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俳句徒然日記2006


2006年12月23日12:31

旅人と我名呼ばれん

芭蕉にこだわるのは、やはり老人趣味か。
芭蕉の俳句は、侘び寂びを俳諧のいのちとするもので、確かに渋い。
芭蕉は46歳のとき、「おくのほそ道」の旅に出た。俳諧の道、俳諧の誠をたずねる旅だった。これは、現代の青年の「自分探し」の旅に通じるものがある。江戸時代初期の芭蕉の旅は、現代の旅行ではない。ちょっと山に入れば盗賊、追いはぎは当たり前の時代で、どこで命を落としてもおかしくない時代だった。
「古人の跡を追わす、古人の求めたるところを求める」芭蕉の心意気は、自分にこだわり、自分のオリジナルな表現を求めようとするもので、現代の青年たちにも負けないすばらしいものだと思う。芭蕉は俳諧はどうあるべきか追い求める旅人であり行人であった。
では、現代のたそがれのサラーリマンは何をもとめるのか。

旅人と我名呼ばれん初時雨 (芭蕉・笈の小文)
旅人と呼ばれてまずい仕事に帰る (かっちゃん)

 

2006年12月19日23:17

芭蕉飛込む

「昨日の自分に飽く」と芭蕉はいっている。
すばらしい。 狂風の旅の詩人芭蕉にふさわしい。今の自分に満足できない、ましてや昨日の自分なんて。
何かを生み出す人は、「昨日の自分に飽く」。
だが、芭蕉は「無能無芸にしてこの一筋」といって俳諧で才能を発揮し、豪商や武将の門人をたくさんもち、放浪のような生活をしていても、門人や弟子たちが生活の面倒をみてくれた。
才能があれば、そのような生き方もできる。
だが、私はといえば、いつまでたっても三流凡句。それ以外にもこれといった才能はないようだ。
それでも何故か、芭蕉の生き方には引かれるものがある。
芭蕉は今も昔も老人アイドルだと思う。
それをやっかんでか、 次のような口の悪いいたずらをしている人がいた。

古池や芭蕉飛込む水の音
しずかさや芭蕉にしみいる蝉の声


2006年12月19日14:38

主観的絶対評価

子供の学力をどう測るか。
だが、学力とは何か。その規定が揺らいでいるから困る。
学校の教科の得点か、通知表の成績か。
近年、学校の通知表の評価法が3段階や5段階の絶対評価に変わった。これは到達度絶対評価だといわれている。しかし、文科省は到達度絶対評価のための基準は発表しておらず、評価は学校ごと教科ごと先生ごとの主観的絶対評価だと言われている。
相対評価は、他の生徒の学力との比較で決まる評価だが、それが競争を激化させるということで絶対に変わった。
フィンランドはOECDの国際的学力調査であるPISAのテストで評価がトップになったことで有名。そのフィンランドの学校での評価法が絶対評価だそうだ。
高校の卒業テストがある。このテストで到達度が一定基準に達しないと留年になる。3年間で修得できなければ4年間かかってでも卒業テストをクリアすることが出来ないという。
また、大学受験にさいしても高校の成績が一定以上でないと受験すらさせてもらえないようだ。フィンランドの生徒は、高校にしても大学にしても、非常に厳しい絶対評価で良い成績をあげるために日夜勉強しているという。
日本のような主観的絶対評価は、高校入試の選抜資料となるが、主観的すぎて公的な選抜資料として使うにしても難しいようだ。それくらい甘く主観的ということだ。


2006年12月16日16:09

そんなふうに過ぎて バイク

40になって、またバイクを始めた。なぜかわからないが、ふっと、バイクの広告の「サウンドクルージング」といった言葉が耳に残り、衝動的にバイクを始めてしまった。
何台目かにホンダXR600をアメリカから逆輸入した。
何年前だるうか。富士吉田から富士山に入る、五合目までの荒れた登山道がある。この時代、この登山道を歩く人はほとんどいない。道はズタズタに壊れ火山灰と大石がごろごろしている道だ。何度かバイクでの踏破を試みたが多くは失敗した。
火山灰と石の混じった急坂を、バランスをとりながら半クラッチを多用して上っていく。石をまたげずに横倒する。バイクから降りて押しながら上ろうとするが、火山灰のため後輪がスリップして上れない。気合を入れてバイクにまたがって吹かしながら上る。そのうちエンジンのあたりからオイルが焦げたような、機械がすれあった摩擦臭が出てくる。どうもクラッチ版がこげているようだ。
とうとう断念。
次の回のトライはこの地獄砂場をなんとかクリアしたが、次のズタズタ道で2m近い壁をかろうじて乗り越えたが、大石ゴロゴロの道で腹を擦ったさいにチェーンを外してしまった。
バイクを倒し、後輪のスポークを緩めてチェーンを張りなおした。そこで精魂尽き果ててリタイヤ。
左の写真は何回目かのトライの果て、始めて登坂に成功し、五合目の駐車場で気勢をあげていた時のもの。
そんなこともあった、今は懐かしい思い出。
今度は、シルクロードを目指したい。願わくばローマを目指したい。ああ、あと20歳若かったなら。
夢よもう一度。
ああ、人生はいつも、早すぎるか遅すぎるかのどちらかだ。

