた朝
背広着ても六月の風に生き迷う
着古しのジャケットかなし六月の風
席取りの切ない速術はげおやじ
素早く反対側の席に回り込んで腰を掛けてしまった。さすが、伊達に年をくっていない。

貧乏に匂いあり。

悲しきどじょう
迷いきて迷いに籠れる梅雨の朝
迷いきて迷いに居直る梅雨の明け
青空に残る若き日の崩壊感覚
ガス台を買ってうれして女房どの

2011年05月25日14:42

悪党芭蕉

悪党といわれながらも、俳諧に新風を巻き起こそうとした芭蕉。
何事かを変えよう、革新しようとする人は、変人呼ばわり、悪党呼ばわりされるのは、避けられない。
悪党芭蕉の周りには、悪党たちが集まって、何事かを為そうとしていた。そんな風評被害など少しも意に介さず、芭蕉は俳諧革新に挑み続けた。
芭蕉は和歌に連なる俳諧や連句の伝統を否定しようとしていたのではない。彼が否定したものは、歌枕や雅語やパターン化された古色蒼然の表現であり、その伝統に胡坐をかく俳諧師だった。
芭蕉は、和歌に連なる伝統によりながらも、平易な俗語を使い、物に入って感じたままの心を表現しようとした。作為や私意を排し、自然に随順するのをよしとした。

深川時代の芭蕉の新境地を開いたいわれる次のような句がある。

枯れ枝に 烏のとまりける(とまりたるや) 秋の暮

侘び・寂びや禅味が加わると、芭蕉らしい句になる。

最近の私の場合、電車の中の若者たちの様子が気になって仕方がない。

若者やからっぽの洞窟ipad
あほ青年ホームのベンチでパンクチャル
勝ち誇り
腰ふるヘッドホンお姉さん
しなだれる小さな肩にときめきく朝

2011年5月

 

へたはわかっている

というふうに、またへたの言い訳をしている。
いまくなろうと努力しない自分に甘いということだな。

電車に乗ると、右も左もスマートホン・ihponeをいじっている。 昔は、新聞・雑誌・本が多かったが、最近は様変わりしてしまった。まあ、どちらでもよいことがだ、若い時間がもったいない、と思う。

若者よ、時間を無為に過ごすなよ。
私のような人間になってしまうよ。
ボーとして電車の窓を見ている私。

若者よカラッポの洞窟ihpone
勝ち誇って腰振るおねいさん参りました
春風やまた死に近づくはなみずき
見付けてねここで花咲く雪割草
虚しさに耐えて昇れや五月だこ
春風呂や桶をあがってまた楽し

どうも、老人のぼやきのような気もするが。

天才肌の無頼派と、努力しても凡人の真面目派と。
凡人の哀しさや隠して電車に乗る
凡人の哀しさ晒して今日も行く


2011年05月12日23:08

また書いてみようかと

だいぶ休んでいました。
また、書いてみようかと。

俳句がまだわからない。
すこしも上達しない、ように思う。

今日の朝緑やわらかこぬか雨

こんな句しか出ないのです。
もう少し、気合いを入れねば。

今日もまたぼぉーと過ぎた8時間
娘来ていっしょにケーキを食べてうれしい

春や昔 十五万石の城下哉 (子規)
水の北山の南や春の日 (土方歳三)
三日月の水の底照る春の雨 (土方歳三)
春雨や客を帰して客に行く (土方歳三)
差向かふ心は清き水鏡 (土方歳三)
たたかれて音のひびきしなずなかな  (土方歳三)

すみとりへ移すや床のおち椿 (中島三郎助)
さざ波のままにみぎは(なぎさ)の氷かな(中島三郎助)

2011年02月20日



ドイツ出身の女性数学者マリア・ライヒェが観測したといわれる展望台

南米へ

2/9日成田-アトランタ-リオ。ブエノス−イグアス-リマ-クスコへ。
遊びをせんとやボリビア・ベルー・ボリーバル
1492年のコロンブスから始まる南米滅亡
コンキスタトール・ピサロはならずもの
雨上がりアンデスの山に出でし月かも
旧市街大統領府のこころいき
通り雨ウルバンバ谷に出でし月かも
マチュピチュに降る雨遠しインカ道
知りがたし古代の祈りかナスカ絵図
幾山幾砂漠越えてナスカ道
悲しさは新旧大陸の出会いかな