そんなふうに過ぎていくなら、今一度の生き直しを。


2006年12月14日10:41

ぶどう色に染む

「乾坤の変は風雅の種」と芭蕉はいっている。
季節の移り変わりや自然の変化は、風雅をむねとする俳諧を生み出すための種だというのだ。
これではやはり老人趣味としかいいようがない。
都会のなかでは「乾坤の変」を感ずる場面も限られてきた。やはり山の中の庵で隠遁生活といった環境がないと、俳諧は難しいのか。
外国でも俳句的表現がはやっているという。俳句という彼らの俳句には季語という考えがないそうだ。季節の移ろいを詠み込むのはよいことだと説明してもピンとこないそうだ。
外国の俳句は、多くは「3行詩型」をとるが、韻を踏むのはすくないという。「一行詩」といった呼び方もある。季語も国や地域によりまちまちなようだ。 それぞれの国の俳句があって、当然だろう。

それにしても、芭蕉は好きだが、何年やってもちっとも上達しない私の俳句ってなんだろう。はやり趣味。手慰みのたぐいか。基本的に客観写生の訓練がたりない。歳時記が頭に入っていない。

通勤の車窓で西谷の山に見とれて、
ぶどう色に染まりて深し今年の暮れ


2006年12月13日18:55

老人の慰み

正岡子規が「芭蕉の俳句の大半は駄作だ」、とかといっている(『芭蕉雑談』)。子規は「歌よみに与ふる書」で、古今集や紀貫之もこき下ろしている。子規が芭蕉の悪口をいっていても別に悪くはないが、芭蕉びいきの私としては、心おだやかではない。
芭蕉は生涯で1000句くらい作ったのではないかと言われているが、有名な句・秀作といわれる句は100〜200句くらいか。
では、残り900句は駄作かといわれれば、凡作もあり、駄作とはいえないだろう。でも、子規さんはそう感じたのだから、それはそれで仕様がない。
17文字の表現は難しい。句を詠んでみた実感から、本当にいいなあと思う句は、一生で2つ3つ程度かもしれない。200の秀句なら俳聖でもよいのではないか。
芸術的かといわれると、もっと水準は高くなり、絞られてくる。
でも、俳句を「この一筋」とするわけではないので、まあ、「老後の楽しみ」「慰み」ということでもよいのではと思う。芭蕉先生もそうおっしゃっている。 すみません。

凡夫にきかぬ俳聖芭蕉のつめのあか
俳諧や徘徊老人手慰み


2006年12月12日10:24

ためらう自分に

仕事の関係で、教育に関連する知識をあさることも多い。それにしても、昨今の錯乱した教育行政、現場はどうらろう。
自殺やいじめの問題が、教育委員会以下の教育組織のことなかれ・隠蔽体質の露呈に拍車をかけている。さらに親殺し・子殺しも横行している。教育だけの問題ではないが、とかく教育問題は親にとっても切実な問題なだけに、報道も過熱しがちだ。
だが、教育や子供の問題というより、現代日本社会の抱える病理といったものに近いのではないか。

先日、朝の電車の座席争奪戦で、珍しくたまたま空いた席に座れた。と、そこへお婆さんが乗り込んできた。あっ、まずいなっと思いながらも席をたったが、向こう側の席のお姉さんが一瞬はやくお婆さんに声を掛けた。
自分の一瞬のためらいを恥じながらも、すがすがしい1日のスタートとなった。それにしても、70才以上と思われる人には席を譲ろうと思っている私だが、私の近くに来ないでほしいと願っている自分には情けない思いもしている今日この頃。

なさけなやためらう自分に年の暮れ
木枯らしの身は富士川捨て子芭蕉かな

 

2006年12月09日06:25

天野が原

今年の夜中の空は、凍てつく寒さに月や星がくっきりといったかっての空ではないようだ。
若いとき、夜中の西の空、オリオンの三つ星ベルトを見上げながら、二俣川の家路をいそいだものだ。あのときの、身の引き締まる緊張感と疲労感は、いまいずこ。
季節外れの朧月夜に、出てきた一句。どこかで聞いたことがあるような。

妄執の消えて後ない天野が原

 

2006年12月07日12:21

抜けた空

12月に入って初めてのもの思う日記。

いきづまり思うところ有り師走かな

死を意識すべきか、忘れるべきか。意識した生き方がよいか、忘れたふりをする生き方がよいか。
解決しようもない課題はしょいこまない。
どうやら、死は忘れたふりをして今をせいいっぱい生きるのが、生き方として元気が出てよいよいようだ。
生きている間には死はなく、死んでからは死はない。死の条件は忘れるに限るか。
なぜか、空が高く澄んでいて、心も同期している。そんな日もある。

抜けた空忘れたふりして年の暮れ


2006年11月23日07:56

悟りはない

今まで生きてきた時間よりも、死ぬまでの時間が確実に短くなっていくことを実感するこの頃、人生は哀しいか。
自分ながら、死への準備を始めているのを感じている。
だが、生のDNAは死を受け入れないらしい。どうしても違和を感じてしまう。
人生の秋は、実りの秋にしたいと思う。そのように生きる努力をしようと思う。
それにしても、いくつになっても先立つものがほしいというのは困った性だ。衣食たって礼節を知るというのは、哀しい現実だ。

五十路きて妄執多し金はなし

芭蕉は「わび・さび」を俳諧の命とした。「わび・さび」は、現代人には、精神世界でしか実感することができないのかもしれない。それとなく親しんできた仏教文化の、ほとんど悟りの世界に近い。
だが、煩悩凡夫に悟りはない。死ぬまで、悪あがきしながら生きようと思う。

 

2006年11月19日18:13

會良は托鉢をした

「おくのほそ道」の旅で芭蕉に同行した會良(そら)は、那須の湯元で托鉢(たくはつ)に出ている(曾良日記)。旅に出た二人は僧の格好はしていても僧ではない。なぜ會良は托鉢したのだろうか。會良は幕府の隠密説があり、仕事としての托鉢だったのだろうか。本当のところは、わからない。
僧になり乞食して一人前の僧ともいえるが、會良の托鉢に対して芭蕉は何もしていないようだ。芭蕉が托鉢したという話しは聞いたことがない。
芭蕉は「座敷乞食」がいやで、俗っぽい俳諧宗匠を辞めたが、新しい俳諧の境地を切り開く宗匠として、弟子や門人たちの世話になっていた。芭蕉は、お金をもらったり、うまいものを食べたりするための「座敷乞食」をいやがったが、その分、弟子たちの負担は大きかったのではないか。
芭蕉なりの生き方の美学だったのだろうが、この形は、現代の家元制度のはしりのようで、案外新しい仕組みだったのかも知れない。
芭蕉の新しい俳諧の境地を求める心意気ともいえるが、芭蕉のプライドや矜持だったのだろう。
「僧の格好はしても僧にあらず」という芭蕉だから、これもありか。

桑門乞食狂風の狂句か蕉風か


2006年11月17日10:17

妄執たんぱく

芭蕉は「おくのほそ道」から帰ってきたが、深川の芭蕉庵は人に売り払っているので住む家がない。大津のちよっと山に入ったところに、門人の庵を借りた。幻住庵という。

まずたのむ 椎の木もあり 夏木立  芭蕉

椎の木が涼しげな影をつくっている。今度お世話になります、椎の木さんよろしくね、といった感じか。
芭蕉は鴨長明の「方丈記」に深く魅せられていた。だが、時代が違う。芭蕉のこのノーテンキな句がいい。

そこで一句。

五十路きて妄執たんぱく夏木立

 

2006年11月14日13:37

駄句になく

芭蕉はけっこう、自分のことを俳文にしている。

仕官して立派な武士になりたかったが、それはかなわなかった。仏門に入ろうとしたこともあったが、どうもうまく合わなかった。学問を志したが、それも難しかった。花鳥風月に情を注いでいるうち、いつしか「無能無才にしてこの一筋」につながってしまった。