峠から見たウルバンバ渓谷

2011年01月23日

五年ぶりのジョッギング

膝をいためてからジョッギンクをやめて、ウォーキングにしていた。スロージョッギングという考えがあり、通常のジョッギングより老人にはずっといいらしい。ということでひさしぶりで走ってきた。
五年ぶり身体うれしいジョッギング

コスプレや見切ったあとの哀しさは
若き女さわっちゃ危ないやけどする
一安心元気な娘の声聞けば
娘に買ったLV自分もと買う家内かな
お姉お婆かお婆お姉か若づくり

明日には雪白梅となりにけり
風流や雪の白梅恋忘れ
今日もまた風狂老人侘びており

春の日は会社さぼって伊豆の海
あそびをせんとやうまれけん
哀しさや我が物覚えの乏しきこと
西行は遠くなりけり六十路旅

Sony sel18200 3.5-6.3/18-200
レンズ買い物欲哀し冬曇天
昼食は高菜チャーハンギョウザの至福かな
それにしても チャーハンギョウザの捨てがたさ

 

2011年01月21日15:54

来週は冬の丹沢 

昨年は、なぜか山登りに凝ってしまった。神奈川の丹沢山系が近いので、よく行った。 ひとりボーとしながらの山歩きもいいものだ。山頂でお湯を沸かして、ラーメン+おにぎりもおいしい。自分の体力は、わきまえているつもり。それゆえ、時には体力の限界を確かめてみたくなるときもある。
もう無茶をやるような年でもないが、体力の限界に挑戦し続けると、限界に達するまでの幅が広がっていって、とても愉快。だが、鍛えている若い人にはかなわない。もともと、比較するほうが無理というもの。あぁ、衰えていく体力に抗っている私。人は、こうやって、老いて、病んで、死んでいくのだろうか。闘い続ける限り、勝ちはしないが負けない。
だが、死は、そんなちっぽけな私を、やすやすと越えていくのだろう。
そのなこんなで、来週は冬の丹沢を歩こう。

 

2010年12月04日


冬の三渓園

芭蕉と観阿弥

花みな枯れあはれをこぼす草のたね
枯色として華やげることもあり
冬晴れの陽だまりうれし生きてあり
冬枯れや舞い散る木の葉に誘われて
老いの力無駄に使うか大山参り
若い力無駄に使うなよ暴走族

権力者に都合が悪い者が無法者にされる。
法とは何か、正義とはなにか。
かくして始まるアウトロー・ロビンフッド伝説
カッコいいぜ、ロビンフッド

息子来て大山参りや初日の出
ハンバーガー食べれば気分はアメリカン
饒舌やせせらぐ人生冬枯れの川
年の暮れミニスカ立漕ぎ女子高生
年の瀬も昨日の我に飽く芭蕉
不易流行雅は遠くなりにけり
物我一如見えたるひかり書き留める
アバターやシニア割引年の暮れ
侘び寂びてしほりほそみの俳諧かな
わびぬれてさびてしほりのほそみかな
意気地あり男の色気粋に生く

 

2010年11月27日

無為に過ごしたか我が青春

冬枯れや一人楽しむ東丹沢
木々たちは苔をまとって冬籠り
西方もかくやとばかりの紅葉山
蓑毛とは大山に縁ある名なるべし

人生の傍観者の虚無や秋の空
ぼーとして無為に過ごしたか我が青春

教育には、いろいろな定義の仕方がある。
公共の福利を自己利益よりも優先して配慮する人間、すなわち社会的存在。
自己利益を公的利益よりも優先して考えようとする人は「私的人間」。
学校教育は、「公民」を個人のうちに扶植する装置である。

 

2010年08月18日

億吉野の西行庵

吉野・西行庵を尋ねて

花夢花夢のおやじ桜か西行庵
世を越えて何を語らん西行庵
網戸でも虫のはい入る吉野の夏
吉野山ああ哀しみの凡庸楽し

 

2010年07月04日11:50


紫陽花や 

久しぶりの梅雨の晴れ間の土曜日。
江の島まで自転車行。
休憩場所の土手に紫陽花の切り株があった。
その切り株の向こうには、首を切られた紫陽花が転がっていた。

紫陽花や咲きにし後の無残かな
こほろぎが草原をかき分けていった
人間はこうやって生きているのだ。
人を楽しませてくれる園芸種は、やはり人知れぬ労苦を隠しているのだなあ、と思う。
紫陽花とそれを手入れしている人に感謝。