こんな風なことをいっているが、茶の利休、連歌の宗祇、和歌の西行、絵の雪舟と並べて、「俳諧の芭蕉」を自覚している。やはり芭蕉はえらい。

無能無才駄句になくなりあほうどり


2006年11月11日17:28

木枯らしの

名古屋にいっている娘が帰ってきた。
うれしからずや。

木枯らしのむすめかえりて酒をのむ


2006年11月08日10:23

芭蕉飛び込む

通勤途中の電車で考えた。
芭蕉の俳諧の極意は、今でいう「アイコン」(絵文字?)ではないか。ことばの「アイコン」ではないか。

古池や 蛙とびこむ 水の音

これは何のアイコンか。う〜難しい。
簡素・静寂のうちに清貧を愉しむ心、か。
だが、古池に蛙が飛び込んで、何がおもしろいのか。
蛙が飛び込んで、それをおもしろいと感ずるためには修行がいる。自然の静寂のなかで簡素な心持ちで季節の移ろいを愉しむという、まことに老人趣味的な、年期と修行が必要になる。
にっくき芭蕉と、次のような句を詠んだ人がいる。

古池や 芭蕉飛び込む 水の音

さてこれは何のアイコンか。
俳諧や恋情あまって憎さ100倍


2006年11月07日23:14

初時雨

私の関心ごとは、芭蕉の
「旅に病み 夢は枯れ野を かけめぐる」
という句とそれを作った芭蕉だった。
だから、芭蕉の「おくのほそ道」の跡をたずねた。
この仕事は、私にとって芭蕉とは何かを問う旅になった。
しかし、芭蕉はどこまで行ってもつかまえきれない俳聖だった。当然のことか。
しかし、その芭蕉先生の悪口をいう輩がいる。
「俳句」という言葉をはじめて使った正岡子規だ。
芭蕉の句の過半は駄作だ、秀作はほんの数%だというのだ。
ああ、やはりそうか。実は私もそう感じている。
だが、それにもかかわらず芭蕉の多くの句は、350年前の時代を越えて、現代人をもとりこにしてしまう。
やはり芭蕉は俳聖に値するなにものかなのだと思う。

ため息や我が句をよめば初時雨


2006年11月06日19:47

もえ?

俳句が趣味かといえば、趣味といえないくらいの凡作ばかり。
下手なくせに、やたらと書き散らすのは悪い癖だか、笑ってください。

俳句にはわびさびあれどもえはなし
架空キャラに抱く恋情もえだとか
わびさびにもえが入って日本の文化とか
おじさんも体験したいなもえ感情


2006年11月04日09:07




木曽の桟

信州路・木曽へいってきた。
横浜から往復600Km、11時間かかった。
中仙道・木曽路には「寝覚の床」と「木曽の桟(かけはし)」がある。
芭蕉の「更科紀行」の後を追う旅だった。
桟や 命をからむ つたかずら
義仲や 寝覚めの山か 月かなし

「寝覚の床」と「寝覚の山」はともに木曽義仲にゆかりの表現だが、なぜ「寝覚め」なのだろうか。「朝日将軍」という別名がある。イメージの連鎖だろうか。芭蕉は、源氏挙兵の先鞭をつけながら何故か葬られてしまった義仲に対する並々ならぬ思い入れがある。不遇の武将は芭蕉ごのみだ。

アップした写真は「寝覚の床」。「木曽の桟(かけはし)」は芭蕉の石碑も入っていい写真がとれるはずだった。残念ながら、カメラのモードが変わっていて、うまく撮れなかった。
「木曽の桟(かけはし)」はもう一度行かねばなるまい、とくやしながら思うのだった。
「古人の後を追わず、古人の求めたるところをもとめよ」という芭蕉翁のことばで何度も自分を戒めるのだが、凡夫の悲しさ、頭では分かっても、身体がそわそわ。
残念、「木曽の桟」。

野を分けてあの山越えて谷越えて
ないしょだよおいらのバイクにゃ羽がある


2006年10月31日19:17

格差社会

ある中学校の先生と話しをしていたら、最近の子供の気質が変わってきているといっていた。
我慢強さがなく、すぐ弱音をはいたり、他人のせいにしたり、とにかくわがままになってきているという。集団に馴染めず、先生にも反抗的な態度をとることが多いという。
もちろん、全員がそうだというわけではないが、そういう子が増えていているという。
子供の自殺、先生の自殺、管理職の自殺が取りざたされている。陰湿ないじめがまん延し、子供は先生の言うことも聞かず授業中でも制止がきかない状態や学級崩壊は相変わらずあちらこちらでみられるようだ。
何がいけないのか。学校が「荒れる」という現象は過去にもうねりのようにあったが、今はおさまっているのだろうか。教委の対応も何かおかしい。責任のがれや保身や事なかれ主義が目に余る。学校・先生・子供・父母・社会の病理現象か。
格差社会と言われる。日本はアメリカに続いて世界第二位の立派な格差社会になっている。社会の教育力の減退も問題だが、格差社会そのもののひずみが出てきているように思う。
自由競争と市場原理主義は、勝者と敗者をつくり、強者と弱者を生み出す。学校にも格差社会の余波がきているのだろうか。日本もまもなくこのような社会に突入していくのだろうか。


2006年10月29日20:12

からまつの

紅葉をもとめて信州路へ。
からまつの黄色が、背景の深い緑や高山の白い岩とまっちして、そのコントラストの妙がなんともいえず美しい。紅葉は、間違いなく日本の最上の美のひとつだろう。いろいろな風景の中でも感動的な美に出会えることはめったにない。何年ぶりか感動的な自然の美に出会えた。
「乾坤の変化は風流の種」と芭蕉はいったが、だからといって優れた句がすぐにできるほどの才能は私にはない。「景情一味の写実」は、しかし、凡才にはかなしからずや。

からまつのそぞろにうれしあづさ川
旅のはて梓の清流黄からまつ
 


2006年10月25日16:08

趣味かうつつか

俳句などいかがかと思い、数年前から、自己流ではじめてみた。もともとの素質が悪いため、まともな句ができない。駄作、凡作を平気で公開しているのだから、何を考えているのだか。やはり、青年の羞恥とは無縁な年になったということなのだろうか。
芭蕉は「俳諧は老人の愉しみ」というようなことをいっている。また、「俳諧にうつつをぬかしているようものは、ろくなものではない」というようなこともいっている。
その通りだと思う。

俳諧は趣味かうつつかまっどちらでも


2006年10月24日13:57

狸青年

横浜から出ている相鉄線で見た風景。
夜9時、お母さんが子供を一人背負い、右手に大きなバックを持ち、左手は男の子の手を引いて、電車に乗り込んできた。
ドアの角のところに寄りかかっていた私のすぐ前で立ち止まった。
男の子が、「お母さん、おなかがすいたよ。何か食べたいよ。」といった、お母さんは、ずっと子供ら背負い続けてきたみたいで、汗だく。「着くまで我慢しなさい」とけっこうきつい口調でおこった。男の子はシュンとなったが、お母さんにまとわりついた。お母さんは、「もっ、たっているのもやっと・・・」と小さな声。
座席に座っている若いサラリーマン風男2人、OL風1人は、ちゃっかり狸寝入り。昼間の仕事で疲れ切ってるとはいえ、若いのだから、席を譲ってもいいではないか。私が座っていたのなら、きっと席を譲ったはずだ。ああ、この若者たちは・・・。「君たち、若いのだから狸寝入りしないで、席を譲ったらどうだ」といえる、元気と勇気があったなら。

腹立つもやがて悲しい狸青年


2006年10月19日10:52

男の笑顔


昨日、帰りの改札口で笑う男を見た。
仕事と家庭に疲れて無口になった中年サラリーマンが多い中ででその笑う男は異彩をはなっていた。
50才過ぎだと思うが、もう仕事に見切りをつけたのだろうか。吹っ切れた不思議な明るさがあった。明るくはあったが底知れぬ深さも感じられた。つき物がとれたような男の自然な笑顔をここのところ見ていない。見ている私も何か心なごみ、楽しくなっていっしょに笑いたいような気がした。久しぶりに味わったシュールな感覚。

切れた男笑顔にこおる改札口


2006年10月18日12:56

医者も人

内科と眼科の医院にいった。内科の先生と奈良の産婦人科医の誤診の話しになった。先生が言うには、「医者も人間だから、間違うこともある。ましてや激務のなかでの夜勤となれば疲れも蓄積されている。医者の過労死が激増しているという状態がニュースにならず、誤診した責任が問われ、訴訟をおこされ、あげくに手錠をかけられて連行されるということじゃ、やっちゃあおれないよ。マスコミは正義を振りかざして誤診した医者を断罪するが、妊婦にCTスキャンすることのリスクなんかもあって、もっとよく調べてからにしてもらいたいものだ。これで婦人科医になる先生はもっと少なくなるだろう。このままでは日本の医療が破綻してしまう。」
私の、風邪のことなんか忘れて、熱く語ってくれた。適当に相づちを打ったが、私にはよくわからないし判断できる情報も能力もない。三重かどっかで産婦人科医に年給5000万を提示したが断られたという話しがあった。