指導者に求められる5つの資質(塩野七生)
カエサルだけが、このすべてをもっていた。
・知性
・説得力
・忍耐力
・自己制御の能力
・持続する意志

 

2010年06月16日23:21

鴫立庵 

鴫立沢(しぎたちさわ)になんとなく行ってみたくて大磯へ。
心なき身にもあはれはしられけり鴫立沢の秋の夕暮れ 西行
大磯駅からあるいて10分くらいのところに「鴫立庵」がある。
もちろん、西行の歌にちなんだものだ。
「心なき身」という気分にしたってみたかった。
西行の「心なき身」とは、無常観や空しい心象というより、出家して世俗への執着を断ち切った心象をいうようだ。
そのような身にも「あはれ」が感じられる情景だったということだ。
「心なき身」の私が訪れた「鴫立庵」には、さわやかな湘南の風が吹き渡っていた。
ものの影くっきり残して夏至の朝
いかにせん還暦越えても生き迷う
我もまた心なき身の鴫立つ沢
鴫立庵心なき身に湘南の風

ああ、また駄作。
鴫立庵の横にとんかつ屋さんがあった。やや量が多かったが「アジフライ・とんかつ定食」でお昼をとった。アジフライが新鮮でおいしかった。

 2010年05月04日17:53

逝く君よ

4月24日、心臓バイパス手術に失敗して、友が逝く。
趣味は仕事だといっていた君よ。

逝く君よ残る私も逝く私
寂しそうに生きがい仕事という君
ここのところ、夜中4時に目が醒める。
身体がつらく、寝られない。
土砂降りの友逝き仕事行き詰る
午前4時うずくまる17歳の心
うずくまる17歳の心解き放つ
春風や英語日本語街行く乙女
心の隙もので埋めて虚しさ満つ
乗る人は山行き人か土曜の電車
春の陽や変人多し丹沢山
俳諧は無知無分別につくるべし
師曰く風雅の誠をせめさとれ
塔ノ岳登りきたれば尊仏山荘

2010年04月22日10:23

若者は座り

ミクシーはご無沙汰でした。
また、はじめてみようかと思っている今日この頃。

たまたま、電車の優先席に座ってしまった。
街にミニスカートの女性が増えてきた。
不況ということもあるが、結構なことだと思う。
お姉さんと思しき足を見て見ぬふりをしていたら、おばあさんが乗り込んできてしまった。
あっマズッ、と思いながらもとっさに席を譲ってしまった。

若者は座り席を譲った60歳
ぼーとしてうつらうつらの春電車
ふと見ればスカート短し春乙女
禿おやじいい人ぶって花見かな

我が愚妻後ろ姿は女子高生
いかにせんいかにせんとやベーコンタマゴ

鎌倉へ赤いチャリンコ老いの友
鴫立沢赤いチャリンコ大磯へ
我もまた心なき身の鴫立沢
五月晴れのらりくらりの半島めぐり
何思う半島めぐり十二回

 

2010年02月27日

惜しむとて

惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは 身を捨ててこそ身をも助けめ (西行)
惜しとても惜しみはつべきこの世かは  身を捨ててこそ身をも助けめ (よみ人しらず)

佐渡にて
米山に月輝けり陽が落ちて
ばあちゃんの面影遠し久知送り
夕闇に金北山の雪輝けり

2010年02月13日

 

ギアナ高地にて

人はなぜ生きねばならぬかギアナ高地
めぐりきて何の因果かギアナ高地
ギアナの朝闇を引き裂くコケコッコー
カナイマの闇を見よとや一番どり
夕飯のメインとは知らず一番どり
カナイマの熱帯いかがかと鳴く小鳥
カナイマや悲しき熱帯草枕
レヴィのやさしさ哀しギアナ台地
先住民趣味の山焼き山火事に

 

2010年01月30日

年開けて

年開けて命くれない春こう歌
軟弱や一本遅らせ座る電車
梅の香や若きエロスの赤い花
チャリこぎ来り江の島鎌倉春の海
砂浜や失くした想い出掘ってみる
美女一人写真撮ってこう鎌倉の海

膝クネクネ六十路の階段二俣川
雪の朝いつもと変わらぬ凡庸さ
おばあさんに十分待った電車の席譲る
いつもと同じだが違う春電車
もういいかい四十年の通勤電車

photo by miura 2012.12 mail:お問い合わせ  
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