何とかならぬか患者も人なら医者も人


2006年10月17日10:25

今日の秋

どうしても解けない課題。もう1か月抱えている。
ぼんくらのDNAには、創造の気力も失せて、昼寝をしているようだ。世界を無化し再構成する、あの若い破壊力は、今いずこ。

身中の青春訪ねて今日の秋

けあきの葉 2006年10月16日10:05 暖かい秋の朝、けあきの葉が朝の光を反射させながら舞い降り、ミニスカートのお姉さんの長く白い足がまぶしくて、

この秋は何で生きよかけあきの葉


2006年10月14日23:54

秋色の一句

どうしても今年の秋にしたりたくて、バイクをとばした。
横浜から16号で八王子インターへ。
須玉で降りて、増富ラジウムを経由して、乙女高原へ。
高原は一面の霧。霧に入ると底冷えがする。

山路きて霧の白樺乙女高原
寂しさや霧の乙女に花はなし
日暮れて深秋乙女や道遠し

2006年10月13日12:57

きっと地球は

朝、出社途中で出合ったお母さんとはしゃいでいるアメリカ人少女の愛くるしさ、お昼に出会ったイラン人と思しき少年の純真な目。おじさんは訳もなくただただ感動し、うれしくなってしまうのでした。
金正日には、自国の少年少女の顔は見えていないのでしょう。
世界には少年少女がいるんだから地球はたぶんだいじょうぶ

2006年10月12日10:03

コスモスの

自然の造化にしたがい、季節の移ろいを友とするは、老人の愉しみであろうか。休みの日に、近くの自然公園を散歩していると一面のコスモスの原。

コスモスの枯れさびゆくや今年の秋 

どこかで見たことがあるような


スニーカーをはき、リュックを背負い、肩には高級一眼レフを掛けて、歩いてきた。
どこかで見たことがあるような、そう私の姿。ああ、いやなものを見てしまった。

柿の木がたわわに実って今年の秋
人を見て我が姿おもえ秋の風


スニーカーをはき、リュックを背負い、肩には高級一眼レフを掛けて、歩いてきた。
どこかで見たことがあるような、そう私の姿。ああ、いやなものを見てしまった。

 

2006年10月11日10:26

今朝の秋


秋の風さわやかにして、すがすがしい朝。
弁当を持って電車に乗りければ、

弁当や車中に臭った今朝の秋


2006年10月06日14:18

今朝の一句


今朝の朝ご飯は久しぶりに「ご飯」。
おかずは納豆・生玉、大根おろし。
外は雨。
どこかできいたことのあるような一句。

身にしみて 大根からし 秋の風


2006年10月01日10:12

朝の一句

朝のおつとめ、般若心経。

煩悩凡夫朝に独唱す観自在菩薩 


2006年09月30日22:19

淋しい一句


公園のベンチに座っていた。
雀が何羽も私の周りで餌を探している。
私という人間は、そこにはいないのか。
私は風景のひとつ。

生きてきて死にいくだけか秋の風


2006年09月29日19:13

つらい一句

風邪が治らず寝込んでいたら、呼び出しの電話。
仕方なく起き出し、そそくさと仕事場へ。

病んでなお電話一発出て行く我は

 

2006年09月28日10:36

今日の一句

今朝、通い慣れた通勤の道で、面白いものをみた。
お婆さん2人が多少よたつきながらも楽しそうに歩いてきた。
見ると手にはコーンのカップのアイスクリーム。

見果てぬ夢かアイス片手のお婆さん2人


2006年09月27日18:48

またはじめました

今日から、またはじめました。 よろしくネ。
我が田舎の写真、気に入っています。

おもしろいもので、記憶が弱くなっていくのに比例?して、思い出もどんどん遡っていきます。これでよいのでしょうか。

2006年1月10日

今生や四人が揃うお正月
正月やこれが最後の揃い踏み
今年こそ何事かなさん霜の朝
何事か為さんと思へど何もなし

 

   
photo by miura 2007.12 mail:お問い合わせ
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